なぜファシストは女性の自由に恐怖するのか――シャン・ノリス『反中絶の極右たち』
記事:明石書店
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本書は、新たな世界政治の認識枠組みを模索していたわたしに、パズルの最後のピースを与えてくれた。本書の意義は、近年世界中を揺り動かしている旋風の核心にあるものを、ジャーナリズムに基づく調査報道により詳細に明らかにしたことにある。
著者シャン・ノリスは、女性の権利に関する調査報道を専門とするジャーナリスト兼作家であり、とりわけリプロダクティブ・ライツと女性に対する暴力に関心を向けている。
本書は2023年に刊行された。欧米の極右がなぜ中絶に反対しその権利を否定しようとするのか、その運動はどのように展開されているのか、背景にどのような組織が存在しているのか等を探ったものである。
アメリカでトランプ大統領の登場により中絶が非合法化されたことは日本でも報道されたので、知っている人は多いだろう。だが、トランプの政治としては移民排斥の方が知られているだろうし、そのような移民への対応と中絶への禁止政策がどのようにつながっているのかという点までは明確な説明を目にすることはない。
これを書いている2024年11月現在、まさにトランプは再選された。また今年はヨーロッパ議会選挙でも極右が台頭し世界を震撼させた。トランプとヨーロッパの極右に共通するのは、周知の通り移民への排外主義的政策である。
ヨーロッパ諸国は戦後、経済成長に活用するため旧植民地地域から多数の移民を受け入れた。それは戦前の植民地主義への贖罪の意味もあった。アメリカはそもそも「移民の国」として、多様な人種の「るつぼ」であることを誇っていた。それらはこの数十年で様変わりし、どちらも国境を閉じ、「国民ファースト」を謳い他者の排斥を競っているかのようである。
また一方で、それらの閉じられた国内では、トランプにより保守派で固められた連邦最高裁が1973年の「ロー対ウェイド判決」を覆したことに代表されるように、女性の権利が制限されようとしている。トランプの女性蔑視発言は、アメリカという世界の覇権国家の代表が公的にそのような言動を行ってもよいのだ、というメッセージを世界に発信している。ブラジルのボルソナーロ(前)大統領も女性蔑視発言で知られ、ヨーロッパではハンガリーのオルバーン首相が中絶の全面禁止に踏み切った。
どれも断片的にしか報道されないこれらの変化に対して、本書は明快なしくみを教えてくれる。それが「人種大交替」論である。移民の増加により白人人口が減り、白人のヘゲモニーが失われることを怖れているのである。移民と中絶の問題の背景にはファシズムの思想がある、と本書は語る。言い換えればファシズムは、白人男性至上主義である。女性は自らの民族や国家を再生産するために必要な手段であり、道具である。トランプらの女性差別的言動は、その思想の特徴を明白に表している。
実はこれは、著者がフェミニストであるからこそ喝破できた真実だ。ファシズムは通常、カリスマによる権威主義的支配を指し、住民や反対勢力を封じる抑圧手段を行使する政治と把握されている。実際、近年の変化についてもファシズムとして論じるものが登場してきている。しかし、それらの通常のファシズム論や研究は、ジェンダーとセクシュアリティへの視点を欠いている。そもそもファシズム論において、中絶禁止の問題が十分論じられることは少ない。それに対して本書は、フェミニストとして現実に起こっていることを客観的に分析したからこそ得られた成果である。
ファシズムの根本にあるのはミソジニーと白人至上主義である。そうであれば移民排斥と(白人女性の)中絶禁止が目的になるのは必然であろう。
本書の中心概念である「生殖に関する権利」は、フェミニズムが生み出した言葉である。
女性にとって妊娠や出産は大きな意味を持っている。妊娠を望んでいない場合であればそれは心身と社会生活への大きな負担となるし、望んでいる場合でも負担は大きい。にもかかわらず女性は「産む身体」とされ、子どもは幸せの象徴とされている。
イスラエルの社会学者オルナ・ドーナトは著書『母親になって後悔してる』で母親になりたくなかったけれどもなってしまって、やはり後悔している女性たちへのインタビューの調査分析を発表し、世界中で反響を呼んだ。そこからわかるのは、「母になって後悔している」ことは社会的なタブーであり、彼女たちはほとんど誰にも本心をいえないということだ。
女性は仮に妊娠時に望んでいなくても、母になれば満足するだろうという社会の通念がある。女性たちもこの通念を内面化し、「幸福」と「母になること」を結びつけ、女性はいずれ母親になるものであり、「良い母親」を目指すべきと思わされる。女性が苦しむのはこの社会の規範である。著者ドーナトの住むイスラエルは軍事国家であり、出産奨励政策をとっている。これもファシズムと深い結びつきがあるが、イスラエルのみならず「少子化」に悩むグローバルノース各国に共通するものとして捉えた方がよいだろう。
リプロダクティブ・ライツは、現在でも変わらないこのような女性への抑圧に抵抗するために、フェミニズム運動の中から作られた概念だ。特に戦後、欧米で盛り上がった中絶の権利への要求は、国連等の国際会議の場でも議論されるようになっていく。
1980年代後半に、先進国の女性たちの主張が「中絶の権利」に傾きがちであることに対して、第三世界の女性たちから批判が起こった。貧しい国の女性たちは、むしろ産まないことを求められ、人口調節弁として位置づけられていた。それは欧米先進国や世界銀行等国際機関による国際債務政策を押しつけられた国の政策によるものだった。だからこそ第三世界の女性たちは、単なる中絶の非犯罪化だけでなく、女性たちの性と生殖に関する自己決定を奪う経済や政治の構造全体を変革することを求めたのである。
この南北の女性たちの議論と対話により練り上げられることで、「リプロダクティブ・ライツ」は誰もが自分の性と生殖に関してその決定を尊重されるべきものとして構想されるようになった。
性と生殖は個人が生きていく上で最も中核にある領域であり、その領域がどのようであるかによって社会は大きく変わる。しかし、本書を読めばわかるように、女性をはじめ誰もがリプロの権利を認められるようになれば、ファシズムは成立しない。なぜならファシズムは、ひとを性別や民族・国家によって序列化する思想であり、性と生殖の権利もその序列に応じて配分するからである。そこに平等はないのである。
本書は最後に資本主義とファシズムの関係について触れている。
極右のようなミソジニーやLGBT差別を批判するときに、どのような立場があり得るだろうか。現在では、極右や右派・保守派に対峙するのがリベラルの立場とされている。アメリカの例がわかりやすいが、共和党のトランプ主義に対して民主党が対立し、今回の大統領選では有色の女性であるカマラ・ハリス氏が候補者となった。結果はトランプの圧勝となったが、それは民主党が十分に支持されなかったことを意味している。それはなぜだろうか。アメリカの有権者は、トランプ的なファシズム思想を支持しているからだろうか。実はここが現在もっとも重要なポイントだ。
事態はそう単純ではない。ネオリベラリズムの重大性は、ひとびとから精神の力を奪うことだ。市場原理主義は、個の想像力に侵食し、人権や平和といった理念を無力で無効なものと感じさせる。以前は労働者の立場に立ち、再分配を主張した民主党は、この数十年間で変質し、既得権を持つエリート層の利害を擁護する政党に堕した。これはすでにナンシー・フレイザーが2016年の大統領選を受けて論じていたことだ(拙ブログに訳文公開https://thirdfemi.exblog.jp/27487695/)。
男女平等や反差別の理念は、エリートの特権主義的な思想とみなされるようになった。庶民や貧困階層はそれらの理念に反発し、理想よりも自分たちの生活をすぐ改善してくれる政治家を望んだ。それがトランプだった。しかし悲劇は、トランプこそ富裕層のために政治を私物化する人物であり、思想的にもファシズム的な差別排外主義をモットーとすることである。有権者は二重三重に裏切られるだろう。
そのように、資本主義による経済的困窮を打開すると称してファシズムが入り込むことは歴史的に繰り返されている。
今回の大統領選で、年齢や人種、性別を問わずトランプが票を獲得したことをもって、問題はレイシズムやジェンダーではないとする分析もあるが、そうではない。それは単に問題が深まったことを示しているだけで、本質は変わらない。
人を性別や人種/民族で分断しようとするファシズム、またひとびとをそこに追いやるネオリベラリズム、この両者の共犯関係をこそ問わなければならない。それを教えてくれるのが、本書のようなフェミニズムのパースペクティブである。本書が広く読まれ、さらに調査報道や分析、批判が展開されることが強く望まれる。
(本書の解説より抜粋。日本の状況については書籍をご覧ください)