楠正俊
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楠正俊 くすのき まさとし | |
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生年月日 | 1921年6月11日 |
出生地 | 東京府 |
没年月日 | 2007年12月13日(86歳没) |
死没地 | 神奈川県鎌倉市 |
出身校 | 日本大学法文学部(現・文理学部)哲学科 |
前職 | 新宗連事務局長 |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 |
正四位 勲二等旭日重光章 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1965年7月7日 - 1983年 |
楠 正俊(くすのき まさとし、1921年〈大正10年〉6月11日 - 2007年〈平成19年〉12月13日)は、日本の政治家。参議院議員(3期、自由民主党)。海軍軍人[1]。東洋英和女学院大学教授の楠精一郎は息子[2]。
経歴
[編集]1921年(大正10年)東京府(現在の東京都)生まれ[3]。1947年(昭和22年)文部省大臣官房宗務課(現在の文化庁文化部宗務課[4])勤務[1]。3年勤務した後、1951年に設立された新宗連の結成に事務局員として参加。後に事務局長を務める[1]。
1965年(昭和40年)第7回参議院議員通常選挙で全国区に自由民主党から出馬し、初当選。1971年(昭和46年)第9回参議院議員通常選挙全国区で再選。1973年(昭和48年)4月30日自民党の玉置和郎参議院議員、藤尾正行衆議院議員と訪台[5]。同年7月青嵐会(自由民主党のタカ派の政策集団)の結成に参加。同年11月第2次田中角栄第1次改造内閣で通商産業政務次官。
1977年(昭和52年)7月第11回参議院議員通常選挙で全国区に新宗連推薦[6]で、当選。同年11月-玉置和郎(生長の家政治連合の支援)らと宗教政治研究会を設立し、会長代行に就任[7]。
1983年(昭和58年)第13回参議院議員通常選挙で比例区に自民党公認(名簿22位)で出馬するも、落選。
2007年(平成19年)肺炎のため神奈川県鎌倉市の病院で死去、86歳[3][9]。従七位から正四位に叙される[10]。
脚注
[編集]- ^ a b c 新宗教新聞 2001年 新宗連50周年 足跡振り返る特別企画 元参議院議員・元新宗連事務局長 楠正俊氏に話を聞く
- ^ 「大政翼賛会に抗した40人 - 自民党源流の代議士たち」(2006年、朝日選書 801) p.247
- ^ a b 楠正俊氏死去 元自民党参院議員
- ^ 百年を迎えた文化庁宗務課―「縁の下の力持ち」に意義
- ^ 重要日誌 4月30日
- ^ 中島三千男 1980, ≪表2≫最近2回の参院全国区における教団推薦候補.
- ^ 中島三千男 1980, 三 「宗教政治研究会」の発足と「宗教政治協議会」構想].
- ^ 「秋の叙勲 勲三等以上および在外邦人、帰化邦人、在日外国人、外国人の受章者」『読売新聞』1991年11月3日朝刊
- ^ 11 国会関係日誌(19.7.6~20.1.15)
- ^ 『官報』第4749号10-11頁 平成20年1月18日号
参考文献
[編集]- 中島三千男「今日における政治と宗教」『歴史評論』第358巻、歴史科学協議会、1980年2月、33-58頁、CRID 1050282677545561472、hdl:10487/7941、ISSN 0386-8907。
外部リンク
[編集]- 中日ニュース No.911_2「タレント候補の泣き笑い―参院選―」(0m41s〜) - YouTube(中日新聞社)―1971年の参議院選挙の映像
議会 | ||
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先代 加藤武徳 |
参議院商工委員長 1977年 - 1978年 |
次代 福岡日出麿 |
先代 久保勘一 |
参議院文教委員長 1970年 - 1971年 |
次代 高橋文五郎 |