鍋島直彜
鍋島 直彜(なべしま なおのり)は、肥前鹿島藩の第9代藩主。諱の読みは「なおつね」ともいわれる(「彜」は上から彑、粉、廾と書いた漢字である)。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政5年2月21日(1793年4月1日) |
死没 | 文政9年11月19日(1826年12月17日) |
改名 | 総吉(幼名)、直彜 |
戒名 | 威徳院仁勇英忠 |
墓所 | 佐賀県鹿島市の普明寺 |
官位 | 従五位下、丹波守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 肥前鹿島藩主 |
氏族 | 鍋島氏 |
父母 |
父:鍋島治茂、母:ミン(小代氏) 養父:鍋島直宜 |
兄弟 |
斉直、直道、直彜、直与、 姉(鍋島直宜正室)、姉(榊原政令正室)、 姉(久世通理室)、姉(諫早敬輝(茂図の子)室)、姉(三浦誠次正室)、姉(鍋島直章室)、 妹(中院通繁室)、妹(伊達宗紀正室)、 妹(鍋島直正正室のち鍋島茂敬室) |
妻 | 正室:鍋島直愈の娘・柏岡 |
子 |
直晴、娘(鍋島茂真室) 養子:直永 |
略伝
編集寛政5年(1793年)2月21日、肥前佐賀藩主[1]・鍋島治茂の六男として佐賀城で生まれる。寛政12年(1800年)に義兄(姉の夫)で鹿島藩第6代藩主・鍋島直宜の養子となり、4月21日に直宜の隠居により家督を継いだ。
文政元年(1818年)から倹約、リストラを中心とした藩政改革を行なったが成功しなかった。文政3年(1820年)2月17日に家督を養子の直永(実兄の佐賀藩主鍋島斉直の十三男)に譲って隠居する。隠居後に生まれた実子の直晴は直永の養子となった。文政9年(1826年)7月より病に倒れ、回復せぬまま11月19日に死去した。享年34。
系譜
編集父母
正室
- 柏岡 ー 鍋島直愈の娘
子女
養子