鍋島直晴
鍋島 直晴(なべしま なおはる)は、肥前鹿島藩の第11代藩主。
時代 | 江戸時代後期 |
---|---|
生誕 | 文政4年6月26日(1821年7月25日) |
死没 | 天保10年8月21日(1839年9月28日) |
改名 | 松丸(幼名)、直晴 |
別名 | 孫四郎、織部(通称) |
戒名 | 俊英院殿文山光輝大居士 |
墓所 | 佐賀県鹿島市の善明寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 肥前鹿島藩主 |
氏族 | 鍋島氏 |
父母 |
父:鍋島直彜、母:鍋島直愈の娘・柏岡 養父:鍋島直永 |
妻 | 正室:鍋島茂体の娘・於淳 |
子 | 養子:直賢 |
略伝
編集文政4年(1821年)6月26日、第9代藩主・鍋島直彜の長男として生まれる。直彜は直晴が生まれる前年に隠居していたため、直晴は第10代藩主・直永(従兄にあたる)の養子となり、天保10年(1839年)6月4日の直永の隠居により家督を継いだ。
聡明で将来を期待されていた人物とされているが、家督相続後の8月21日に参勤交代途上の伏見で急死した。享年19。跡を養子(直永の弟)の直賢が継いだ。
系譜
編集父母
正室
- 於淳 ー 鍋島茂体の娘
養子