名前を隠して楽しく日記。
入社して最初の仕事は「AWS認定ソリューションアーキテクト」の資格を取ることだった。
会社の先輩はAWSアカウントの管理だけで頭を抱えていて、俺は「クラウドってすごいんだろうな」と思っていた。
甘かった。
大学時代はPythonでちょっとしたWebアプリを作るのが楽しかったのに、今はIAMポリシーとSecurity Groupの設定で一日が終わる。
コードを書いているはずが、実際はYAMLとJSONばかり書いている。
先輩(30代)は「昔はサーバーにSSHして直接デプロイしてたんだよ」と言うけど、正直それの何が悪いんだろう。
デプロイ自体は確かに自動化されるけど、その仕組みを作るのに疲れ果てる。
Kubernetes?EKS?ECS?Fargate?Lambda?Step Functions?どれを使えばいいのか分からない。
友人はGCPを使っているけど、別の呪われた世界があるだけだと言っている。
Azureの話は聞きたくもない。
懐かしい感覚だった。「git push heroku main」だけで済んだ。
こんなに簡単だったのか。
herokuの料金は高いってよく聞くけど、精神衛生上の価値はある。
最近のスタートアップでは「NoOps」とか「クラウドレス」みたいな言葉が流行っていると聞いた。
Vercel、Netlify、Railway、Fly.ioなどを使ってインフラをほぼ考えずにデプロイするらしい。
もしかして、クラウドの複雑さに耐えられなくなった開発者が増えているのかもしれない。
いや、きっと俺のスキルが足りないだけだ。「クラウドネイティブ」になるべきなのだろう。でも正直、モノリスに戻りたい気持ちもある。
きっと、単純なものが複雑になりすぎたんだ。
縦長デカ目は例えば縦長だけ維持してサイズダウンした縦長目にすると縦長デカ目より奇異なヴィジュアルになる。
縦長デカ目は頬に食い込むくらいのデカさで重心が低くされて成立するバランスの上で流行っていた。
瞳が縦って時点で非現実的なのでサイズも非現実的な大きさにすることで逆に「そういう絵柄」になるから浮かなかった。
瞳は縦型のままサイズと配置をリアル寄りにすると奇異さが逆に際立つ。
縦長目って縦を強調するから、それだけだと面長に見える。とくに目の下〜顎が長くて縦に引き伸ばされた、重心の高い余白の多い顔に見える。現代の顔重心低くて目から下は余白が少ないのがかわいいという美的感覚に逆行する。頬に食い込ませて重心落としつつ縦の余白を潰さないと横の広がり感が乏しい分怖くなる。
縦長デカ目全盛期のヒット作の続編やスピンオフやイベント用のイラストを描く時に、キャラらしさを残したい気持ちと巨大目への抵抗の葛藤の結果縦長目にする漫画家は多いけど巨大目避けるなら瞳も丸くしたほうがいいと思う。
当時の縦長デカ目ブームを振り返ってデカすぎてやばかったと話す作家は多いけどデカさより縦の方が予後の悪さを引き起こしてた印象
過剰でなければ問題ない
これぞ衰退先進国のあるべき姿
(=´∀`)人(´∀`=)