はてなキーワード: FaceBookとは
AIを使ってブログを書いている人、AIの有用性をブログでアウトプットしている人たちが今はたくさんいる。
ただ、今後AIがより広まっていくと、PVに依存した金儲けができなくなっていくのではないかと思ったので、ここに書いてみようと思った。
今のブロガーなどのネットにアウトプットしてお金を稼いでいる人たちにとって重要なのはPVだ。
誰かがキーワードでなにか検索し、それに基づいて表示された検索結果からリンクをクリックして記事を読んでもらう。
ページが表示されれば収益になるインプレッション広告や、クリックされたらお金が入る広告、クリックされ更に商品が売れたらお金が入るアフィリエイト、などでお金を設けているのだ。
AIが生成した文章は品質もよく、それを見れば大体満足できる状態になっている。
これはつまり、ユーザーは今後検索結果からコンテンツに行くメリットがなくなる、という点だろう。
そうなればPVを起点に金を稼ぐブログは軒並み滅んでいく、ということになる。
広告配信プラットフォームがなにか、ということだが、要はGoogleやFacebookと言った企業だ。
今のAIはかんたんに言えばネット記事を使って学習し、それをもとに文章を生成している。だが、広告による収益が見込めなければAIが必要とするデータ自体がネット世界に蓄積されなくなる。
そうなると、AIが学習するためのデータがなくなっていき、AIが使い物にならなくなる。
AIが使い物にならなければ信頼できる結果が表示されないので、そのAIは使われなくなり、使われないAIに広告を出す広告主も減っていくことになる。
つまり、今のPV主体の収益構造をどうにかしなくては結果的にGoogleは自身の首を占めることになる。
Facebookはユーザーが投稿するからまだいいかもしれないが、Googleにはそういうのはない。
ただ、AIの学習に使うデータは信頼性が担保されていなくてはならない。
どこかの記事をコピペしたようなサイトが絶滅するのはいいことだろ。こたつ記事なんていらないし、陰謀論や極左・極右イデオロギーにまみれた偽情報もいらない。
さて、AI時代になったときにコンテンツを作る人たちはどうやって金を設けるのだろうか?
コミュニティをやるとかそういうことではなく、作ったコンテンツはどうやって金を設けてくれるのだろうか、というのはAI時代の難題だと思う。
まず1つ考えられるのは、AIが参照した記事に報奨を支払う、というものだ。
ユーザーの入力したプロンプトに対して参照されるボリュームが大きいほど報酬が増える、というのはあるかもしれない。
例えばだが、ユーザーが検索したプロンプトの結果に広告を入れる、その広告の単価に対してある程度重み付けをした上で隔週に利用されたコンテンツホルダーに金を払う、と言う仕組みだ。
たとえばAIがなにか結果を表示する、その結果から直接リンクをはられたら50円、学習データに利用されていたら0.5円、みたいな感じになるのではないだろうか。
さてそうなるとコンテンツに重要なのは一体どういうものか、と言うならば、その記事の信頼性の高さになるだろう。
例えばだが、AIに「カツ丼を作りたい、レシピを教えて」と聞いたとする。
そうなると、カツ丼を食べた感想なんていうのはここでは不要なものになるし、カツ丼が美味しいお店の情報もいらない、カツ丼のレシピとそれに直接関係する情報、例えば肉の部位によってどういう味になるのか、パン粉はどうすればいいのか、上げ方のコツはどうか、肉を切るときの厚みはどうか、と言ったものを一次情報として書くと強くなる。
例えば、プロの料理人が自分のレシピを掲載するのはいいかもしれない。
我が家ではこう作っている、というレシピの掲載も良さそうに見える。
小さいお子さんがいる場合はこういうふうな材料で高調理するといいですよ、と言う情報も良さそうだ。
だめな記事は何だろうか?
こういった一次情報としての記事を適当にまとめただけのこたつ記事はAIにとって価値がないと判断される可能性が高いだろう。AIの結果の品質が今後の勝負になるのだから、AIにとってノイズでしかないデータはいらない、計算リソースをそんなものに割くことはしないほうがいい。
わかるだろうか?AIになる前はどんな記事だろうがSEOで検索上位に出ればそれで良かったが、AIになれば、AIの学習データについての品質も重視されるということになる。
つまり今後ブログなりYoutubeなりでお金を稼ぐことを考えた場合に必要なのは「自分で実際に見たりやったりした上で書く一次情報」ってことだと思っている。
または「信頼できる一次情報を公平にまとめ上げた信頼できる二次情報」までが許容範囲だろう。
最近、ずっとモヤモヤしていた人間関係を一気に整理した。といっても「縁切りをしたい!」とか乱暴な話じゃなくて、ただ「自分に必要ない縁は大事にしなくてもいいんじゃないか」と思っただけだ。
大学時代や前の職場の知り合いから、いまだにSNSで繋がりっぱなしになってる人っていないだろうか?
実際にはもう何年も会話すらしてないし、本音で話す相手でもない。そういう“昔は友人だった”人たちと、なんとなく繋がり続けてることにずっと違和感があった。だって、こっちの近況なんて相手は興味もないだろうし、向こうの投稿だって正直流し見だ。お互いに「あー、まだこの人も生きてるんだな」くらいの認識しかない。
ところが、いざその繋がりを断つことを考えると、「ブロックしたら失礼にあたるかも」とか「再会したときに気まずいかも」とか、どうでもいいことが頭をよぎる。結局それが面倒で先延ばしにしていた。だけど先日、ふと「面倒なつながりを維持しているストレスのほうが大きいんじゃないか?」って思い始めたんだ。
そして、ある日思い切ってFacebookの友達整理やXのフォロー解除を実行した。数年間まったく絡んでないアカウントを、ボタンを押すだけで次々と消していく。すると不思議なことに、かなりスッキリした気分になった。
周りからは「そんなに人間関係を断って、何かあったの?」と心配されたりもした。でも実際は何も悪いことなんて起きなかった。それどころか、ほんの数日でメンタルがめちゃくちゃ軽くなった気がする。そして気づいたのは、「自分にとって必要な人は、整理しなくても残るんだな」ということ。
本当に大切な友人や家族とのやり取りは、SNS上でどうのこうのするまでもなく自然に連絡し合うし、会いたいと思えばお互い予定を調整して会う。だからむしろ、あまり仲良くない人の投稿に振り回されたり、無理に“いいね”を押したりしなくて済むようになって、とても気持ちがラクになった。
それに、「友達数が減った=自分の価値が下がった」と思いがちだけど、実はそんなことは全然ない。数をただキープしてる方が自分らしさを見失ってたんだと思う。
もちろん「人間関係の整理」には賛否両論があるだろう。でも、少なくとも自分は本当に大事な繋がりを改めて確認できたし、今のところ何も困っていない。むしろ話が合う人や気にかけてくれる人とのコミュニケーションが増えた。
もし、「なんとなく繋がりを維持してるけど特に絡まない人」の多さに疲れているなら、ある程度のリセットは意外とオススメかもしれない。
みんなもSNSの“友達”や“フォロワー”の数に縛られすぎないで、自分が本当に楽しくいられる人間関係を大切にしてみてほしい。きっと、そっちのほうが疲れにくくて、ストレスも減らせるんじゃないかな。
Visaが表現の自由の侵害と批判されるのを避けたいのは、それがブランドイメージを損なうから でもある。
つまり、「表現の自由の侵害と言われるのを避ける」という行動自体が、結局「ブランドイメージ保護」と「法的リスク回避」につながっている。
💡 結論:「表現の自由に関する批判を避ける」のは直接の目的ではなく、ブランドイメージと法的リスクを守るための手段である。
Visaは過去に、表現の自由に関する問題で批判されたことがある。
👉 これらの事例からも、「Visaは表現の自由を考慮する立場ではなく、ブランドイメージと法的リスクを管理する立場」だということが分かる。
Visaが取引を制限することで、「表現の自由の侵害ではないか?」と訴えられる可能性はある。
しかし、法的に見ると、Visaはあくまで民間企業であり、国家のように「表現の自由を守る義務」はない。
✅ Visaは「表現の自由」に特に配慮しているのではなく、それを理由にした訴訟や批判を避けるために行動している。
✅ つまり、Visaが「表現の自由問題に関与したくない」と考えるのは、「ブランドイメージ保護」と「法的リスク回避」の一環である。
✅ 表現の自由の侵害と言われると面倒だから避ける=法的リスク回避の一部なので、そもそも「Visaは表現の自由に配慮している」とは言いにくい。
✅ 過去の事例(PornhubやOnlyFans)でも、Visaは「表現の自由を守るかどうか」ではなく、「ブランドと法的リスクを回避するかどうか」で判断している。
「表現の自由問題に関わるのを避けること」が、結局「法的リスク回避」と同じ意味だと考えてOK?
もしまだ疑問があるなら、「Visaが表現の自由問題を避ける理由はブランドリスクよりも大きい」と思う根拠があれば教えてほしい!
「表現の自由の侵害」という言葉が適用されるのは、通常は政府や公的機関が、特定の表現やコンテンツを禁止・制限する場合 です。
例えば:
これは 「憲法上の表現の自由の侵害」 に当たる可能性があります。
しかし、Visaのような民間企業が取引を拒否する場合、それは「政府による検閲」とは異なるものと考えられるのが一般的 です。
Visaのような企業は、あくまで「決済サービスを提供する企業」であり、契約を自由に結ぶ権利 があります。
Visaは政府ではないため、加盟店や個人との契約を自由に選ぶことができる。
Visaが特定の取引を受け付けないのは、その企業のビジネス上の判断であり、政府による規制とは異なる。
例えば、「ある店舗が違法行為をしている可能性があるから取引しない」と決めても、それはVisaのビジネス上の判断であり、表現の自由を制限したとは言えない。
これは、レストランが特定の客にサービスを提供しないこと や、出版社が特定の著者の本を出版しないこと と同じようなものです。
よく比較されるのが、Twitter(X)やYouTubeのような「表現の場を提供するプラットフォーム」 です。
これらの企業がコンテンツを削除すると、「表現の自由を侵害しているのでは?」という議論が発生することがある。
しかし、Visaは「取引の場」ではなく、「決済の手段」 を提供する企業であり、「表現の場」自体を管理しているわけではない。
つまり:
TwitterやYouTubeが「特定の投稿を削除する」と、それは「表現の自由」に影響を与える可能性がある。
しかし、Visaが「この取引には決済を提供しない」と決めても、その表現自体は他の方法で発信できるため、「表現の自由の侵害」には当たりにくい。
アメリカ合衆国の憲法修正第1条(First Amendment)では、「表現の自由」は政府による規制からの自由を保障するものであり、民間企業には適用されない という原則があります。
政府が特定の言論を規制することは違憲となる可能性があるが、民間企業がそれを禁止するのは問題ない。
例えば、Twitter(X)やFacebookが特定の政治的投稿を削除しても、それは「表現の自由の侵害」ではない とされるのと同じ理屈。
Visaは政府ではないため、「この取引には決済を提供しない」と言っても、それは「政府が表現を禁止する」のとは異なる。
したがって、「Visaが取引を拒否するのは表現の自由の侵害ではない」というのが法的な一般論となる。
ただし、VisaやMastercardのような企業は、ほぼ全世界で使われる金融インフラとなっているため、「公共性の高い企業」としての側面がある という議論もある。
例えば、「VisaとMastercardの両方から取引を拒否された場合、実質的に決済ができなくなる」という事態が発生する可能性がある。
そのため、「Visaのような企業は、通常の民間企業よりも高い責任を負うべきではないか?」という主張がある。
しかし、現時点ではVisaが取引を制限すること自体が「表現の自由の侵害」として認められたケースはほぼない ため、法的には「Visaの決定は民間企業の取引の自由に基づくもの」とされる可能性が高い。
✅ 「表現の自由の侵害」とされるのは通常、政府による規制や検閲の場合。民間企業の決定はこれに当たらないことが多い。
✅ Visaは「決済の手段を提供しているだけ」であり、「表現の場」を提供しているわけではないため、「表現の自由の侵害」には当たりにくい。
✅ アメリカの修正第1条(First Amendment)では、表現の自由は「政府による規制」を対象とするものであり、Visaのような民間企業には適用されない。
✅ 「公共性の高い企業」としての議論はあるものの、現時点ではVisaが特定の取引を拒否することが「表現の自由の侵害」として認められたケースはほぼない。
「特定の国では『児童ポルノ』に当たらないコンテンツでも、Visaの基準では『児童性的虐待資料』として扱われる可能性があります」という点については納得できるが、それはそれとして問題ではない。
ただ、その点と『Visaの決済自体を禁止する』のではなく、『ブランドマークの使用を制限する』という形を取った理由にはどんな関係があるのか?」
Visaが「児童ポルノ」という言葉を使わず「児童性的虐待資料」という表現を採用した理由と、「取引の禁止」ではなく「ブランドマークの使用制限」という形にした理由を分けて考えます。
→ 各国の法律の違いを超えて、Visaが独自の基準を適用するため
しかしこれは「マークの使用制限」にワンクッションを入れた理由ではない
Visaが「児童ポルノ」ではなく「児童性的虐待資料」という表現を使った理由は、Visaの規約を国際的に適用しやすくするための措置であって「マークの使用制限」とは別の話になります。
Visaが「マークの使用制限」をワンクッション入れた理由は、主に法的責任と監視義務を回避するためと考えられます。
もしVisaが「Visaの決済ネットワークでは『児童性的虐待資料』の取引を禁止する」と直接書いた場合、Visa自身が取引を監視・判断する義務が発生する可能性がある。
→ Visaは金融機関ではあるが、法執行機関ではないため、こうした監視義務を負いたくない。
Visaは「特定の取引を禁止する」のではなく、「Visaのブランドマークをそのような取引に使うことを禁止する」というルールにすることで、取引の違法性を判断する責任を避けている。
→ 「取引禁止」ではなく「マークの使用制限」とすることで、Visaの監視責任と法的リスクを減らす仕組みになっている。
💡 「児童ポルノ」ではなく「児童性的虐待資料」という言葉を使ったのは、Visaが独自の基準を設定するため(国の法体系に依存しないため)。
💡 しかし、それが「取引禁止」ではなく「マークの使用禁止」にした理由ではない。
💡 「マークの使用禁止」にすることで、Visa自身が取引を監視・取り締まる責任を負わずに済むようにしている。
「Visaの規約が『特定の取引を禁止する』のではなく、『ブランドマークの使用を制限する』という形を取っているのは、Visaが直接取引の違法性を判断する責任を回避するためだと言われているが、その仕組みがよくわからない。
結局のところ、Visaはどのみち『特定の取引が禁止事項に当てはまるかどうか』を判断しなければならないはずでは? そもそも加盟店の審査などがあるのだから、Visaは取引の内容をチェックしているのではないのか?」
確かに、Visaは最終的に「これは規約違反か?」を判断する必要があります。しかし、「取引を直接禁止する」のと「ブランドマークの使用を制限する」のでは、Visaの監視・審査の負担と法的責任の発生の仕方が大きく変わるのです。
Visaが「取引禁止」を明記した場合、Visa自身がその取引が規約違反かどうかを積極的に監視しなければならなくなる。
👉 結論: 「取引禁止」としてしまうと、Visaが監視義務を負うことになり、莫大なコストと運用負担が発生する。
Visaが「取引禁止」を明確に規定した場合、実際に取引が発生したときに、その取引が規約違反かどうかをVisaが最終的に判断する必要がある。
👉 結論: Visaが「取引禁止」を明確に定めると、取引内容の適法性をVisaが直接判断する責任が生じ、訴訟リスクが増える。
Visaは「取引の禁止」ではなく、「ブランドマークの使用を禁止」する形にすることで、監視・審査の負担を軽減し、法的責任を回避できる。
Visaは「マークを使わせないだけ」とすることで、各取引の詳細を積極的に監視する必要がなくなる。
👉 結論: Visaは「ブランドマークの使用を禁止」することで、取引の内容を細かく監視する義務を軽減できる。
Visaは「ブランドマークの使用を禁止」するだけなので、取引の違法性を直接判断しなくても済む。
👉 結論: 「取引の違法性」ではなく「ブランドマークの使用許可の有無」で判断することで、Visaは法的責任を回避できる。
Visaが加盟店を審査するのは事実ですが、「取引禁止」と「ブランドマークの使用制限」では、審査のやり方が異なります。
取引が発生するたびに、「これは規約違反か?」とVisaがチェックし続ける必要がある。
加盟店の審査時点で「ブランドマークを使用するにふさわしいか?」だけを判断すればよい。
もし違反が発覚しても、「ブランドマークの許可を取り消すだけ」で済むため、取引ごとに監視し続ける必要がない。
👉 結論: Visaは取引ごとの細かい監視を避けるために、「ブランドマークの使用制限」という形を採用している。
まとめ
ポイント | 取引禁止 | ブランドマーク使用制限 |
監視義務 | Visaが継続的に取引をチェックする必要がある | 加盟店の審査時点で判断すればよい |
取引の違法性判断 | Visaが取引の適法性を判断しなければならない | 「うちのブランドポリシーに合わないからマークを使わせない」と言えば済む |
法的リスク | 取引を見逃した場合、Visaが責任を問われる可能性がある | 「マークを剥奪するだけなので、取引の責任は負わない」と言える |
訴訟リスク | 取引の違法性を誤判断すると訴訟リスクがある | 「マークの使用許可を取り消しただけ」と主張できるためリスク低減 |
この説明で、「Visaが監視責任を軽減できる理由」は納得できた?
もしまだ疑問があるなら、「どの点が具体的に納得できないか」教えてほしい!
「Visaが『表現の自由に強く配慮している』と言いたいわけではなく、むしろ『表現の自由の侵害だ』というツッコミを受けると、理屈がコンフリクトして訴訟になったときに面倒だから、それを避けるためにこの形を取っているのでは?
そうであれば、『表現の自由を考慮している』というより、結局は『法的リスク回避』の一環と考えられるのではないか?」
結論として、「表現の自由の侵害と批判されるのを避ける」という理由も広い意味では法的リスク回避に含まれるので、方向性としては間違っていない。
ただ、Visaの意思決定を整理すると、主に「ブランドイメージ保護」と「法的リスク回避」の二つの要素が大きく関与していると考えるのが妥当だといえる。
Visaのような決済ネットワークは、政府機関でもプラットフォーマー(YouTubeやTwitterのようなサービス)でもなく、「金融サービスを提供する企業」 である。
つまり、Visaは「表現の自由を守る責任がある立場ではない」し、「コンテンツの検閲に関与すること自体が本業ではない」。
Visaのブランドに悪影響を与えるか?(ブランドイメージ保護)
Visaが訴訟リスクや規制リスクを負うか?(法的リスク回避)
の2つに集約される。
💡 この視点から見ると、「表現の自由に配慮している」のではなく、「表現の自由を理由にした訴訟を回避する」のが本当の狙い」 であり、それが「ブランドイメージ」と「法的リスク回避」の問題に収束する。
ちなみに自分は30歳。いわゆる ゆとりさとり世代 (そう呼ばれるのは不服だが。)
元々自分はオウムやオウム関連のネタには疎い世代で、ネタの1つに「尊師マーチがある」というのは知っていたが聞いたことが無く、耳に入る機会は無く、もし初めて耳にするまで「距離を取っておこう」と思っていた。
数年前に1~2回だけ、TV番組を観ていて、尊師マーチが耳に入ってくる事があったが、抵抗があり聴きたいとは思わなくて忘れていったが、
数日前や今日放送されたドキュメント番組が地下鉄サリン事件回で、尊師マーチのサビ部分が流れていて、嫌でも歌を覚えてしまった。(再放送も見て、完全にサビのメロディなどが記憶に定着した。)
気持ち悪過ぎる。なんか負けた気分みたいだ。
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過去には、特定のユーザーグループによる組織的な嫌がらせ行為が問題になったこともあります。
TwitterやFacebookなどのソーシャルメディアが普及する中で、はてなは相対的に古いプラットフォームとなり、ユーザーインターフェースや機能面で時代遅れになっていると感じるユーザーもいるかもしれません。
私が初めてマッチングアプリなるものを知ったのは、大学三年生の夏休みのことでした。周囲の友人が「今度の合コンで知り合った人、実はマッチングアプリで繋がった人なんだよ」「アプリで彼氏できた」などとやたら盛り上がっているのを見て、「今どきはこういう出会いが当たり前になりつつあるんだなあ」とぼんやり思っていたのを覚えています。私はそこまで恋愛に積極的ではなく、どちらかと言えば受け身のタイプ。友人に誘われた合コンもあまり乗り気ではなかったし、“出会いのためにアプリを使う”という行為に少し抵抗感もありました。
しかし、友人たちがこぞって「安全に使えば便利だし、普段出会わないタイプの人と話せるよ」「登録だけでもしてみたら? 面白いから」と後押ししてくるので、興味本位でインストールしてしまいました。そこには思ったよりも多種多様なユーザーがいて、一見で「え、こんな素敵な人が?」と思う写真や、逆に「ちょっとこの写真は…」とツッコミたくなるようなプロフィールも混在しています。「使い方次第で良くも悪くもなりそうだな」と感じながら、最初は軽い気持ちで眺めていました。
私には3つ年上の兄がいます。小さい頃はしょっちゅうケンカして泣かされてばかりでしたが、成長と共にそこまで派手にはケンカしなくなり、大学生になった今では表面上はそこそこ仲良くやっていると思っています。兄は都内の企業に就職し、実家を出てひとり暮らしを始めました。両親は「長男だから結婚も早いかもね」と期待している様子で、本人も仕事に没頭しつつ「そろそろ彼女が欲しいなあ」とぼやいていたので、いつかは結婚の報告なんかが聞けるだろう、と私も漠然と思っていました。
そんな兄の存在を頭の片隅にも置かず、私はマッチングアプリの世界を覗いていたのです。最初のうちは年齢層を絞ったり、趣味が合いそうな人を探したり、少しやり取りをしてみたり……いわゆる「自分に合う人」を探すという目的にはまだ半信半疑でしたが、メッセージが飛んでくると素直に嬉しかったり、ちょっとドキドキしたりする自分を発見して、これはこれで面白いかもと思い始めていました。とはいえ“ネットでの出会い”に関する危険性の知識はあったので、やり取りが軌道に乗る前に安易に個人情報を教えたりせず、比較的慎重に構えていたのも事実です。
そんなある日、私はふとした拍子に「近くに住んでいる人」の検索をかけてしまいました。正直、当時の私は「まずは会いやすい距離感がいいかも」という程度の軽い思いつきで、地域をわりと狭めに設定していたのです。案の定、ずらりと出てきたのは同じ区内や隣駅くらいに住む人たち。中には年齢的に私とは違う層も混じっていましたが、それでもプロフィールを見ていると意外に面白いものです。「あ、この人の大学は友人が通ってるところかも」とか、「こんな趣味があるんだ、話してみたいな」などと眺めているうちに、ある一人のユーザーのアイコンに目が留まりました。
そのアイコンは、正直ほとんど顔が分からないものでした。横顔の一部しか映っていない……いわゆる“雰囲気写真”というやつです。ただ、どこか見覚えがあるような気がしたんです。プロフィール写真だけでは判断しかねたので、興味本位で開いてみると、そこに書かれていた年齢は私の3歳上。身長や体型、仕事のことも含めて、なんだか既視感がある数字ばかり並んでいる気がして、私は心臓がドキドキしてきました。さらにプロフィール文をよく読むと、趣味欄には「スポーツ観戦」「料理」「ドライブ」とあって、「最近、仕事が忙しくてなかなか出会いがなく、友人に勧められて始めました」という説明。あれ? うちの兄が先月あたりからやたらとドライブ好きの友達に影響されてるとか言っていたけど……まさかね、と頭の中で警鐘が鳴り響きます。
とはいえ、アプリ上のニックネームは全然違うもの。兄の本名とはまるで関係ないし、顔写真もはっきりしない。「きっと気のせいだろう」と思いながらも好奇心が抑えられず、試しに“いいね”をしてみました。ここで仮に本人だったとしても、相手が私のプロフィールを見て弾いてくれればそれで終わりだろうし、万一マッチングしてしまったとしても向こうが拒否すればすぐ解除されるだろう、と思ったのです。
ところが翌日、私はそのアプリを開いて悲鳴を上げそうになりました。まさかの「マッチング成立」の通知が届いていたのです。しかもそこには、昨夜いいねを送ったばかりの男性ユーザーの名前。私は慌ててプロフィールを再確認して、何かの間違いではないかと必死になりましたが、どう見ても同じ人。しかも画面を凝視していると、ほんの少しだけ写り込んでいるその口元や髪型の雰囲気が、だんだん兄の顔と重なってくるのです。冷静に考えれば「同じ地域に住む3つ年上の男」「身長や体型までほぼ合致」「スポーツ観戦や料理、ドライブが趣味」……兄と一致しすぎているではありませんか。
ここで私はさらに頭を抱えます。向こうも私のプロフィールを見ていいねを返しているはずなので、私が妹だと気づいていないわけがありません。顔写真は私もはっきり載せていなかったものの、年齢や大学名、趣味などを書いていましたし、何より下の名前や雰囲気で分かるはず。そもそも私の大学や専攻の話は兄にしょっちゅうしていましたし、妹の趣味くらい兄も把握しているでしょう。なのにどうしてマッチングを返してくるのか……頭の中は「兄の正気を疑う」という気持ちと「そもそも私も何してるんだろう」という自己嫌悪で渦巻いていました。
とりあえず、マッチングしたらメッセージのやり取りができる仕組みになっているので、私は勇気を振り絞って一言だけ送ってみました。
すると、数分後に返事が。画面には「ごめん、〇〇(私の名前)だよね?」と一言。私はもう恥ずかしさと衝撃で変な汗が出てきました。向こうも気づいていたらしい。ただ、この状況で何を話せばいいのか全く分かりません。普通のマッチングアプリのやり取りなら「はじめまして! どんなことが好きですか?」とか「今度一緒に食事でも」とかそういう話になるでしょうが、実の兄妹でそんな会話をするはずもありません。
「どうして私だって分かってていいね返してきたの?」 「いや、まさかと思ったけど、プロフィール見てるうちに確信して……。でもお前のアイコンもはっきりしてないから違うかもって思ったんだよ」
兄は半ばパニックになっていたのか、本当に単純な疑問を返してきます。私も驚きすぎて頭が回りません。「こっちだって、まさか兄がアプリやってるなんて思わなかったよ!」と返すのが精いっぱい。結局、アプリ上では何をどう話していいか分からず、お互い「ちょっと電話で話そう」と提案することになりました。
電話越しに聞こえてきた兄の声は、いつもよりどこか緊張気味でした。それもそうですよね。妹とマッチングした兄の立場って……冷静に想像すると、ただただ気まずい。しかし私も同じくらい気まずい。冒頭から「お前もこんなのやってるんだな……」と兄に言われ、こっちも「お兄ちゃんこそ……」と返すありさま。何というか、こんな会話、想像もしなかったです。
兄によれば、会社の同僚が結婚間近だと聞いて「俺もそろそろ真面目に彼女を探さないとヤバいかも」と焦っていたらしく、「今時はマッチングアプリくらい使わないと始まらない」と言われたのだとか。私がやっていたアプリと同じものを使っていたのは単なる偶然のようで、条件を細かく設定せず、何となく「近くに住んでいる、年齢も幅広に見てみよう」というスタンスでやっていたらしい。私がまさか同じアプリにいるとは思わずに、うっかりいいねを押してしまったとのこと。兄の言い分は「でも妹のプロフィールだって気づいた時にはもう手が震えたよ」とのことで、私も似たような気持ちだったので、電話の最後には二人して苦笑いしていました。
さて、この一件で何が困ったって、私はアプリの存在を家族には隠して使っていたわけです。当然、兄も同じでしょう。親には「彼女はいつできるんだ」としょっちゅう問い詰められていたので、やむを得ず始めたとはいえ、あまり大っぴらにしたくはなかったようです。互いに「親に言わないで」と口裏を合わせ、二人だけの秘密にしておくことにしました。少なくとも“兄とマッチングした”という事実だけは墓場まで隠したい――その点は意見が一致していました。こんなことを親や親戚に知られたら、どんな無茶苦茶な茶化され方をするか分かったものではありません。
その後、兄とはアプリ上でマッチ解除をしました。さすがに兄妹同士で繋がり続けるメリットなど皆無だし、万一アプリ側のアルゴリズムでまた変なふうに表示されるのも嫌だったので。お互い「次に普通に実家に帰ったら、なんて顔を合わせればいいんだろう」という気まずさはありましたが、実際に帰省したときは普段通りに振る舞うように努めました。私が無理やり「お兄ちゃん、最近仕事忙しいんでしょ?ちゃんと休めてる?」などと話を振り、兄も「ま、ぼちぼちかな」と笑って返すくらいのやりとり。しかしその目は「いいか、あれはもう忘れような」と言っているようでしたし、私も「もちろん、忘れたいよ!」という気分でした。
アプリの方はというと、さすがにしばらくは開くたびに身構えてしまいました。まさか他にも親戚が紛れ込んでいたらどうしよう、と不安が頭をよぎるのです。兄と出くわしてしまったせいで、すっかり家族バレが怖くなってしまい、一時期は退会しようかと真剣に考えました。でも、友人に相談すると「たまたま運が悪かっただけだって!」と笑われ、「そんな面白いこと、普通は起こらないよ」と言われて少し気が楽に。確かに一度起こった珍事件が二度三度と起こるとも思えません。少し落ち着いた後、私は年齢や居住地の検索条件をもう少し厳密に設定し直すことにしました。具体的には、私の年齢に近い2、3歳幅にしか表示されないようにするとか、実家近くの地域を外すとか、少し工夫を加えたのです。
その甲斐あってか、以降は兄以外の男性とマッチングすることが増え、実際に何人かと食事に行ったりもしました。中にはいい雰囲気の方もいたものの、最終的には付き合わずに終わってしまいました。まだこれから先どうなるかは分かりませんが、兄とマッチングしてしまった経験を経て、色々と慎重になったのは確かです。「相手が本当にどんな人か分からないのがマッチングアプリ」とは聞いていましたが、まさか“実の兄”だったという予想外過ぎる展開を味わったことで、変に免疫ができた気もします。
一方の兄はどうかというと、「もうアプリは懲り懲りだ」と言いながら結局しばらくして別のアプリを試していたようです。私と同じアプリはさすがに気まずくてやめたみたいですが、時々「今度のアプリは友達経由で身バレが防げる機能があるらしいから、大丈夫」とか、妙に詳しいことを言ってきます。私は「私はもういいよ、たまにしか開かないし」とそっけなく返していましたが、まさかまた別のアプリで兄に出くわすなんてことは……もうさすがにないはず、と願っています。いくらなんでもそう何度も兄に遭遇してたら、私の気持ちが持ちませんし。
そうして私の初めてのマッチングアプリ体験は、序盤からとんでもない“事件”に巻き込まれる形でスタートしました。自分でも信じられないし、友人にも打ち明けましたが、全員揃って大爆笑。「え、それ絶対ウケ狙いの嘘話でしょ?」と疑われたほどです。確かに、普通はまず起こり得ないシチュエーション。けれど、意外とアプリでは「知らない人と出会う」という大前提のせいで、身近な人がひっそり使っていても気づかないものなんですよね。その身近な人がまさかの実の兄だったわけです。
今となっては「マッチングアプリで自分の兄を見つけてしまった」という体験は、私にとっては笑い話半分、黒歴史半分といったところでしょうか。人によっては「そんなに恥ずかしがることないじゃん」と言うかもしれませんが、正直めちゃくちゃ恥ずかしいです。もし兄が彼女を連れてきたときにでも「あのときはお互い焦ったよね」なんて昔話をする日が来るのかもしれません。想像しただけで赤面しますが、家族としてはいつか笑って話せるネタになるんだろうな、とちょっとだけ思えなくもありません。
それ以来、私も兄もアプリの利用には気をつけています。お互い相手がどこまで情報を見られるのかという設定をちゃんと確認するようになりましたし、身バレを防ぎたいならFacebook連携型のアプリなどを使って、知り合いを避ける機能を活用するのも手だと学びました。まさに“経験者は語る”という感じです。正直、家族や親戚に見つかるだけでなく、職場の上司や友人が相手でも相当気まずいと思いますから、アプリの選び方や使い方にはある程度の注意が必要だと実感しました。
でも、そんな反省点や恥ずかしい思い出も含めて、人生には意外性がつきもの。まさか兄と“マッチング成立”してしまった経験は、一生忘れないエピソードとして心に刻まれるでしょう。兄妹喧嘩とはまた違う角度で「こんなこともあるんだ」と驚かされましたが、ある意味、兄に恋愛感情を抱く前に発覚してよかったのかもしれません(当たり前ですが)。とはいえ二度と御免ですけどね。
こうして私の「マッチングアプリを使ったら実の兄とマッチングした話」は一応の決着を見ました。アプリ自体は悪いわけではないのですが、あまりにも想定外の事態を招いたことで、しばらくは家族と会うときに妙な緊張感を覚えたのもまた事実です。今では少し笑って振り返ることができるようになりましたが、「この話だけは親には言わないでね!」と兄には何度もクギを刺してあります。兄も全力で同意してくれているので、私たちの“秘密”としてこのまま墓場まで持っていくつもりです。
もしあなたがマッチングアプリを使う機会があるのなら、どうか私と同じ轍を踏まないよう気をつけてください。とはいえ、「兄とマッチング」なんて早々あることではないかもしれません。でも世の中何が起こるか分からないのです。身近な相手も、もしかするとアプリに潜んでいるかもしれない――そんな可能性を頭の隅に置いておけば、いざというときの衝撃は少しだけ和らぐ……かもしれませんよ。
そうは言いながらも、私もこれから先、もしかするとまたマッチングアプリを通じて良い出会いがあるかもしれないと思っています。兄の一件はともかく、やはり限られたコミュニティの中だけでは出会えない人と繋がるのは、刺激的で新鮮です。今度はもうちょっと上手に使いたい。二度と家族とマッチングしないように細心の注意を払いながら、こっそり新たな一歩を踏み出したいと考えています。兄にこの話をするときは絶対に内緒ですけどね。私の婚活がうまく行くかどうか――その答えは、私のスマホと、私の人生次第ということになるでしょう。
ブルスカもtiktokもインスタもスレッズもFacebookもmixi2もミスキーもぜーーーーーーんぶダメ
理由をつらつらと書き連ねて行く
これはモノによる(メシ屋ならむしろインスタ主戦場のほうが良いとは思う)所はあると思うけどうちの扱ってる商材的にもうこの2つはダメ
宣伝にはなるけど購買に結びつくような人間がそもそも使ってない
これはマジなんだけど日本のFacebookは本当に今廃墟状態です、何にもリーチしません
正確に言うと皆使ってるけど使ってる人が身内専の連絡のみに使ってて交流してない、幽霊が一生同じことやってる感じ
ここが一番デカい部分、たまにブルスカに企業公式がくればな~って言ってる人がいるけど永久に来ません
試験的にブルースカイでテストアカウントを作ってみて分かったのが
ということ
おすすめ欄がないから「投稿してすぐぐらいに見てるユーザー」以外に拡散されないし、おすすめ欄で滞留して持続的にバズや宣伝を狙うと行ったことができない
これが例えば100だの500ぐらいの客を相手にするならこれでも良いと思うけど、とにかくSNSの隅々まで宣伝したい側としたらもうこの時点でブルスカやmixi2に垢作る理由が一切なくなってしまう
広告は「見たくない人にも見てもらう」というのが一番大事だからね
スレッズにもおすすめ機能があるけど、スレッズのおすすめは「とても近しい人やコンテンツ」意外には拡散しないアルゴリズムになってるっぽくていまいち拡散力がない
まあなんていうか、仕事にして分かったけどおすすめ欄を強制的に見せるようにしたX(旧twitter)はマジで頭良いと思うわ
抑圧された、認めたくない自分(シャドウ)を受け入れる作業を「シャドウワーク」というらしい
何の効果があるのかは全くもって不明だが、俺が認めたくない自分、というものを言語化してみる
権力を手にしたいとかではなく、チヤホヤされたい、有名芸能人みたいに
しかし、「フォローバックを狙って大量フォロー」のようなことはしたくない
ありのままの自分が大勢に認められたい、何の努力もせずにである
そのくせ、自分が誰からも興味を持たれないことがわかって「SNSはクソ」が口癖になっている
頭が良くなりたいと思っているが、常識・知識・記憶力が根本的に弱い
例えば両親の財産が俺に相続されるとして、どういう手続きを取るかといったことが全くわからない
Youtube動画を作ってみようと思ったことはあるが、まったく流暢に話せなかった
空想の中で、abemaに出演することを想像してみるんだが、ちゃんと喋れる想像ができない
何日も眠れなくなり錯乱状態になったことがあるが、SNSで意味不明なことをつぶやいていた
いきなり冨樫の写真をアップロードしたり、意味不明なことをつぶやいたり、とにかく支離滅裂である
Alienwareを風呂に叩き落として、小便をかけるなどしたこともある
目が合ったりすると恐怖になる
例えばYoutubeで誰かが語っている動画などを見ているときに、「退屈だなぁ」と心でつぶやいたらバレてると思ってしまう
学歴に執着があるわけではないが、学歴で評価される風潮があると心に痛い
10年プログラマーをやっているが、プログラマーとしての格は低い
AtCoderなどをやったことはあるが、長く考えればわかるが、瞬発力を要求されると全く解けない
自分の意志でxvideosにアクセスする分にはウキウキで楽しむが、はてなやFacebookやXで受動的にエロが表示されると不快になる
アルゴリズムが「こいつはエロが好き」と判断しているような動きをするのが不快
陰謀論は確かにエンタメとしては好きだが、陰謀論を本気で信じている連中の発言などを見ると「こいつらと同一視されるのは嫌だな」と思ってしまう
「数学」といっても、広範囲すぎて自分がそのうちの小さな部分しかわかっていないことにかなりの劣等感がある
しかし「量子コホモロジー」などという話をされても、全く理解できないので、自分の理解力の限界を感じてしまう