はてなキーワード: モバゲーとは
好きだったよ。 好きであるべきなんだと必死に思い込んでたことに、気づいてしまった。
想像以上にモバゲーで売れたシンデレラに対し当時の携帯ゲームでモバゲーと並んでいたグリーでシンデレラをやろう、という生まれからしてシンデレラを引きずっている。サイゲが関わらない直運営でシンデレラをやれば儲かる、というものでしかなかったことが正直察せられる。
グリー時代のゲーム性はモバゲーと同じだし、ミリシタもミリPが「俺たちにもシンデレラみたいな音ゲーが欲しい」とばかり言ってデレステの後から作った音ゲー。グリマススタート時の売りであったA-1アニメ絵が唯一といっていい個性だったというのに、A-1でのアニメ化は結局エムとデレまで、喧嘩別れしたのかなんなのか、笑えることに個性をアンチ相手に取られている。
やることなすこと全てがシンデレラの後追いの癖して、ファンの意識はずっと打倒シンデレラだ。
ミリオンは平等、とぬかすミリPは多いけど、全部が全部「ミリオンは ”シンデレラガールズと比べて” 平等」でしかない。
シンデレラガールズと違って、全員に声がある。シンデレラガールズと違って、キャラが増えない。シンデレラガールズと違って、765のカードが増える。シンデレラガールズと違って、CDが早く出る。シンデレラガールズと違って、アニメに全員が出演する。
シンデレラガールズと違って、は楽曲にすら影響がある「一人も手放さない」って、誰が誰の手を手放さないって意味なんだ?アイドルがファンの手を手放さない?そんなこと当たり前すぎる。結局、シンデレラガールズと違って、私たちは連帯をモットーとしています、でしかない。
シンデレラの不満点を完全に改善してあるべき姿を作りました、というならまだ褒める部分もあるかもしれないが、結局は主に文句を言われる部分を少しだけ埋めただけで、さほど大きな違いはない。記号的なキャラクタを大量に並べれば誰か一人くらいは刺さるだろうという数打ちゃ当たる形式、一人一人の設定は浅くて雑。各種ゲームに特別なゲーム性もない。結局は人気投票というイベントもやる。まぁ、アイドルマスターというものは全般的に面白いゲームが出てきたことがないが。シンデレラと違って、がコンセプトであるのに、シンデレラには一切ない要素がまるでない。新しい何かを作り上げようという感情ではなく、今まであるものをちょっと変えて儲けられればラッキー、そんなモチベーションに溢れている。
好きだったんじゃないのか、と問われれば、ライブイベントは明確に好きだった。そう、シンデレラガールズと違って、歌が上手かったからだ。
楽曲もパフォーマンスも、かつては第一線を走っていたと思う。かつては、だ。今もなお当時と同じく第一線で活躍するメンバーもいるが、全員がそうという訳ではないし、なによりも時代が変わってしまった。
声優をアイドルとして売り出す手法、そのスタートをミリオンもたしかに担っていたが、時の流れによる劣化を誤魔化しきれなくなった。皮肉なことに、シンデレラガールズと違って、メンバーが固定であるが故にその劣化が止められないのだ。
とはいえ、今でもミリオンを見たことがなかった人は特に、行けば楽しむことはできると思う。
でももう私は飽きてしまった、10年間ずっと同じ演出家が手癖で出してくるだけの演出に。
そもそもシンデレラの強みというのは、偶然に時代に乗れたのでファンが多い、というただそれだけであって、特別優れている訳ではないのだから、それに多少変更を入れた程度で跳ねるはずもない。シンデレラの問題点を埋めた自分たちはシンデレラと同じくらい盛り上がれるはずだ、という歪んだ意識をファンが持ち続けている。正直シンデレラガールズももう落ち目だ、10年以上もやっていれば必然とも言える。
シンデレラと違って、がアイデンティティーだったミリオンは、じゃあシンデレラを超えられたのか?と問われれば、結局越えられぬままだ。超えられていないのに、立ちふさがる壁としてのシンデレラがなくなってしまった。そうなった時、ファンたちは今度違う壁を設定しだした、ありとあらゆる他コンテンツをだ。
なにかと違ってミリオンはこう、という価値観を完全に取り込んでしまっていた。それもそうだろう、それしかないからだ。自分たちにしかない強みを持たないまま、でも他の成功したコンテンツのようになりたがって、結果として自分たちが優れている部分を主張するために必死に他と比べて優れた点を探している。
もううんざりだ。
時代の寵児として巨大なマーケットを抱えている訳でもなく、アプローチする客層をガラリと変えて新しい方向を開拓する訳でもなく、なにかしらの強みを育てることもなく、全てのコンセプトが何かの真似でしかない。ミリオンだけの面白さ、ミリオンだけの美しさ、ミリオンだけの特徴が、なにもない。
それでも好きだと思う人もいるだろう、頑張って欲しいが、もう私には無理だ。やればやるほど、なにもないことがはっきり見えてくるからだ。
俺の知る限りだと、日本の企業でアダルトを含むブラウザゲームポータルをやっているサイトは3つある。
区分 | ポータル名 | URL | PCブラゲ提供本数 | サービス開始 |
---|---|---|---|---|
全年齢 | DMM GAMES | https://games.dmm.com | 103 | 2011年11月 |
アダルト | FANZA GAMES | https://games.dmm.co.jp | 95 | - |
全年齢 | DLsiteにじGAME | https://www.nijiyome.com | 27 | 2013年4月 |
アダルト | DLsiteにじGAME R-18 | https://www.nijiyome.jp | 24 | - |
全年齢 | TSUTAYA オンラインゲーム | https://game-tsutaya.tsite.jp | 79 | 2015年7月 |
アダルト | TSUTAYA オンラインゲーム | https://game.tsutaya-adult.com | 11 | - |
この中では、にじGAMEとTSUTAYAのラインナップに同一のものが多い。
まず最大手のDMMは自社傘下にEXNOAというブラゲー開発会社を持っており、生産力が高い。
そこに取り込まれなかったブラゲー開発系の独立企業もいるので、例えばシュガーコンフリクトやアライアンスセージといった、DMMでもDLsiteでも提供しているアダルトブラウザゲームというものはある。
ちなみに挙げた3ポータルを覗いていると、そのすべてで新作としてAI絵っぽい量産ブラゲ「聖戦の残響」のリリースが宣伝されているのが目に付くだろう。
この3社だけではなく、ハンゲとモバゲーにも出てるが、これを提供しているのはInGame.jpという中国系ブラゲ企業で、自社ゲーを寄せ集めたポータルサイトも別で持っている。
ここは、先述の5社+ゲソてんに同一タイトルを提供している。ゲソてんは「聖戦の残響」のURLがGoogleでヒットする(アクセスはできない)ので準備中かもしれない。
なお、ゲソてんはGMOのブラゲポータル。ゲーム&ソシャゲてんごくの略らしく、ハンゲ・モバゲー同様アダルトは無い。
InGameと同じように日本法人でローカライズ・運営・ポータルしてる量産ブラゲ輸出系の中国企業はいくつかあるようで、知る限りだと他に6699.jp(ファンユー)などがある。
こういう中国母体のところはEXNOAに吸収されてないが各ポータルにおいて存在感は増している。
というか一強であるDMM以外でブラゲポータル事業をしようとすると、こういう所にラインナップを頼ることになるのだろう。
それでもラインナップ数に圧倒的な差があり、またDMMの国内製ブラゲとも質の差もあるので、まあ敵わないよねというのが現状といったところ。
一応フォローするとDLsiteにじGAME(旧称にじよめ)はスマホ主体でスタートしたサービスなので、スマホブラゲでくくると多少作品数は増える。
筆者は、自身が「男性優位社会を構成する一員」であると自覚しつつ、「自覚していない加害性」を持つ可能性を認めています(「あの時の自分の発言、めちゃくちゃセクハラじゃん…と後から気づいたことが何度も何度もある」)。この告白からは、自己反省と罪悪感が強く表れており、自己に対する批判的な視点を持っていることがわかります。
心理機制: 筆者は自己の「加害性」に気づくことで、内省的な罪悪感を経験しています。これは、フロイトの超自我(良心や道徳的規範を司る部分)が強く働いている状態を示唆します。過去の行為を振り返り、それが不適切だったと認識することで、自己嫌悪や責任感が生じていると考えられます。
背景: モバゲーでの「女性のフリ」をした経験が、この罪悪感のきっかけとなっています。他の男性からの性的なメッセージに直面したことで、自身がこれまで無自覚だった男性の加害性を目の当たりにし、それが自己への投影として働いた可能性があります。
筆者は「男という主語でひとくくりに批判されるべきだ」と主張し、男性全体を加害性の担い手として捉えています。この一般化には、自身の経験からくる投影の要素が見られます。
心理機制: 筆者がモバゲーで出会った「気持ち悪い男性達」や、知人の性加害事件を通じて感じた衝撃を、男性全体に拡張している可能性があります。これは投影防衛機制の一種で、自身が抱える不安や罪悪感を「男性」という集団に拡散させることで、個人の負担を軽減しようとしているのかもしれません。
背景: 特に、「男性達は勝手に、女性達の前で痴態を晒してくるのだから」という記述からは、筆者が男性の行動に強い嫌悪感と無力感を抱いていることがうかがえます。この感情は、自身が直接関与していない加害行為に対しても、所属する性としての連帯責任を感じていることを示しています。
筆者はモバゲーでの実験を通じて、女性が日常的に受ける性的な視線や攻撃性を体感し、「女性達が普段からこんな気持ち悪い目線に晒されていること」に衝撃を受けています。この経験から、女性への強い共感と同一化が見られます。
心理機制: 筆者は一時的に「沖縄の女子中学生」を演じることで、女性の視点に立った感情を追体験しました。これは**移入(エンパシー)**のプロセスであり、他者の苦痛を自分のものとして感じる能力を示しています。この共感が、筆者の男性批判や自己批判の原動力となっていると考えられます。
背景: 中学生という若年期にこの経験をしたことが、筆者の価値観や性に対する認識を大きく形成した可能性があります。実験が「笑えないまま幕を閉じた」という記述からは、この体験が単なる遊びを超えて、深い心理的影響を及ぼしたことが推察されます。
筆者は「女性への性加害をやめようと声をかけたいが、誰にどう言えばいいのかわからない」と述べ、解決策を見いだせない無力感を吐露しています。また、「全員釣りあげてもう泳げないようにすべきか、女性達にこの海に近づかないように声をかけるべきか」との問いかけからは、問題の大きさに圧倒されている様子がうかがえます。
心理機制: この無力感は、認知的葛藤(認知的不協和)を反映しています。筆者は社会的な問題を認識しつつも、個人としての行動では解決できないというジレンマに直面しており、それが感情的な混乱を引き起こしている可能性があります。
背景: 知人の性加害事件や、身近な男性の加害性を「見極めるのが難しい」と感じた経験が、この無力感を増幅させていると考えられます。筆者は正義感や責任感を持ちながらも、実効性のある行動に移せない自分に苛立ちを感じているのかもしれません。
後半で筆者は、「男性全体に罪を負わせようとする男」を批判しつつも、自身が前半で「男という主語で批判されるべき」と述べている点との矛盾が浮かび上がります。この部分からは、自己弁護や立場の一貫性を保とうとする努力が見て取れます。
心理機制: 筆者は自身の主張が極端に見えることを自覚し、「キチガイ」と呼ばれかねないリスクを回避しようとしている可能性があります。これは合理化の一種で、自分の感情的な主張を論理的に補強し、社会的な承認を得ようとする試みと考えられます。
背景: 筆者が挙げた「ヒステリックブルーのナオキ」や「神山翼講師」などの例は、極端な男性批判を行う人物への警戒心を示しており、自身がそのような人物と同一視されたくないという意識が働いているのかもしれません。
筆者の心理状態は、罪悪感、共感、無力感、そして自己批判と他者批判の間で揺れ動く複雑なものです。モバゲーでの経験を通じて男性の加害性を目の当たりにしたことで、自身の性に対する信頼が揺らぎ、同時に女性への深い共感が生まれました。しかし、その問題の大きさと自身の限界に直面し、具体的な行動に移せない葛藤を抱えています。
潜在的な動機: 筆者はこの文章を通じて、自身の内面の混乱を整理し、社会に対するメッセージを発信することで、カタルシス(感情の浄化)を求めている可能性があります。また、男性全体を批判しつつ自己をその一部として位置づけることで、自己の罪悪感を共有し、孤立感を軽減しようとしているのかもしれません。
性格的特徴: 高い内省能力と共感力を持ちつつも、自己評価が低く、社会的責任感に過剰に駆られている傾向が見られます。これは、自己否定傾向や、他者からの承認を求める欲求と結びついている可能性があります。
「男にはわからない」を書いた筆者は、自身の経験を通じて男性の加害性と社会構造に鋭い洞察を持つに至った人物です。その背景には、自己への罪悪感、女性への共感、そして問題解決への無力感が混在しており、これらが文章全体に強い感情的トーンを与えています。筆者は自己批判と男性全体への批判を通じて、内面的な葛藤を表現しつつも、その解決策を見いだせないまま苦悩している姿が浮かび上がります。この文章は、単なる社会批判を超えて、筆者自身の心理的成長と向き合いの記録とも言えるでしょう。
「これまで奴隷にされてきた。もう人の言うことなど聞かない!」と目覚めた一般女性(それまでもたいしたパフォーマンスはあげていない)については、もう聞き飽きたからどうでもいい。
中島伸子(井村屋グループ代表取締役会長兼CEO)みたいな女性の話を聞きたい。
ここ最近、広告を燃やしている女の話や、ジャニーズに誹謗中傷して開示請求されている女など、しょうもない女の話が流れてきて、本当にうんざりしている。
知的底辺女性ばかり見ていると「女性は底辺」というイメージがついて良くない。性犯罪のニュースを見ていると「男性は性犯罪者」のような気がしてくるのに近い現象で、非常によくない。
OpenAIのCTOで、最近独立企業するニュースが出たMira Muratiは36歳の女性だ。
DeNAの南場智子CEOの生成AI関連の戦略も非常に注目している。モバゲーの稼ぎ方には批判的な意見があるとはいえ、ベイスターズを上昇気流に乗せた彼女の手腕には賞賛が集まっている。
コーエーの襟川恵子会長も、はてなでは有名だが他ではあまり知られていないのでは?母子家庭の私設の支援事業など、社会貢献活動をしている強い女性だ。
SNS上で反対運動をする以外のことが何もできない女性ではなく、生産している優秀な女性の例をくれ。できるだけたくさんくれ。
ゲーム性がゴミカスだったモバゲー・グリー系の札束カードバトル式ソシャゲはもうほぼ全滅してて
今スマホゲーとして売れてるやつはゲーム性もビジュアルも全方位作り込まれた上澄み中華ゲーか、パズドラモンストみたいなパズル系として最低限のゲーム性を備えたソシャゲか、ブルアカウマ学マスみたいなゲーム性は乏しいと言うか戦略シミュ的なリソース配分ゲー的なソシャゲ風味がありつつも、美少女キャラのガワやキャラクター性だけは妥協せずに作り込んだものだから
ゲーム性が本当にないものは絶滅しちゃってる状況、ユーザーの目もちゃんと肥えてきてる
まあプロスピみたいなスポーツ系も根強く売れててそのへんのゲーム性がどうなのかは俺も知らないが
この現状のどこをみて
日本のゲーマーに思われてるほど、買い切りとガチャゲーで「ジャンルが違う」なんてことないはずだよ。
同じアクションやRPGとして、ゲームとして面白くする作り込みのノウハウは同じ。
ただガチャゲーとして売れるには、継続的にキャラやマップやシナリオを高品質に追加しつづけていく体力が必要。
そこに関して、「ってことは金かけなあかんな」と真っ当な考え方をして人材確保や開発規模をあげて対応したのが、00年代の韓国オンラインゲームや20年代の中国モバイルゲーム。
前者は国策として支援金があったし、後者はバブル景気でお金を集めやすかったのがあるだろうけどね。
でも、日本がガチャゲーを作る時の考え方として土台にしたのは、貧弱なガラケーみたいなハードでスキマ時間を潰すための、くだらないゲーム。
低予算でとにかく射幸心を煽って競わせることで、チープなんだけど連帯感を持たせるバトルでゲームっぽさを演出するアプローチでやってきた。
ソーシャルプラットフォームに根付いてSNSのフレンドを引っ張ってくるからソシャゲなんだけど、文字通り社会性ゲームだと思うね。
つまり、日本は最初からガチャゲーをゲーム未満のゲテモノに貶めてしまったんだよ。それでもソシャゲバブルで大成功した企業が出た。
で、ユーザーも適応して、ガチャゲーは馬鹿になって遊ぶもんだ、という頭になってしまった。
そこに本物のゲームと化した、ガチャだけど上手にマネタイズする作品が入ってきたから、脳がバグってしまった。
スマホのゲーム性能が高まるにつれ、買い切りゲームと同等かそれ以上の開発費をかけなきゃいけなくなって、
それでも日本勢はビジュアルだけリッチにしてゲームの構成はゲテモノガチャゲーを引きずったものを作りつづけた。
かつての成功体験があったせいで、抜本的に異なるものを作る勇気あるメーカーは出てこなかったんだね。
さらに悪いことに、中華ゲーのガチャシステムも一見自分たちと同じようなものに見えていたから、見習うポイントを見いだせなかった。
ガチャ2.0的な排出地点制御を理解したとしても、かつて高確率設定をアピールしてアドレナリン中毒にさせてきた既存顧客に対して、「超低確率で天井までまず出ません」みたいなしわしわガチャを魅力的だと理解させるのは難しい。
非常識な方のガチャゲーを基準にしちゃってるから、モダンでお利口なガチャゲーのゲーム設計を受け入れにくい。
その点ではモバゲーグリーに触れてこなかった若者のほうが有利だし、素直に「こっちの方が遊びやすい」と感じられるだろう。
このへんの世代間断絶はなかなか埋められなさそうで、そこが先が暗い原因だと思う。
【起きた事象】
最近行われたライブの「アイマス最高!」のコールを巡ってXが若干学級会の様相を呈した
【否定派に多い人】
以前からバンナムの行い※1によりアイマス最高コール文化に疑問を持っていたPが多いが、アイマスブランドで唯一ゲームが全てサ終を迎えたことでその不満は爆発。
それにより「SideMは好きだけどバンナムは好きじゃない」という思いを持っているPが多い
(勿論サ終前からのユーザーが全員同じ気持ちではないだろうが)
※1
・アニメが765・デレは2クールだったにも関わらず1クール。そのため半分のユニットしか出番がなく、アニメに出たユニットと未登場ユニットで曲数格差も発生した。
・4thライブ時期のCDリリース頻度の低下(おそらく3D音ゲーとの兼ね合いが原因)
・音ゲー1(エムステ)の不出来(過度な低難易度仕様)からのサービス終了
・後継の音ゲー2(サイスタ)から3Dモデル削除(後にMVという形で後から追加はされたが、全ユニット実装の前にサービス終了)
・各ブランドから何人か集めた家庭用ゲームでSideMキャラがハブられた
その上最初は公式側からきちんとした説明がなく、声優が生放送番組でツッコミを入れる事態が発生した
【肯定派に多い人】
・他マス兼任P
SideMはサブの場合もあるし、他マスもSideMもガチ推しな場合もある
他マスPなのでSideMもひっくるめてアイマスが好きなためコールをしている
SideMゲームプレイ済の人もいればそこまで詳しくなく、中にはサ終のことやそれにより界隈が荒れたことすら知らないでライブに参加する人もいる
・サ終後にSideMを知ったP
YouTubeの歌ってみたやtiktok(特にS.E.Mというユニットの曲が最近バズった)曲を知り、そこからSideMのライブに来るようになったP
ゲームに触れてない層であるため、いざこざがあったことを深く知らない
ここまで記載した事柄に関して、あくまで肯定派/否定派に多いPの属性というだけあって必ずしもその限りではないことに留意してほしい
【問題】
多分否定派が毎度ライブで「アイマス最高!」を聞いて複雑な心境になるくらい
元々ファンの文化なので、無くなったところで公式にとってもそこまで大きな問題にはならないと思われる
SideM関連でPが揉めてることがXで話題になるというネガキャンはあるが
Pにできるのは精々これくらいなのではないだろうか
Xの意見では肯定派だけでなく否定派も「個人の自由ではあるよね…」という形が多い
結局風化して終わると思う
【筆者について】
推しがいたためゲームは全てプレイし、6th〜7thあたりまてライブに参加してたP
少し前なら界隈のことを知っているので、野次馬根性もありつつ書いてみた
Pの派閥はXを参考にした
中華ゲーのガチャはガチャというより別の概念のシステムなんだよな
国産ガチャが石を溜め込んで(または課金して)物量で運を乗り越えるギャンブル的キャラ配布システムだとすると
中華ガチャは一連分貯まるごとに回してようと貯めて一気に回そうと得られる限定キャラ数や獲得周期は変わらない
なんなら特定の強キャラを何体も重ねるよりも満遍なく確保していったほうがゲーム性を楽しみやすいからユーザーのガチャへのスタンスが真逆になる
特定のキャラを狙おうとするときも、物量に頼るんではなく、排出周期(天井カウント)を見ていれば天井引き継ぎによって計画的にキャラ取得できる「ゲーム」へとガチャ要素が昇華してる感じなんだよ
国産ガチャは「ガチャはガチャでしかないギャンブルもどきだよ」と割り切って公然とevilをやってる感じで、その射幸性ゆえに「ガチャを回すこと」が主目的になりやすい
中華ゲーは「ガチャはゲームの追加要素にすぎんから本編をちゃんと遊ばないと回せないよ、その分中身凝って作ってるからね」という意思を感じる
実際にガチャを一切まわさずに配布キャラだけでも攻略可能なように作ってあることを節々に感じる
その分、育成要素がキツくて時間をかけるか石割って育成リソースを集めるかバトルパス等を頼るかって感じになっている
でもそういう月額的な課金を継続してくれるファンを増やす作りの方が、ギャンブル性を煽って理性を失った0.何%の廃課金者をカモにするソシャゲビジネスよりも未来があると思う
ガチャが主目的になっちゃう古いソシャゲ的な作りだと、ログインだけでもらえるようなインスタントな石バラマキをしたり、毎日10連無料みたいなことをして呼び込まなきゃいけなくなるが
まあ中華ゲーも広告上は日本の頭の古いソシャゲユーザーに訴求するために配布アピールの広告を出してたりはするけども、実際は日本ユーザーが想像するような直接的な配布はなくって、ゲームをやり込んで石回収すると○連分になる、的なオチだったりする
でもそのほうが逆に良いと思うんだよ
インスタントなバラマキが恒常化するってことは、過去に課金して得たキャラの価値がすごい勢いで毀損されていく(インフレ前提)ってことだから
中華ゲーは全体的にコツコツプレイが最重要な積み重ねゲーになってて、国産みたいにぽっと出の新規ユーザーが人権キャラを無料ガチャで○凸できちゃったらモテモテみたいなことはあり得ない
後者は一見いいことのように思えるけど、既存ユーザーを蔑ろにしてることの裏返しとも言える
ビジネスだけを考えるならスマホゲーはいかに新規を取り込むか、いかに新規を優遇するか、という部分が重要なのは分かるんだけど
それが行き過ぎてゲーマーとしての心を失っているかのようなものが量産されてきたから「ガチャゲー」「ゲー無」「ソシャゲはダメ」みたいな刷り込みにつながっていく
モバゲーグリー時代からシナリオだけは評価できる作品等はあったにせよ、ゲームとしてどうなのって意味ではPay2Winの札束ゲーかつ廃課金のカモが無課金乞食を蹴散らすくだらん構造のものとして侮蔑は免れなかった
でも今のモバイルゲームで存在感を示してるタイトルってのはちゃんと時代の変遷とともに悪い部分を脱却して進歩しているものも出てるんだよ
まあ日本のマーケットでは未だにちょっと古い時代古い作りの「ソシャゲ」がセールス上位に来てることもあるから「変わらんなあ」と思ってしまう人が多いのは分かるんだけど
一番進歩的な二次元、アニメ調、このへんの作品の在り方を正しく評価できる人がいないってことならまさに老害化しているとしか言えんよな
ーーー追記ーーー
これでも中華ガチャの何が優れてるか分からんって人のために一目で設計思想の違いが分かるグラフを紹介しとく
https://starrailstation.com/jp/warp#global 統計サイトだが、ここの中段にある「引く回数別の星5跳躍」に注目
低い基礎確率と確率変動によって獲得周期がコントロールされることでギャンブル性を抑えてるわけだな
ただ中華アニメ調ゲームの本当の良さは中身が作り込まれてること
モバイルというハードウェア制約があってもなおコンシューマを超えるようなゲーム体験がある
さらに運営型であることを最大限に生かしてて更新のたびに、動画公開のたびに、想像以上の感動をくれる
漫画連載やドラマをリアルタイムで追っているときしか味わえない類の感動があるだろう?
そういう要素が運営型オンラインゲームにあることを思い出させてくれたのが中華ゲー
なぜ古いソシャゲにそれがなかったのかというと、ないことはなかったんだが
古いソシャゲは揃いも揃って「イベントを走らせる」。つまり毎日特定の作業に長時間拘束される
そこで消耗してしまい、ゲームが与えてくれる芸術的余韻に浸ってる間もなく性能や効率に向き合わされる
これが(青少年保護に手厚い)中華ゲーにはなくて、イベントで反復的な張り付き周回を求められない
まあスタミナ消化部分は反復になるが、スタミナという上限があるしすぐに終わるようになってて、古いソシャゲほど頻繁なログインが求められない
DAUを上げるために古いソシャゲが執心してた小細工部分を、膨大な開発力によりゲーム本体への魅力を感じてもらうことで持続力に代えて、一定の成功をしてる
確かに劇場わいど、デレぽ等の縮小など、デレステのサービス終了フラグはビンビンです。
一方で、とてもサービス終了するゲームとは思えないような大胆なコラボなども行っており、生存フラグもビンビンです。
度々引き合いに出されるセールスランキングは大陸からのライバルも増え順位が低下しつつも黒字の範囲内でしょう。
「「デレステがサ終する!」と言っている人たちはデレステがサ終するのがそんなに嬉しいのか!」という声もあります。
多くのこの発言をする人は嬉しくはないでしょう。むしろ彼らは嫌だから心配して言っているのではないでしょうか。「南海トラフが来る!備えろ!」って言ってる人が南海トラフ巨大地震を望んでると思いますか?思わないでしょ。(望んでるクズも少数はいそうだけど)
コホン。少しきつく言い過ぎましたね。
正直、私でもデレステはあと1年で終わるのか3年以上持ちこたえるのか予測はできません。ここまで引っ張ってごめんなさい。
仮にデレステがサ終した場合、シンデレラガールズ単独のゲームがビューイングレボリューションだけになります。(コラボならスタマスとかがあるけど)
さらにあかり、ちとせ、千夜、あきら、颯、りあむ、凪の7人にはゲーム上で会えなくなってしまいます。
これは2世代前のゲーム機を引っ張り出さないと主要人物として会えないディアリースターズに近い状態になるということを意味するのではないでしょうか?
先ほども軽く触れた7人の新アイドル、現状になるだいぶ前のことですが、対策、テコ入れとしては一番大きいでしょう。一部の新アイドルは実装当初からボイス付きであったことから登場時に炎上しました。「なんで俺らの担当より先にぽっと出の新人が声をいきなりもらってるんだ!」と批判の声が非常に多くありました。
正直、9.18事件の頃から思っていますがバンナムさんは機嫌取りがものすごいヘタクソです。
新キャラクターの多くは総選挙では上位、もともとボイスがなかったあかり、あきら、りあむも2020年までには全員にボイスが実装されたため、ファンのツボを押さえることに成功しているとしか言いようがありません。(某元アメリカ大統領みたいに出来レースだ不正選挙だと言うアホもいるけど)
また、サービス縮小も営業係数の回復のためにした必要なことなのではないかとも思います。
いいえ、ソシャゲ展開を一切辞めたSideMのように3.0 VISIONはリアルとのつながり、コラボレーション等を全面プッシュしています。これが何を意味するかというと、デレステサ終=シンデレラガールズソシャゲ全滅がシンデレラガールズ終了のお知らせではないことです。
リアルライブ展開ができないことからボイス無し組はもっと不遇になるかもしれません。
しかし、仮に190人の中から切り捨てたりしたら同じアイマスで例えるなら765ASの9.18事件の竜宮小町プロデュース不可、他のゲームならポケモン剣盾以降のリストラ問題みたいに大炎上するリスクは否めません。
ただ、先ほども言った通りバンナムさんは機嫌取りがヘタクソなので平気で切り捨てたりする可能性も20%くらいありそうです。韓国組のリュ・ヘナ、イム・ユジン、ジュニーだって歴史の闇に葬られましたし。可能性を生み出しただけでアウトなんだよ!
デレステがこの先生きのこるためには妖怪ウォッチぷにぷにみたいに節操ないコラボをするのが最善ではないでしょうか。(ちなみにぷにぷににもすいちゃんが出てるよ)そうするとボイス無し組はガシャで出てくるハズレみたいな扱いになってしまうリスクがあります。困りましたね。
尊厳ある死を迎えるためにサービス終了したほうがマシと言う声もあります。ですが、そう簡単に終わらせろなんて言えますかね?
シンデレラガールズはモバゲーでサービス開始した初登場のときには誰一人ボイスなどついていませんでした。2012年のCMで渋谷凛さんが喋ったことを皮切りにシンデレラガールズのアイドルたちにもボイスが実装されることになり、今では半数以上のアイドルがボイスを持っています。
総選挙等でボイスを実装していき、現在ではボイス有りのアイドルのほうが多くなっています。つまり、今までのマジョリティとマイノリティはとっくに入れ替わってしまったのです。
ここでのボイス無しアイドルの扱いは今後の展開の予想において相当重要です。
シンデレラガールズ最大のアドバンテージにして運営にとってのお荷物要素がアイドルの多さでしょう。せっかくの人数の多さを活かすチャンスはあるのに運営がうまく扱えてない気がしてなりません。
シンデレラガールズはCygamesとバンナムの共同運営のためバンナムサイドにお荷物扱いされている可能性があります。一方で今なお人気コンテンツとして稼ぎ頭でもあります。なんとも微妙な立ち位置ですね。
Stage for Cinderella 2022ではイヴ・サンタクロースさんがシンデレラガールに選ばれましたね!
これは非常にめでたいことです。塩見周子さん以来の声無し出身シンデレラの誕生です。
……
ダラダラ間延びすんな、はよ進めろ!
タイトル通り2022年にスタートしましたが、1年以上経った2024年の現在でも完全には終了していません。これにより次の選挙で頑張ろうというモチベーションは低下してしまいます。
また、投票期間も予選グループごとの間が長くその間に熱が冷めてしまいます。
私はそう思わないのですが、イヴさんの勝利はルールの穴によってもたらされたという声もあります。
グループ上位5人はボイス内定の一方、プレイオフ出場者はシンデレラガールになることでしかボイスが獲得できないためプレイオフからの決勝進出者がボイス無しであった場合、声付けのためにそこに票が集まる可能性もなくはないと思います。
シンデレラガールズのファンは総選挙をクソイベだと罵りつつも本音は自覚はないものの自分たち〇〇担当Pの力をアピールする貴重なチャンスとして楽しみにしていたのでしょう。(シャニのPカップ同様血で血を洗う祭りをなんやかんやダイマ合戦とかで楽しんでる)
シンデレラガール総選挙には元ネタと思しきものが存在します。それがAKB48選抜総選挙です。モバマスサービス開始前の2009年から10回行われました。しかしこちらも2018年には終了しています。
また、人気投票系のイベントはTwitter改めXの不安定化により盛り上がりにくくなっています。となるとこれからは総選挙以外で盛り上げる必要がありそうです。(イーロンはインフラを維持している自覚を持て)
ついにPROJECT IM@S vα-livの最終審査が終わり、3人とも876プロ所属アイドルとしてのデビューが決まりましたね!アイマス×投票系イベントはまだまだ盛況を見せています!これはまだまだ人気投票は終わらないということですよ!
第12回シンデレラガール総選挙またはStage for Cinderella 2024はまだなのか、もっと言うならボイスアイドルオーディションをやれ。
とまでは言いませんがデレステがサービス終了した場合どうやってボイスをアイドルたちに実装するのでしょうか。でも、きっとバンナムさんもデレマス全員を大切にしてくれるはずです!夢は夢で終われません!
特定の彼女を作ったりとかは興味なくて、とりあえず可愛い女とやるためにTinderで女漁りしてるけど、34にもなってまだこんなことしてるとは思わなかった。
高校卒業してから女遊びに目覚めて、モバゲー・GREE・mixiで女とヤりまくってたけど今はそれがTinderに変わっただけ。
待ち合わせ場所まで行って会う瞬間のワクワク感と、その日会った女とホテルに行くっていう非日常感が一番楽しい。
さすがに34歳じゃ若い子とマッチしないからアプリでは26歳に設定して会ってる。
ヒゲ脱毛したり化粧したり自分なりに見た目には気を遣ってるが、26歳設定もキツくなってきたと自分でも思う。
パパ活とか風俗とかは手を出した時点で男として失格だと思ってるのでまだ未経験だけど、自力で若い子とヤれなくなったらさすがに女遊びも引退するんだろうか。
モバゲーやグリーはやったことないけど、バキバキに同世代だね!
ゲームはコンシューマばかりで、FF10とかドラクエ7とかやってた!
あとPSPとかね!
セガジーとかディシディアとかゴッドイーターとかクライシスコアとか…
あと遊戯王OCGもやってた笑
女児向けはわたしは東京ミュウミュウとかカードキャプターさくらとか大好きだったよ!
だぁだぁだぁももちろん好き!主題歌両方歌える!!あと2も読んだ!
クレヨン王国よりはどれみちゃんかな。でも紙石鹸のおもちゃは持ってたわ笑
原作はりぼん派だったな!先日ギャルズの続編一気読みしたわwペンギンブラザーズとかダブルピンチとか好きだったな。
中学上がってすぐ部活漬けになってテレビ見なくなっちゃったのよね…
パルワールドのモンスター(パル)がポケモンのパクリだとして主にデザイン関連で様々なお気持ちに晒されている。
アクロバットな無茶な論理での叩き方も多数ある一方、燃えている要因として挙げられてるいる中では「必要以上に意匠が寄せすぎ」「元ネタへのリスペクトの無さ」「元ネタの知名度に乗っかる意図」あたりについてはまあそうかなという印象を受ける。このゲームはPVから先に作っていることも公言してるし少なからずそういう面はあるだろうとは思う。
ところで、アイドルマスターシンデレラガールズというゲームがある。モバゲーがやってたアイマスで、デレマスとかモバマスとか呼ばれ後のデレステとなるゲームである。
このゲームの初期のキャラの多くは既存の何かのキャラクターや人物のパロディだった。
かなり分かりやすい例だと
のように、既存キャラデザに全乗っかりをしているアイドルは結構いる。他にも、
等、アニメ/漫画/ゲームだけでなく生モノの実在の人間を元ネタにしているものもある。
元ネタの知名度をこちらのアイドルの知名度が上回ってしまったものも多い。
これは当時はどちらかというとパロディとかオマージュとしてユーザに気づいてもらうためのデザインだったように思う。
ただ、やっぱり方針が変わったのか、こういったキャラは後からイラストを変えたり出番を減らしたりしていった場合が多い。(ただし人気が出て声が付いてしまったキャラは元ネタがあろうが消えにくくなる)
個人的にはパルワールドもデレマスもデレステも結構プレイしているのでどちらにも肯定的だけど、パルワールド基準で行くとこの辺も燃えてもおかしくなかったように見えてしまう。
ポケモン複数体の融合とかですら無く単品の元ネタのものは多く、マーケティング目的で他所のキャラデザを節操なく使っており、銃は出てこないにせよ特に元ネタに忠実な動きをしないキャラは多いし(逆に設定を他所からコピーしてる場合もあるけど)、後からフェードアウトさせるのにも開発側の後ろめたさを感じる。
だが、こちらは(少なくとも見えてる範囲では)そんなに大きな問題になることもなく、いい感じに洗浄に成功したように見えるのが興味深い。
等いろいろ考えてしまう。勝因/敗因はどのへんにあったんだろうか。
エリートって正面突破で物事をやろうとするよな。自作ニューラルネットライブラリを作ったりとか、GPUを自作したりとか。
俺は以前「ソフトウェアとレバレッジ」という記事を書いて馬鹿にされた者だが、正面突破系の連中はマジでリスク概念を持っておいたほうが良いぞ。
アンチパターンと一見見えるかもしれないが、モバゲーやGREEが一斉を風靡した時代、投資コストが非常に低いのに莫大な利益をもたらすことが業界でわかっていたはずだ。
正面突破も確かに魅力はあるかもしれない。つまり技術優位性を確保できるということだ。そのような技術に投資する他国がいないので有利になる可能性があるということだ。
しかし、ソフトウェアというのは効率の産物だ。一度作ったらそれを様々なところへ配布できることに魅力がある。
システムを開発して、一回きりで終わりというのではレバレッジは効かない。特定の汎用システムを作り、世界中へ配布してこそレバレッジが効くのである。
しかも作ったソフトウェアは無制限にコピーできるので、物理製造よりも圧倒的にレバレッジが効く。
そもそも、金融においてレバレッジとは、他人から借りた資産と自分の資産の比率のことである。
ソフトウェアにおける一つのレバレッジの形態は、フリー・オープンソース・ソフトウェア(FOSS)ライブラリを使用することで、開発者は他人のコードを活用し、より少ないコードベースで提供される機能を倍増させることができる。
あるいはブログプラットフォームのレバレッジはわかりやすいかもしれない。コンテンツをユーザーに作らせ、そこに検索エンジンからのアクセスを獲得する。そしてプラットフォームシステムの提供者は、広告を載せることで利益を獲得する。
これは「コンテンツの作成をユーザーに肩代わりする」という形態のレバレッジである。一度プラットフォームが有名になり、誰もが使うようになれば、非常に低い労働コストで高い利益を獲得することができる。
なにより、広告産業のレバレッジは最も魅力的な形態だろう。インターネットを通じて広告の効果は極大化される。
手の込んだFF14のようなオンラインゲームというのはGREEなどと比較すると正面突破的であり、レバレッジの世界ではないかもしれない。