職業として研究職を目指さないひとが、アカデミックな議論に関心を持つときの「持ち方」にはどのような種類があるのだろう。自分の来し方行く末踏まえて、そのうち整理してみよう。
2010-10-02 15:25:37ハッシュタグつくろう! “@otya_uke: 職業として研究職を目指さないひとが、アカデミックな議論に関心を持つときの「持ち方」にはどのような種類があるのだろう。自分の来し方行く末踏まえて、そのうち整理してみよう。”
2010-10-02 15:47:13承知しまった。よければ乗っかってください @contractio: ハッシュタグつくろう! “@otya_uke: 職業として研究職を目指さないひとが、アカデミックな議論に関心を持つときの「持ち方」にはどのような種類があるのだろう。そのうち整理してみよう。”
2010-10-02 17:02:58立ち位置が微妙。研究職目指していないわけじゃないし、かといって研究職と無縁な場所で働いている。参考にできるのか? RT @otya_uke: 職業として研究職を目指さないひとが、アカデミックな議論に関心を持つときの「持ち方」にはどのような種類があるのだろう。
2010-10-02 21:42:03O田さんは別クラスタですw “@mskota: 立ち位置が微妙。* RT @otya_uke: 職業として研究職を目指さないひとが、アカデミックな議論に関心を持つときの「持ち方」にはどのような種類があるのだろう。”
2010-10-02 21:46:40むしろ逆の方が分類しやすい。 RT @otya_uke: 職業として研究職を目指さないひとが、アカデミックな議論に関心を持つときの「持ち方」にはどのような種類があるのだろう。
2010-10-02 22:54:19ありがとうございます、でいいのか RT @contractio: O田さんは別クラスタですw “@mskota: 立ち位置が微妙。* RT @otya_uke: 職業として研究職を目指さないひとが、アカデミックな議論に関心を持つときの「持ち方」にはどのような種類があるのだろう。”
2010-10-02 23:10:39@mskota ありがとうございます。境界ケースのご指摘、重要ですね…。今後あらためて検討できればと思います。「お前のまとめは現実を1ミリも踏まえていない!」など、至らない部分があれば是非ご指摘くださいね。
2010-10-03 13:25:36昨日のこのついーと( http://bit.ly/coBM4L )について「ハッシュタグきぼんぬ」とのご用命をいただきました。いろいろ悩みましたが、「ワークライフバランス」ならぬ「ワークアカデミックバランス」を考えるという意味で #wab と表記します。
2010-10-03 14:14:06#wab これから、職業として研究職を目指さないひとが、アカデミックな議論に関心を持つときの「持ち方」についてちょっくら考えたいとおもいます。このテーマを話題にしたいと思ったのには、2つの背景があります。(以下、だ・である調にて失礼)
2010-10-03 14:14:51#wab A、内発的関心。わたしは現在民間の会社で働きながら、休日は研究会や学会などに参加する、いわゆる「休日研究者」である。専攻は社会学だったが、先達としては @contractio 氏などが有名だろう。
2010-10-03 14:15:07#wab 社会に出ると、学生時代と環境が一変するため、学部・修士時代の関心をそれまで通り維持するのは難しくなる。学会報告・論文提出など、学んだことのアウトプットも義務づけられていないため、基本的に研究会・学会などへの参加はすべて「自由意志」によるものとなる。
2010-10-03 14:15:29#wab しかし「自由意志」であっても限られた休日を(一見実益のない)研究に捧げるのは、本人が言語化できているにせよ、いないにせよ、アカデミックな議論になんらかの「こだわり」があるからだろう。「こだわり」の内容は人それぞれだだろう。
2010-10-03 14:15:38#wab ただし、「こだわり」がどのようなもので、当面の間どこに向けていきたいか/いけるかをあたう限り自覚できれば、今後「休日研究者」としての活動にもよりハリが出るだろう(ハリを出したくないときにも、スムーズにスイッチをオフできるだろう)と思ったこと。
2010-10-03 14:15:47#wab B、関心の「持ち方」にそのひと固有の「学問観」が反映されているように思えたこ。たとえば学部時代に社会学を専攻していたが、院に進まず一般企業に就職した人々から自分自身が「社会の現実をたしかめたかった」「実践的なフィールドワーカーになりたかった」という話をよく聞く。
2010-10-03 14:16:16#wab ここには(主張が正しいかはともかく)「社会学やってたって、しょせん社会と乖離していくだけなんじゃねぇの」という思いが透けて見えないこともない。アカデミックな世界の外側にある「学問観」から、世間一般が学問に期待するもの/しないものを逆照射できるように思ったこと。
2010-10-03 14:16:24#wab 「職業として研究職を目指さないひとが、アカデミックな議論に関心を持つときの『持ち方』」は<1、職業として研究職を目指さないひと><2、アカデミックな議論に関心を持つときの『持ち方』>という2パートの組み合わせで成り立っているように思う。以下、両者について考察していこう。
2010-10-03 14:16:43#wab <1、職業として研究職を目指さないひとについて>→そもそも「研究職」を目指さない、とは何を意味するのか。ここでは「研究職」に就くことを、「ある専門領域を研究することで、対価としての金銭をもらう『プロ』になること」だと考えよう。
2010-10-03 14:17:00#wab じゃあ「プロ」ってなによ、という話になるのだがその問いにはここでは深く踏み入らない。ひとまず「アカデミックな世界で評価を受ける」という、ふんわりした定義を与えておこう。
2010-10-03 14:17:19#wab ではこの前提に立ったとき「研究職を目指さない=アカデミックな世界での評価を期待しない」人々は、どのような背景を持つのか。以下、3種類に分けてみたい。
2010-10-03 14:17:27#wab 1-1、元々研究職を目指していたが、諸事情により別の道を行った人々(入院経験者など)/1-2、いままでも、これからも、研究職を目指したことのない人々(編集者など)/1-3、研究職を目指していないわけではないが、諸事情により別の仕事についている人々など
2010-10-03 14:17:35#wab ※当初、わたしは1-1、1-2のみを想定していた。1-3に該当するひともいるという指摘を受け(参照: http://bit.ly/cZLPFv )、1-1や1-2から「あぶれる」人が出てしまうることはそれ自体1つの問題軸になるのではないかと思われた。
2010-10-03 14:18:05#wab ただし、1-1~1-3の境界を論じていると本題から逸れそうなので、今回は1-1、1-2をメインに考えたい。1-3についてはまた別の機会に検討させてほしい。(ただ、背景は1-3であっても、関心の内実は2に該当するケースもあるかもしれないので、参考になるとうれしいです)。
2010-10-03 14:18:43#wab まずは1-1から。「諸事情により別の道を行くことにした」にはさらに1-1-a:外発的要因(経済的事情、パワハラなど)と1-1-b:内発的要因(パート2を参照)に分けられる。
2010-10-03 14:19:05