ボクシング拳坤一擲BACK NUMBER
「背中がぶち破れそうな衝撃」豪腕バレロのボディで「水を吐き出しました」…“異次元の怪物”に挑んだ嶋田雄大の証言「パッキャオ戦を見てみたかった」
posted2025/03/11 12:22
2008年6月12日、日本武道館でWBA世界スーパーフェザー級王者エドウィン・バレロと拳を交える挑戦者の嶋田雄大
text by
渋谷淳Jun Shibuya
photograph by
JIJI PRESS
「自分が勝って日本のボクシングを盛り上げます」
嶋田がバレロに挑戦したのは2008年6月12日、会場は日本武道館だった。前回、本望信人が世界挑戦まで時間を要したエピソードを紹介したが、世界挑戦までの道のりは嶋田も同じく長かった。
「数年は世界戦を決めることに一生懸命でしたね。世界戦の交渉は通常ジムがするんですけど、僕は自分でやったほうがいいのかなと思って、帝拳ジムの本田会長に何度も手紙を出したんですよ。『お願いします。自分が勝って日本のボクシングを盛り上げます』くらいのことを書きましたね」
嶋田は2002年、3度目の挑戦で日本ライト級王座を獲得し、5度の防衛に成功した。4度目の防衛戦で無敗の稲田千賢を退け、スーパーフェザー級で日本と東洋太平洋王座に就いた長嶋健吾にも勝利した。「国内最強を証明した」と感じた嶋田はタイトルを返上、世界に照準を絞った。ところが1階級下のスーパーフェザー級まで広げてみても、世界挑戦は杳として決まらない。嶋田は3年半、いわゆる調整試合を7試合もこなした。
ADVERTISEMENT
「今思えば勢いが止まってしまったところもなきにしもあらずですが、世界戦ってそう簡単に決まるものじゃないですから」
こうしてようやく決まったのがバレロ挑戦だった。このとき36歳、勝てば日本人の世界王座獲得の最年長記録を更新する年齢だった。2017年に閉鎖となった名門、ヨネクラジムの米倉健司会長からかかってきた電話は今でもはっきり覚えている。
「会長がバレロと決まったって言うんですよ。あれだけ必死にアピールしてましたからね。うれしかったんですけど、ヤバイなとも思ったんですよ。『本当に決まっちゃった』みたいな感じもありました(笑)」