論評
共通認識が形成されつつあるようです。ほんの数年前まで私たちが知っていた文明が衰退しているように見えています。生活はますます哲学者トマス・ホッブズの有名な表現にある「孤独、貧困、卑劣、残忍、そして短命」といった特徴を帯びてきているようです。
おそらく、皆さんもこれに同意し、何か対策を講じたいと考えていることでしょう。しかし、何をすれば良いのでしょうか?
私たちは数十年にわたり、生活の多くの分野で進歩を遂げてきました。しかし、過去4年間は、劇的な変化が続き、適応するのが難しい時期だったのです。
かつて、変化は一般的に良いこととされていました。より良い技術、より良い情報、より良いツール、そしてより多くの機会。しかし、「グレートリセット」以降、「変化」という言葉の期待や意味合いが変わってしまいました。どんな変化であれ、それは悪化し、質が低下し、さらに堕落する方向に向かうものだと予測されています。
これは一般論ですが、あなたもこれが不思議なことに当てはまると感じていませんか? 最も明らかな例は価格です。価格が下がり、品質が向上することはありません。常に逆で、商品やサービスの価格は上がり、同時に品質は悪化しています。
そうした現実に囲まれていると、日常の出来事や選択に影を落とし、私たちの世界の見方に、影響を与えます。夜明けを期待するか、それとも暗闇を期待するかを決めるのは現実であり、このような見方は何らかの形で自己実現する傾向がありますね。
最近、私は衰退を食い止めるための小さな方法について考えています。
もう少し詳しく見てみましょう。
私の町には、グアテマラ出身の親切な女性が経営する小さなパン屋があります。彼女は毎日、完璧なクッキーやペストリー、ブラウニー、パン、フルーツタルトを作っています。この小さなビジネスは、奇跡的にロックダウンを乗り越え、伝統を守りながら、現在でも非常に高い品質を保ち、価格も比較的低く抑えられています。
私は何年もその店に通い、いつも挨拶程度のやり取りをしていました。しかし、それだけでした。
ある日突然、この店が世界において特異な存在であり、全ての人に高い基準と品質を提供していることに気づきました。今の状況を考え、突然この店の閉店を想像してしまったのです。そうなる根拠は全くありませんが、ただそう想像したのです。
そのため、私は彼女の店が存在することがどれだけ素晴らしいか、彼女の食べ物がどれだけ美味しいか、彼女がどれだけ感謝されているかを伝えることにしました。また、レビューサイトでも同様のことを書いて、他の人にもこの店のことを知ってもらいました。些細なことかもしれませんが、もし日々がますます困難になっているならば、私の言葉が少しでも彼女に自信を持たせる助けになるかもしれないと思いました。
それが何か変化をもたらすかどうかは分かりませんが、しかし、あるかもしれません。根本的な財政や消費者需要を改善することはできませんが、小さなことでも、精神的なサポートを提供できるかもしれません。
このことは誰でもできます。
皆さんはお店の人に十分感謝していますか? 良いサービスを提供してくれる方に、流ちょうな日本語で話し、一生懸命働き、素晴らしい仕事をしてくれたことに感謝の意を示していますか? 隣人に対して、良い隣人でいてくれることに感謝の意を示していますか? 身近な人が困難な状況にあるときに同情を示していますか? ホテルやレストラン、劇場などが(業界の)衰退に負けぬよう頑張っているときに、それをほめているでしょうか?
そうすべきです。それは小さなことですが、人々の生活に違いをもたらします。私たちの意見と声の重みで、人々が行う良いことを支持し、周囲で起こっているすべての悪いことをただ嘆き、非難するだけではなくなるのです。
一方、先日、歴史的に重要な大規模な芸術会場(名前は伏せます)に行きました。そこでは新たに「主階の大きなトイレがすべてのジェンダーに対応するように改装され、男性と女性が一緒に並んで同じ部屋に入り、様々な個室を交代で利用する」という機能が導入されていました。これは唯一の選択肢のようでした。
断言できますが、利用者全員が非常に動揺して、気味が悪く、混乱し、口を閉ざし、静かに怒っていました。誰も誰とも話さず、鏡の前で自分の身だしなみを整えたり、長居したりする人はいませんでした。皆、大慌てで出入りしていました。
誰もが何を考えていたのかは明らかでした。「男性と女性を区別することが政治的に容認できない時代になるなんて、いったい何が起こっているのか?」と。
私は他の人と同じように怒りを感じるのではなく、メモを書くことにしました。確かに、少し手間はかかりましたが、劇場の行為は顧客の希望に反するものであると説明しました。彼らは生物学的な現実を政治的な主張に変えてしまったために、あらゆる伝統的傾向や宗教的傾向のある人々を激怒させるリスクを冒しています。これは何の役にも立ちません。ジェンダーフルイド(時間の経過や状況に応じて変化する固定されていない性同一性のこと)の選択肢を提供することは一つのことですが、それを唯一の選択肢にするのは別の話です。
私のメモは怒りを込めたものではなく、ただ彼らに知らせるだけのものです。これが効果をもたらすかどうかはわかりませんが、私のメモが他の何百通もの手紙と合わさって、顧客に対するより多くの尊重を促す変化をもたらすかもしれません。明らかに、この大手機関は、少数のグループにわずらい、操作されて、まったく非常識なことを導入させられました。なぜ彼らは屈服するのでしょうか? 相手側にそれを止めるのに十分な人数がいなかったからです。
私は、小さな方法で声を上げなければ、衰退は確実に進行し、何の抵抗もなく続いていくことに気づきました。抵抗するためには、誰かが行動を起こす必要があるのです。
同時に、私は再び、良いサービス、礼儀正しい振る舞いや服装、品質へのこだわり、卓越性への真摯な取り組みといった「良き生活」にふさわしい価値観を守る機関を評価するようになりました。こうした例に出会ったときには、それを称賛することが相応しいのです。
消費を、自分で厳選し、衰退にあらがおうとしていると思われる人々を支援することも一つの方法です。たとえば、ビルを修理している建設労働者や、道路を渡る誰かの手助けをする人、電車でお年寄りに席を譲る人、飛行機荷物運びを手伝う人など、何でも構いません。
友情や社交の場においても同じです。良いものを支援し、悪いものを避けます。こうして私たちは支え合い、再建していきます。
さらに、私たちみんな、これらのことは自分自身で行うことができます。組織の創設者やテレビで有名な活動家になる必要はありません。日常生活の中での小さな選択で、より多くの善行を行うことができるのです。
衰退への姿勢に屈せず、夜の暗さが次に来ると決めつけるのではなく、そのような事態を防ぐための決意を持って、人生を歩んでいくことができます。小さなことからでも、私たちは皆、何か行動を起こすことができます。そして、それらの小さな行動が大きな変化をもたらす可能性があります。
世界をより良くしようと努力している人々のサインに目を向けると、そうした人はあらゆる場所にいます。時には、彼らを支持するために声を上げるだけで、良い流れを維持するのに十分なこともあります。良い行いには報いを、悪いことには立ち向かいましょう。誰もが日々の小さな行動でこれを実践できます。
確かに、世界を救うためには、もっと大きな変化が必要です。何よりも、自由と権利に対する新たな尊重が必要であり、それには劇的な政治的変化が求められます。しかし、それを頼りにはできませんし、大きな変化は小さな変化から生まれます。私たちが制御できる生活の側面があり、ここでは誰もが、変化の一部となることができます。
この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。
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