輝くような美貌の持ち主・光源氏と女性たちが織りなす恋愛絵巻――「源氏物語」を読んだことがない人でも、そんな雅やかで華麗なイメージは持っているでしょう。しかし、実は病気、死、暴力、抑圧、貧困といった、現代にも通じるリアリティが詰まった物語である、と古典エッセイストの大塚ひかりさんは解き明かします。
大塚さんの新刊『傷だらけの光源氏』は、そんな独自の視点から「源氏物語」をとらえ直した一冊。浮かび上がってくるのは、キラキラと浮世離れした王侯貴族としてではなく、生身の人間としての光源氏。
同書の刊行を記念して、2024年4月にジュンク堂書店池袋本店でトークイベントが開催されました。ゲストは、コラムニストの辛酸なめ子さん。皇室マニア、心霊好き……アンテナの範囲がハンパない辛酸さんにとっての、「源氏物語」とは。
第1回目は、生身の身体を持つから病みもするし、抑圧されたら抗いもする“源氏物語のヒロイン”について、話が弾みました。
【第1回】病む姫君、身代わりの人生に抗うヒロイン
大塚:辛酸さんとは、もう10年以上前になりますが、『週刊 絵巻で楽しむ「源氏物語」』シリーズでご一緒して以来ですね。
辛酸:1年間、大塚さんと倉田真由美さんと私で、「源氏物語」についてお話をしました。
大塚:辛酸さんのお話、いつもとても面白かった!
辛酸:私も大塚さんの新刊『傷だらけの光源氏』、興味深く拝読しました。いままで完全無欠の、貴公子中の貴公子だと思っていた光源氏が、タイトルにあるように実は“傷だらけ”……年を取ってからは女性にちょっと嫌われて、最終的に寂しく亡くなったと知って、すごく人間らしくてリアルだと感じました。
大塚:「源氏物語」は、リアリティに満ちているのが特徴なんですよ。それ以前の物語はそうではなく、たとえば「源氏物語」が影響を受けたと思われる「うつほ物語」でも、主人公が病気になることがほぼなくて、せいぜい脚気(かっけ)ぐらい。そして死なないんです。
辛酸:「源氏物語」では主人公以外も、いろんな病気にかかっていますよね。
大塚:病気どころか、人がばたばたと死んでいきます。登場人物の病気や死をきっかけに物語が展開するというのは、小説を書くうえでのひとつの手法ですが、同時に、生身の人間が描かれているんだとリアリティを感じさせてくれる要素でもあります。
辛酸:病気や怪我の恋人を看病して、その弱っている姿にときめくというのは、タイのBLドラマに通じるものがあると感じました。ケアをして関係が縮まるというシーンをよく見かけます。それが日本では平安時代にすでに描かれていたんですね。
大塚:それは、はじめて知りました(笑)。光源氏も、正妻の葵の上が出産後に衰弱した姿を見て、はじめて心が近づくのを感じたんですよ。それまで気が強そうな一面しか知らなかったので……でも、その直後に葵の上は亡くなってしまう。
源氏物語でなければ、理想のヒロイン
辛酸:〈宇治十帖〉では、亡くなった姿、つまり遺体を見て美しいと思うシーンもあるんですよね。髪を撫でたりして、慈しむ。美しいけど、怖いシーンですよね。
大塚:大君(おおいぎみ)に死なれた薫が、「蝉のぬけがらみたいに、このままずっと亡骸を取っておいて、見ることができたら」と思うんですよね。大君の遺体が、薫の視点を通してつぶさに描かれています。
辛酸:当時は、死体を見る機会がそんなにあったんですか?
大塚:多かったと思いますよ。葵の上が亡くなったときも、すぐには埋葬しないんです。当然、徐々に腐敗していきます。現代の感覚からすると驚きますが、当時は「まだ生き返るんじゃないか」という希望があったから、一定期間は身近に置いておいたのでしょうね。
辛酸:医師が心電図を見て「ご臨終です」と判断するわけじゃないから、本当に死んだかどうかわからないですもんね。
葵の上といえば、ネットニュースで「源氏物語でいちばん好きな女性は?」というアンケートがあって、なんと1位にランキングされていたんですよ。
大塚:ちょっと意外ですね! これまでは、六条御息所や紫の上が上位だったんですよ。
辛酸:理想の姫君、という理由が多かったかな。
大塚:葵の上は、「源氏物語」以前の物語では、典型的なヒロインタイプなんです。家柄のいいお嬢さまで、美しい。まさに正妻にふさわしい女性像です。「うつほ物語」のヒロイン格、あて宮(みや)もそのタイプで、後に天皇家に入内します。あて宮も葵の上も気が強いですよね。当時、これは美点とされていました。つまり葵の上は、「源氏物語」でなければヒロインになる女性なんです。あんなお姫さまがある意味、ちょっとした憎まれ役となり、あっけなく死んでしまうのも、「源氏物語」ならではなんですよ。
運命に抗った、ラストヒロイン
辛酸:『傷だらけの光源氏』第4章に「自分の体を取り戻す女」として浮舟の自殺未遂とそこからの生還について解説されていましたが、とても感動的でした。死と、再生。行きついた先で新しい生き方を見つけるって、現代のヨーロッパ映画にありそうなテーマですよね。
大塚:浮舟が出てくる〈宇治十帖〉は、現代小説のようだと私も思います。ずっと母親の言いなりで、その後は大貴族の男に好きなようにされ、踏みにじられつづけた女が、身投げを経て、家族とは別の疑似家族のような人たちと生きていく。“#MeToo”の要素もありますよね。
辛酸:はい、男性の言いなりにならずに生きていくという意味で。
大塚:助けてくれた尼僧は浮舟に親切なんですが、「死んだ娘の再来」という当初からの思い入れが強くなって、娘婿と添わせようとします。娘婿も接近してきて、しまいには「私のものにしてしまおう」と思われるようになる。
辛酸:そこからは逃げられたんですか?
大塚:そのあとがどうなったかは描かれていないんです。浮舟が生きているらしいと知った薫から手紙がきても、浮舟は「人違いでは?」と返し、薫は薫で「きっとまた、どこかの男に囲われているんだろう」と思う……と、すれ違ったままで物語が終わるので、〈宇治十帖〉は“尻切れトンボ”といわれることもあるんですが、これも、フランス映画みたいですよね。
愛した女の代わりにされるヒロインたち
辛酸:浮舟は、身代わりの女にされることに、最後まで抗ったように見えました。
大塚:「源氏物語」には、同じ主題がくり返し描かれるという特徴があって、そのひとつが“身代わりの女”です。光源氏の父である桐壺帝は、愛してやまなかったのに死んでしまった桐壺更衣の代わりに、藤壺中宮を愛しました。光源氏は母・桐壺更衣の記憶がなく、周りから「母に似ている」と聞いた藤壺中宮に憧れ、密通してしまう。でも藤壺中宮は父の正妃だから、自分のものにはならない。代わりに彼女とよく似た紫の上を拉致同然に連れてきて、妻にします。
〈宇治十帖〉でも、大君は薫に想いを寄せられながらも拒絶し、やがて死んでしまいます。薫はその後、大君の異母姉妹である浮舟と関係しますが、それは露骨に"形代(かたしろ)"としてだったんですよね。
辛酸:身代わりといってもまったくの他人ではなく、血のつながりがある人を選んでいますが、それは遺伝子的に惹かれるものがあるから?
大塚:どうなんでしょうね。当時の貴婦人は、親きょうだい、夫以外に顔を見せなかったので、「似ている」ということが、いまよりずっと重要な情報として受け止められていたのかもしれません。似ていると聞けば、たしかめたくなりますよね。
(構成◉三浦ゆえ)
本連載は毎週金曜日更新の全4回となります
プロフィール
大塚ひかり(おおつか・ひかり)
1961年横浜市生まれ。古典エッセイスト。早稲田大学第一文学部日本史学専攻。『ブス論』、個人全訳『源氏物語』全六巻、『本当はエロかった昔の日本』『女系図でみる驚きの日本史』『くそじじいとくそばばあの日本史』『ジェンダーレスの日本史』『ヤバいBL日本史』『嫉妬と階級の『源氏物語』』『やばい源氏物語』『ひとりみの日本史』など著書多数。趣味は年表作りと系図作り。
辛酸なめ子(しんさん・なめこ)
1974年東京都生まれ、埼玉県育ち。漫画家、コラムニスト。武蔵野美術大学短期大学部デザイン科グラフィックデザイン専攻。在学中から執筆活動をスタート。最近の著書に『女子校礼賛』『無心セラピー』『電車のおじさん』『新・人間関係のルール』『辛酸なめ子の独断!流行大全』『辛酸なめ子、スピ旅に出る』『大人のマナー術』『煩悩ディスタンス』などがある。