文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年4月26日】
一、安定した心と二つの考え方
昔、私は地方の同僚Lに省都市にある会社を辞めて、彼らの地方の会社に勤めるようにと薦められたことがあります。彼は私の夫にもWeChatにメッセージを送り、私たち夫婦二人の入社を待ち望んでおり、彼の会社の社長も誠意に満ちています。その社長は以前、私をクビにしたことがありますが、今は後悔しているそうです。
彼が何度も勧めるので、偶然ではない、これは師父が、私を呼び戻しているのではないかと思いました。娘に私の考えを伝えたところ、娘は「邪魔の可能性もあるのではないか。両方の可能性がある」と言いました。娘が省都(しょうと。中国の省の首都)に行きたがっているのを知っていたので、彼女の話は気になりませんでした。ただ心の中では、一つのことにどうして相反する二つの考えがあるのだろうと思っていました。どちらが正しいのか、どうやって見分けますか?
今日、明慧ネットの交流文章を読み、ふと、このような事態を招いたのは、自分の心に問題があると気づきました。私は「省都に来たのは間違いだった? 地元に帰りたい」と、毎日考えていたからです。この心がこのことを引き寄せました。そのとき、同修の蘭姉さんが数日前に、私に言った言葉を突然、思い出しました。「なぜ、省都の修煉者の全体を見つけられないのか? あなたが自分の心を決めてないのに、師父はどうやってこれを手配してくださるのか?」と蘭姉さんの言葉は、とても印象深く残り、その言葉は蘭姉さんが言ったものではなく、師父が私を悟らせるために行ってくださったような気がしました。しかし、その時はまだよく理解していませんでした。今、その言葉が頭の中で蘇り、瞬時に悟りました。師父は、私に自分の不安定な心を見つめなさい、ということを悟らせてくれました。あれこれと悩み、あれこれと怖がり、いつも人心を手放せず、歩みたい道を歩めないからです。
そして私は、突然現れた一つの出来事に対して、なぜいつも正反対の2つの考えを持っていることにも気づきました。 それは実に、2つの正反対の考え方だったのです。ひとつはポジティブ、もうひとつはネガティブです。私たちは宇宙で最も正しい生命体であり、前向きな思考を確固として持ち続けなければなりません。そうすれば、ネガティブな思考や邪悪な生命、迫害は私たちの存在する空間には存在しなくなります。
先日、某都市の本社に職場の幹部数名と出張に行ったときのことです。彼らの目の前で鉄道警官にカバンをひっくり返されるほど所持品を調べられ、挙句に同僚のカバンも調べられました。最初は本当に悲惨で、いろいろな心配事が一緒に出てきましたが、結局、悪いことが良いことに変わり、私は突き動かされるように前に進むことができました。同僚に法輪功迫害についての真相を伝えることができ、そして、邪悪は製鋼炉の中の石炭のように自らを消費しながら、私たちを取り囲むしかなく、手段も手だても無くなったと感じました。
ある駅で、4人の警官に連れられてカバンをひっくり返すほど調べられていた時、突然、彼らの善の心を呼び覚ましたいと思いました。そして、私は「君たちも大変だね」と言うと、彼らが私のカバンからお菓子を取り出した時、私は笑顔で「食べてください」と言いました。彼らは食べないと笑いながら、これはただの抜き打ち検査で、それ以上のことはないと言い続けました。
私はその場を離れるとき、「あなたたちが何を探しているか知っています」と微笑んで言いました。 すると、ある警官が考えをなくしたかのようにボーッとして、私を見ているのが分かりました。
この数日間、私はこの時の自分の行動が正しかったのか、そうではなかったのか、よくわかりませんでした。しかし、この文章を書いている時、ふと、彼らに善の心を呼び覚ますことは、師父からの示唆だと理解しました。 なぜなら、彼らは口では迫害していることを認めませんが、みんな心の中では、私が大法弟子であることを知っています。そのような扱いを受けても、まだ彼らに優しく、温かく接したので、彼らはきっと考えることでしょう。 彼らはテレビでたくさんの嘘の情報を耳にしていますが、「百聞は一見にしかず」という諺があります。私の行動が彼らの考える機会となるなら、これは彼らの救いの始まりなのかもしれません。また、あまり気にしていなかった鉄道職員にも、いろいろな方法を使って法輪功迫害の真実を伝えていこうと、同修に呼びかけます。
その日の夜、身分証明書と顔認証が必要なホテルに宿泊しました。大手のホテルでしたので、室内検査を恐れて、また不安になりました。やっとこのホテルは室内検査をしなくなったのに、翌日の空きがなく、別のホテルに行かなければならず、再び心が苦しめられました。 何度か翻弄された後、自分の考えに直面して、「何を恐れているのか? 怖いのは私ではない、恐れているのは私ではない。私は正しい。彼らが私を恐れているのだ」と気づきました。その時の正念は、迫害当時ほど強くはなかったかもしれませんが、迫害から20年以上経って、ようやく再び、正念を取り戻したことは喜ばしいことです。
同時に、これは冒頭に述べた正反対の二つの考えです。一つは恐怖心、それに慣れきっています。もう一つは正念、平然として心が動じません。マイナス思考から脱却して、大法の修煉の中で、本当の自分を見つけられるかどうかです。 また、子供が学校に行くために、省都の警務室で住民証を作りました。その時、心の中は不安で、落ち着きませんでした。しかし、現在、確固たる意思を持って、(堂々と、修煉の道)を前に進んでいます。
二、完全に他人のために
それは完全に他人のためである、ということが、少しずつわかってきました。
数年前、夫は宝くじを買い、高利貸しで多額の借金を作ってしまいました。その時、私は涙を拭いながら心を放下して、彼と一緒にそれに向き合いました。彼を自殺願望から引き戻し、仕事に就くように勧めました。また彼と一緒に仕事上の困難に立ち向かい、私が家族と高齢者を支えるためにお金を稼ぎながら、彼に自力でゆっくり借金を返済させ、彼に寄り添い励ましました。その時、私のやり方が多くの人の心を感動させ、自分の心も根本から変わったと感じました。しかし、後からそのことを振り返ると、自分のやったことがあまり良くなかったと思うのです。自分の心性を向上させないといけないと気づきました。
現在、私のお金は夫の借金の返済のために全て当てていて、一切、手元に残さないようにしています。彼が賭け事でまた負けたらどうしよう、という心配もなくなりました。将来、年金がもらえなくなったらどうしようかという心配もしなくなりました。また、子供が学校に行くのを心配することもありません。私の借りは堂々と返します。
そして、あいまいな態度で心を放下せずに、いつになったら借りを完済できますか? 早く返せば、早く歩けるようになります。人心を抱え続ければ、後の道を歩くのがもっと辛くなります。同時に、今までの心配はすべて人の観念であり、師を信じず、法を信じないことの現れであることに気づきました。
師がいて法があるのに、まだ何を恐れますか? 私は今、彼の借金を返し、正しい道を歩む手助けをすることに専念しています。また、私は子供とともに法を学ぶために、毎週省都と地方を往復していますが、往復の交通費に200元かかります。そのお金は、子供の修煉のため、同修と一緒に法を学ぶために使うべきものです。自分のことは一切考えず、自分の私利私欲を完全に捨て、完全に人のために捧げます。そうすると、突然、縛られていた縄から解放されたように、不安や心配がなくなり、ほっとした気持ちになることがわかりました。
私のため、自分のためにという心は、実は足かせであり、縛られて、とても疲れるということを発見しました。以前は、人のために「(行動)する」だけでしたが、今は完全に他の人のために「考える」ようになっていました。
三、法で人間を正す為の使命
省都の会社で働き始めて、半年以上が経ちました。勤めたばかりのとき、社長が私に頭を下げて、「私たちは皆、あなたを頼りにしています」と言われたことに、私は驚きました。最初に来たときは大変でしたし、病業の反応もたくさんありました。これらはすべて、人を救うことを阻む邪悪の妨害だと気づきました。 私は仕事をしながら、同時に学法をしなければなりません。邪悪の妨害に直面しても立ち向かい、衆生を救う一心で、少しずつ自分をしっかりと歩ませてきました。
当初は、真実を知らない人が多かったのですが、今はすでに一部の人を中共から脱党させました。 仕事も軌道に乗りつつあります。師父が助けてくださっている、神様が助けてくださっていると実感しています。同僚たちは、社長がなぜこんなにも私を信頼しているのか不思議に思っています。 以前は、会社の中枢である研究開発部門の責任者と社長の同級生だけを社長は信用していました。それが今では、すべての秘密を私に教えてくれ、また、あれもこれも覚えさせられました。最初は奇妙に思っていましたが、その後だんだん気持ちが大きくなりました。 私はこの心が良くないと気づき、「すべて師父の按排だ」と自分に言い聞かせて、すぐに取り除きました。 今、法がこの世を正す時期にさしかかり、私たちは師父に従い、常人社会で率先して行動しているのだと理解しています。私たちの会社の主な事業はライフサイエンスで、会社は非常に急成長しています。
実際、一人でいるとき、辛くてどうしようもないと思うことが多々あります。まったく道が見えずためらう時、一歩でも踏み出せば、前に道が出てきます。私たちは大法(法輪大法)に導かれ、法を実証する神へと昇華する道を開拓していると分かりました。
個人の少しの修煉体験であり、次元にも限りがあり、法理に合っていないところがあれば、慈悲深いご指摘をお願いします。