発正念の威力を体得
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文/河北省の大法弟子  

 【明慧日本2023年4月24日】私は幸運にも1997年に大法を得て、そこから返本帰真の道を歩み始め、今に至り26年たちました。

 2002年4月、私の地区の公安国内安全保衛部門が、大法弟子の大規模逮捕を始め、私も連行されました。私は信仰を放棄しないので、不当に12年の判決を下され、当地の留置場に監禁され、保定区満城刑務所、石家庄女子刑務所で迫害され、その期間各種の非人道的な苦しみを経験し、三度不明な薬物を投与されました。

 2014年、私が石家庄女子刑務所で不当に監禁されていた期間、ある日の面会日、警官は刑務所の200人余りの人にテレビを見させました。それは師父と大法を中傷し、邪党を宣伝するものでした。最初私はただ発正念をして邪悪を解体しました。しかし心の中で「私は法を正す時期の大法弟子で、大法を守るのは私の責任であり、衆生を救い済度するのは私の使命だ」と思い、「虚言を用いて衆生を毒害することを許しません。生死を放下し、大法を守り、衆生を救い済度します」という一念を発しました。私はすぐに立ち上がり、全身の力を尽くして声高らかに「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい! 法輪大法は正法です! 私の師父は潔白です! 法輪大法は潔白です!」と叫びました。警官はすぐにテレビを消して、私を罵り殴打し、髪をひっつかみ、ビンタし、蹴り、最後に私を狭く暗い部屋に閉じ込めました。

 その時は息子が面会室にいて、他の人は皆面会し、息子だけが面会できていませんでした。私は発正念を続けて迫害を否定し、師父にご加持を求めました。私は邪悪が解体したのを感じ、監禁人員の熱烈な拍手の中で、スムーズに息子に会うことが出来ました。それ以降、刑務所の中では再度師父と大法を中傷し、邪悪を宣伝するテレビが放映されることはありませんでした。

 2016年のある日、私は同修のBさん、Fさんと3人で、車で15キロほど離れた農村に法輪功を紹介する資料を配りに行きました。それぞれ200部を手分けして村の東、中、西方向に行くことにしました。私は東方面の家への担当です。その時はすでに20時過ぎで、村は静まり返っていました。私達がちょうど配布しようとしたら犬が吠え始め、私は少し怖くなりました。1部の資料を配布したとき、資料が夜の空に光り輝いていました。心の中で言い表わせない喜びを感じ、私は自分に「早く配ろう! 早く配ろう!」と言い、23部を家に配布したとき、突然村の民兵が来て「法輪功だ! 法輪功だ!」と叫び、それから懐中電灯であたりを探しました。私はある家の正面口に立ち、身体を正門にぴったりとつけて、師父に、衆生に罪を犯させないように、私が行なったのは宇宙の中で最も神聖なことで、邪悪には私が見えないようにとご加持を求め、絶えず発正念をしました。この人は私の右前方に立って、懐中電灯であたりを照らしていましたが、私が見えず、十数分過ぎて立ち去りました。私は素早く配布を終え、Bさんを探して手伝いました。Bさんは70代で、脚に大きな水膨れが出来ていました。私達は600部の資料を配布し終え、村を出てから同修と落ち合い、師父のご加護の下、安全に家に帰りました。田舎の人々が資料を得て、彼ら衆生が救われることを嬉しく思いました。

 2018年5月13日「世界法輪大法デー」の夜、私とAさんは、電動自転車で市を回って大法を紹介する横断幕と小垂れ幕を貼り付けました。Aさんは周囲の環境を観察し、発正念をする役を担い、私は貼り付ける役です。しっかり貼り付けられた横断幕は特別に綺麗で目立ち、私達2人に歓喜心が起き、邪悪に隙に付け入られました。その時すでに夜10時過ぎでしたが、私達が電動自転車をこいで帰る時、突然猛スピードで一台の車が追って来るのに気づき、私はAさんにスピードを出すように言い、私達が曲がって路地に入り、その車は入って来られず迂回しました。ちょうど迂回したこの時間差で、私達は曲がって付近の小区に入りました。続いてある男性が前から闊歩してくるのが見え、闊歩しながら罵っていて、小区のあるビルに入って行き、私達はすぐにもう一つの建物入口に行き、もうすぐ2階に着くとき、特殊警察が追い付いてきたのに気づきました。私達は梯子で19階まで登りましたが、私はすでに上まで行く気力が無く、そのとき私達は頂上まで登っても発見されるだろうと思いました。このとき私達は電線のケーブル室(階段室)を発見し、ドアをしっかり閉め、掌を立てて発正念をしました。夜になり静まり返って、はっきりと特別警察の足音が聞こえ、私達の発正念は夜が明けるまで続き、師父のご加護の下、安全にスムーズに家に帰ることが出来ました。その後私達は内に向けて探し、自分の歓喜心、恐怖心などの執着を見つけました。

 修煉の道において、私は正念の威力を体得しました。時に法理がはっきり分からないため、内に向けて探すことが出来ず、問題に遭ったら外に向けて探し、怨恨心を取り除くことはとても大変で、師父が按排された多くの良いチャンスを逃してしまいました。

 私は現在、本当に修煉の厳粛性、大法の神聖さと素晴らしさ、また時間の緊迫性を深く認識しました。何かに遭った時、すぐに内に向けて探し、執着を取り除き、また自分の責任と使命をはっきりと認識出来ました。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/4/21/459000.html)
 
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