文/中国の大法弟子
【明慧日本2022年12月12日】最近、私はある深刻な問題に気付きました。つまり私が接している同修を含めて、多くの同修に正しくない状態が現れているということです。しっかり修煉できず、修め続けられないと思う同修、深刻な病業状態に陥っている同修、病業のため亡くなった同修がいて、周りの衆生が救われ難くなっています。上記の正しくない状態にある同修があまりにも多いので、私はショックを感じ、真剣にこの問題を考えています。
最近、「大部分の大法弟子の修煉状況について語る」とタイトルの交流文章を読みましたが、同感です。恐らく我々の多くの人がしっかり修煉できていないからかもしれません。私が気付いた重要なポイントの一つは、私たちの修煉状況があまり良くないということです。以下に詳しく述べます。
一、私の一部の修煉体験
2007年、師父は『洪吟二』を発表されましたが、その中の「理智 醒覚」という詩で、「少なからずに休み自省して、正念を強め 不足を明らかにして、再び精進す」[1]というのが私の目に留まりました。そして、この詩は何を意味しているのだろうか、私たちに何を教えているのだろうかと考えました。
この詩の意味を理解することによって、私は毎晩短い時間ではありますが、その日に体験したことを法理に照らし合わせて、法に符合してないことがなかったかと確認することにしました。その結果、自分のよくできてないところが見つかり、どのような執着心により生じたかが、常にわかるようになりました。そして、さらに驚くべきことに、1日か2日後に、またこの執着心に触れるようなことが突然起こり、それを瞬時に見つけ出し、正しく振る舞うことができるようになりました。
そうして、絶えず執着心を見つけ、また絶えずやり遂げ、しっかり行いました。その間、修煉は飛躍的に上達し、次元の向上が速く、身体感覚の変化に衝撃を受けました。その状態は言葉で表せないものでした。
大法の修煉は本当にその速度が速く、真に修め、着実に修めれば、本当に向上の速度があまりにも速いのです。飛行機に乗って斜めに上に向かって飛ぶのではなく、ロケットに乗ってまっすぐに上に向かって飛ぶような感じで、さらにロケットよりもさらに速く飛ぶことができます。それは幾重もの天体や宇宙を突破することです。
着実に修め続けることにより、大法はとても玄妙であることが分かりました。師父の言葉は、適当に言った言葉ではなく、すべて明確な目標があるのです。例えば、師父は、「一つ例を挙げてみましょう。ある人が職場に行ったら、同僚の二人がそこで自分の悪口を言っているのが聞こえました。あまりにもひどいことを言われたので、ついかっとなりました」[2]と説かれました。一時期、私は修煉状態がとてもよい時期があり、トラブルに遭遇すると、内に向けて探し、そのトラブルはどのような執着心によるものかがすぐに脳裏に思い浮かびました。そして、怒りは一つの執着心なので引き金にしてはいけないとわかりました。
修煉は苦しいものですが、実に面白いものです。しかし、同修の多くは、修煉の仕方を知らず、うやむやに修煉していることに私は気付きました。なぜでしょうか? これには、以下のいくつかの理由があると思われます。
二、着実に修めていないことの現れと理由
師父は、「皆さんは帰ってからも時間を無駄にせず、着実に修煉するよう切に希望します」[2]と説かれました。
私は次のように理解しました。法はすべて教えてもらいましたので、あとは私たち各自が向上していくことであり、各自が時間を無駄にせず着実に修煉することが必要です。だから着実に修めることは我々修煉者がしっかり行うべきことなのです。では、着実に修煉していないことの現れと、私の認識している理由は何なのでしょうか。そこまで包括的に述べることはできないと思いますが、次に思い当たるところを述べます。
(一) 本当に「うやむやに歳を重ねている」同修がいます。うやむやに修め、うやむやに過ごしています。着実に修める姿は見られませんし、会った時心性を向上させた修煉体験も聞くことができません。しかしよもやま話になると、元気になってぺらぺらとしゃべりだします。
昨年、一人の学習者が修煉をやめ、大法の書籍を私に渡してくれました。この学習者は20年くらい大法を学びましたが、神の存在を信ぜず、その学習者がこの話しをする時、私は本当に衝撃を受けました。その学習者は健康のためにやって来たのですが、大法の恩恵をも受けていますが、最近、修め続けられなくなりました。ここで浮き彫りになった問題は、一部の人は修煉する集団のなかにいながら、大法の門に入っていないということです。
実はこれも、不思議なことではないのです。師父は、「いろいろな目的を追求しながら功を学び、大法を学ぼうとしても、何も身につけることはできません。」[4]と説かれました。
修煉の出発点が正しくなければ、真に修煉してないことになってしまい、着実に修めることはさらにとても難しいと私は理解しました。師父は多くの人に大法に近づく機会を与えましたが、一部の人は未だに根本的な認識を変えておらず、つまり根本的な執着が取り除かれていません。
(二)一部の同修はの個別な執着心が長い間取り除かれておらず、あえて直視したり、真剣に向き合うことができず、或いはその執着に気付いておらず、次元の向上が滞っています。
修煉する中、次元は向上しますが、それぞれの次元で取り除くべき執着心を取り除くと次の次元に入ることができると私は理解しています。ただ、一部の人は執着心があるのに取り除かないか、或いは意識できておらず、やっと一回修めて、一つの次元を突破したのに、次の次元でまた留まり続け、とてもゆっくりと修めています。
ここには、旧勢力の妨害という重要な外的要因もあります。私の小さな体験ですが、旧勢力は、すべての修煉者に一つ、あるいはいくつかの非常に大きな執着心、それらが意図的に培った執着心を持たせます。私の執着心のひとつは、前世から持ち込まれたもので、前世で培われたもの、あるいは何度かの前世で培われたものだと感じています。今世でも、この執着心は巧みにアレンジされて培われているため、私はこの執着心を取り除くためにとても苦労しました。まるで、すべての思考をしっかり制御しないと突破できないような感じでした。このような大きな難にほかの同修も遭遇したことがあると思います。一部の同修は名を、また利を求め、またある同修は親の情を非常に重く見ており、顕示心が強く、また気性の荒い人もいます。
例えば、私が接したある同修は、歓喜心が非常に強いのです。また修煉を始める前から自分の一存で物事を決め、とても強気であったため、彼女の修煉に大きな難をもたらしました。彼女は修煉して間もなく、全身の病気がすべて消え、大喜びしました。大法を広める時は先頭に走っていて、大法に対して確固たる心は本当に尊敬に値するものでした。
しかし、彼女はとても極端に走り、家を売り、そのお金で法を広め、真相を伝えるために使いました。今は仕方なく娘の家に住まわせてもらっています。彼女は大法を学んでから間もなく、肉類をやめ、卵も食べなくなりました。娘と一緒に食事をするときは、調理のためにスプーンを分けて使うなど、あまりに極端なことをたくさんやったので、親族の同修を含めた一部の身内から敬遠されています。
彼女は数年前から脚が弱くなって歩けなくなり、しかし痛みはありませんでした。手押し車を押しながら歩くしかありません。昨年、私が彼女と交流したことで、彼女はようやく自分の問題に気づいたのです。しかし、それを直すには着実に修める過程が必要です。大法に対して非常に揺ぎ無い同修ですので、もし修煉の道からずれることがなかったなら、非常によく修めているかもしれませんが、20年以上ずれた道を歩んで来ました。
長期に渡り執着心を取り除かない影響はとても大きく、修煉に自信が持てなくなったり、自分も混乱してしまい修煉をやめたり、また執着心を発見するために大きな魔難が加えられるかもしれません。また執着心により間違ったことをしてしまい、自分にトラブルを招き、さらに巨大な難に遭遇するかもしれません。長期に渡り修めて向上することができなければ、最後には淘汰されてしまうかもしれません!
(三)「三つのこと」も行うが、どれかがうまくできてないと大きな問題が出てくる
1、法をよく学ぶ
法をよく学んでいない現れは、多くあります。法を学ぶ時に、法の中の言葉の意味を考えずに、速く読み、進むことを追い求め、法が心に入らないこと、また顕示心により、いかに流暢に読めるか見せたがり、感情まで入れて読むことなどです。私は以前しばらくの間、学法するとき、スピードを求め、表面的な意味も分からず、文字を読み間違ってないものの、すでに主意識が学んでおらず、非常に危険な状態でした。それを意識できてから、直しました。
これはとても重要なことです。実際、私は『論語』をよく暗記できていますが、『論語』を暗記している間、文字を間違わないものの、心のなかでは他のことを考えています。つまり、法を暗記する時に集中できない時があります。なので、同修には学法する時、法を暗記する時、その言葉の表面的な意味が何なのかをはっきり理解しながら学法して頂きたいです。間違って読んでいないので、暗記しているから、正しく学法していると勘違いしてはなりません。もし学法の方法が正しくなかったら、短時間ならまだ直せますが、時間が長くなると問題が多く出て来ます。
2、発正念は簡単なことではない、法理に則ってないといけない
過去に、発正念する時に大声を上げ、恨む心を抱えている同修がひとりいました。また、掌に力を入れ、力を入れないと正念が強くならないかのようでした。実際には意念が功能や神通力を発揮し、神の状態に符合しなければなりません。もし正しくない方法でやり続けると、邪悪が取り除かれないばかりか、大きな問題にも発展しかねません。
3、真相を伝えて衆生を救うのは、私たちの使命であり、責任である
大法弟子の修煉は、衆生を率いて劫難を乗り越え、将来宇宙で最も特殊な生命を統括することです。修煉の中でちょっとした気付きがありました。いくら修煉しても、真相を伝え人を救う時になって、やっと次元が向上でき、心を修めるだけでは足りないということです。次元の向上には法を実証し、衆生を救い済度する要素が加わらないとなりません。
しかし、このような極端なこともあります。多く「三退」でき、よくできている同修が、三退を勧めたら、それが修煉だと勘違いし、三退人数が多ければ多いほどよく修煉できていると思うことです。自分ではいい気になって、誰にも何も言わせない強引さがあり、自分の非を認める姿を見たことがありません。自分の問題点を指摘されたときに、確かにここに問題があるということがわかっていながら、それをプラス的にとらえず、すぐにあなたの欠点を指摘する、つまり違う方向で返してくることがあります。
師父は次のように説かれました。「多くの神は私の耳元で、あなたの大法弟子は指摘されてはならず、言われるとすぐに怒ってしまい、指摘されてはいけないのであれば、そうであってはならず、それならどのように修めるのか、これでも修煉者なのか、などなどと言っています」 [3]
師父がこの説法をされてから何年も経ちますが、いまだにそういう人がいます。あまりにも恐ろしいことです。修煉するにはただ恐怖心などいくつかの心を修めればいいということではありません。私心、人を見下す心、顕示心なども修めるべきではないでしょうか。このような同修の周りにいる同修は、その同修を高く評価したり、崇拝したりすることをやめ、その傲慢さや偏屈さをなくすように助けて上げてください。
多くの同修は確かに非常に忙しいです。忙しいの「忙」という字は、左が心辺、右が「亡」の字になっています。忙しいから心が死ぬ、つまり正念が死ぬということだと理解しています。中には、人救いに没頭するあまり、飲食を気にする暇もなく、本当に少ししか眠らない人もいて、その心がけは称賛に値しますが、自分を落ち着かせる時間を取ったほうがよいと思います。
三、ちょっとしたアドバイス
同修に常に自分を反省し、常に内に向けて自分の執着心を探し、それによって自分の方向を修正し、気づかないうちにずれてしまうことを避けることをアドバイスします。
本当に長い間着実に心を修めていない同修が一部いると思います。彼らは心性向上の体験を語ることもできません。普段なんのトラブルもない時は別にして、少なくとも人との間にトラブルが発生した時は自分を探すべきでしょう。2人の間にトラブルが発生したら、その二人が修めるだけでなく、さらに第三者もなぜ自分に見えたのか探すべきです。
今日、2022年の欧州法会での交流文章『2022年に再び神韻の警備を担当するなかでの修煉体験』を読んで、神韻公演の手伝いをしながら人を救うとともに、常に考え、自分を向上するために心を修め、さらにいつでも発正念をしてほかの空間の妨害要素を取り除き、法を正す時期の修煉のなかの三つのことを完璧に行う同修の修煉過程を目にしました。同修のその真面目ぶり、やればやるほど元気になり、ますますよく修煉できる姿を見て、私はとても嬉しくなり、同修のために喜びました。
この前代未聞の法を正す修煉の機縁のなか、より多くの同修が着実に自分を修め、よりよく行い、一緒に師父について帰れることを願います。
僅かな個人の認識であり、不足したところがあれば、ご指摘お願いいたします。
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「理性への目覚め」
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[3] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「マンハッタン説法」
【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」のためのものです】