文/日本の大法弟子
【明慧日本2024年9月9日】私は日本に来て20年余り、海外の楽で自由な環境の中で、大法弟子としてやるべき三つのことを行い、家庭も仕事も比較的順調で、大きな困難に遭うこともなく、毎日大法の恩恵を浴びています。
しかし、修煉は順風満帆ではありません。慈悲深い師父は私たちの修煉を成功させるために、様々な形で人心と執着心を取り除き、同時に業力を消すことができるように、私たち一人一人に修煉の道を手配してくださいました。私は電話で中国人に対し大法の良さと迫害の実態を伝えるプロジェクトであるRTC電話プラットフォームの協調人を十数年も務めましたが、そのポジションを降りてから、本当の意味での難関がスタートしました。トラブルが起き、理解されず、表面上の不公平に直面した私は、修煉においてはすべて良いことだと知っており、自分に「必ず乗り越え、心性を守り、大法に従って正しく行なわなければならない」と自分に言い聞かせました。私はできるだけ沈黙を守り、争わず、弁解せず、心が動かないようにしました。
今にして思えば、私が犯した最大の過ちは、協調人を辞めた後、プロジェクトに残って活動を続けず、人為的にRTCの修煉環境を失ったことです。地元には同修もいないので、私は一人で修煉するしかなく、突然糸の切れた凧のように、方向を見つけることができませんでした。その間、海外のプロジェクトにもいくつか参加しましたが、協調できず、自分の力が抑えられて発揮できないと感じ、悩んでいました。
私と一緒に十数年協力してくれた同修たちは毎日、人々に大法のことを伝えて精進しているのに、私は皆と一緒になって人を救うことができないと思うと、怨恨心や他人のせいにする不平不満、外に向かって探す心がすべて出てきて、心の中から私を傷つけ、私をここまでにした人を責め始め、さらに自暴自棄になり、常人の仕事に力を入れることにしました。
私が落ちるのを望まれなかった師父は、何人かの同修がいつも私を助けてくれるように手配してくださいました。同修の温かさを感じた私は、「このままではいけない。この状態を突破しなければならない」と正念が湧いてきました。
ある日、私は同修Aさんに会いました。彼女は私に、問題にぶつかった時、どうやって内に向けて探したらいいか共に分かち合ってくれました。それを聞いてとても啓発されました。それからしばらくの間、彼女は毎日メッセージを送って私を励ましてくれました。「外に向かって探す心を捨てて、ひたすら自分の問題を見つけるのです。こうして、毎日出てきた考えに対して、内に向けて深く掘り、深く探しましょう!」。同修の助言で、私は問題を抱えたときに外を見つめる習慣を徐々に変え、正しいか間違っているかに関係なく、ひたすら自分自身の問題を見つけるようになりました。そこでやっと今まで「内に向けて探す」と思っていたものが、表面的で浅はかなものだったことに気づきました。
本当の「内に向けて探す」とは、表面に浮かんできたことに対して考えて終わりではなく、奥まで深く掘り下げて考えることだと分かりました。私は心がとても静かである状態に限ってそれができます。深く探していくうちに、人は自分の問題に対して曖昧で、無意識の中で自分を守ろうとしていることに気づきました。傷つけられた痛みや悲しみの根源を探すことから逃げようとしているのです。表面上、私はすべて他人のせいだと思い込んでいるため、自分には問題がないと思っていますが、実際のところは、いつも簡単にこの一番つらいところを避けて、他のところを探していたのです。もちろんたくさん見つけることもありますが、深刻に見ておらず、痛くもかゆくもなくそこに置いて、ゆっくり修めようとしていたのです。ある日、Aさんと電話で話していて、「私は自分の執着心をたくさん見つけたにもかかわらず、どうしてまだ取り除けないのでしょうか?」と聞くと、彼女は「それはあなたがまだ深く探していないからだと思います。もっと深く掘り下げなければなりません。それは、あなたがまだそれらがどんなに汚いかを認識していないことを示しています。もしあなたの体に糞便が付いているのを見つけたら、あなたはそのままにしますか? 1分たりともそれを身につけたくないでしょう?」と言いました。
さらに内に向けて探すと、「避けて通ることはいけない」と心の中から分かってきました。「なぜ心が痛くて、つらいと感じるのか?」私は全体の過程と細部をビデオのように再生して、どのような心があったのかをチェックしました。すると、思い出したくないところほど、つらいと感じたところほど、それはもっと深く掘り下げるべき場所であると気づきました。腐った傷口を処理するように、とても痛いですが、恐れる必要はありません。絶えず自分に問い詰め、自分の問題を探し、自分を分析すれば、それは正しいことです! 心を動かされたところには必ず修めるべきところです。
自分の問題を一重一重掘り下げていると、とてもつらくなりました。翌日、Aさんと交流したところ、Aさんは「つらいと感じたのはあなたではなく、あなたの業力や人心が取り除かれるので、それらが辛くなっていたのです。探し続けるべきです」とアドバイスされました。師父は『スイス法会での説法』の中で、「表面上、形式上の苦しみは何でもありません。その心を切り捨て、執着を放下する時、それは本当に骨身に沁みる苦であり、最も苦しいのです」と説かれました。なるほど。今私がつらく感じているこの過程は、骨身に沁みる苦しみの中で執着心を切り捨てる過程だったことが分かりました! 人は往々にして本能的に苦痛を拒否しますが、修煉の理は正反対であり、観念を転換して、逆の理から修煉しなければなりません。執着心や人心を切り捨てる時、そこは自分が最も触れられたくないところかもしれません。苦痛のため、そこを避けて別のところを探しやすくなります。
それが分かってから、探し続けていたら、その隠れた深いところで、突然見つけました! 私はずっと自分が協調人のポジションに執着せず、名利も求めず、ただプロジェクトをうまく行いたいだけだと思っていましたが、そこには自分が正しい、認められたい心があり、それも名誉を求める心ではないでしょうか。これらの心はすべて深く隠されていて、自分ではこれまで意識したことがありませんでした。この心はたいしたことではないように見えますが、悟った瞬間、心が震えて、全身の細胞も喜んで歓声を上げているように感じました。根源を見つけて気持ちが晴れ、本当にその心を切り捨てることができました。今まで心の奥底で触れることもできなかったものが、この瞬間にすべて解体されました。
その頃、親しくしていた同修が病業で亡くなりました。彼女が亡くなる前に残してくれたメッセージで私は衝撃を受けました。「私は本当にあなたがRTCに戻ることをお勧めします。私があなたなら、必ず戻ります。あなたにとって一番大切なのは、人々を救うことですか、それとも何か放下できないものですか? もちろん、他のプロジェクトも人々を救うことができますが、率直に言って、あなたの使命とあなたの特長はRTCでもっと十分に発揮されます。私が今あなたたちが一番うらやましいのは、人々を救う機会があることです。だからあなたたちは本当にそれを大切にしていないと思っています。人には、くだらないことばかりなのに、放っておけないものがあります。今私は本当に後悔しています。師父は何度も何度も私にチャンスをあたえてくださいましたが、私はそれを認識しておらず、修煉の大切さを悟ることもできませんでした。師父に合わせる顔がありません! 以上は心の底から出た言葉で、失礼なところがあれば許してください。本当にうらやましいです」という彼女のメッセージを見て、私は恥ずかしくてなりませんでした。彼女の助言を受け、私はRTCに戻って地道に電話で人々を救うことにしました。
プロジェクトに戻って控えめに活動をしているうちに、次々とたくさんの情報が私の耳に入ってきました。その中で、プラットフォームの不備なところも見つけ、とても心配していましたが、「これは自分の心が動じるかどうかを試すもので、私を修めさせるためかもしれない、自分のやるべきことをきちんとすればいい」と思いました。ある日、「ミラレパ佛の物語」を聞いていた時、「他人のため」の心を修めなければならないと啓発されました。「そうだ。これは師父が私にヒントを与えてくださっているのではないか? 問題が見つかったのに言わないのは、今後の全体的な向上と人を救う力に影響が出るかもしれない。善意を持って提案し、そして黙々と皆に協力するべきだ」と思いました。
実はその頃、神韻が日本に来て、楽屋で手伝いをしていた私は、佛光をずっと感じました。当日神韻公演の前半を見て、次から次へとエネルギーが押し寄せて来るのを感じ、感動の涙が止まらず、後半から喉に違和感を感じました。車で2時間かけて家に帰る途中、そのことを考えるだけでずっと泣いていました。きっと他の空間で師父が私を浄化してくださり、そして、たくさんの良いものを与えてくださったのが見えたからでしょう。
家に帰ると、熱が出て骨まで痛くなり、2、3日は声がかすれて話すことができませんでしたが、4日目にはよくなりました。夜、発正念をする前に、突然総協調人からメッセージが来て、私にRTCに戻るように言われました。「これは師父のご按排で、師父は私が帰って来るのを望まれている」と分かっていました。
その後、私はプラットフォーム協調人の同修と2回良い交流があり、私が見た問題を率直に話し、解決策を提案しました。しばらくして、師父のご按排で私は再びRTCに戻りました。これからも黙々と同修たちに協力し、引き続き人を救うために全力を尽くすつもりです。
今回の難関を乗り越える過程を振り返ると、私の最初に問題を見る角度は、外に向かって他人の問題を探し、大法をもって他人を量っていたため、多くのことには理解できず、「どうしてこのようなことがあるのか?」と不思議に思ったのです。それこそ人間の念です。本当に内に向けて探すことができるようになると、他の空間の物質が解体し、業も消え、心性も高まり、難関も乗り越えることができます。このような大きな壁にぶつかっていなかったら、これまでと同じように楽な環境で、このような深く隠された執着心をどうやって取り除くことができるでしょうか? 私は本当に師父が手配してくださったものがすべて最高で、また大法の修煉の偉大さを実感しました。
師父は「修煉者にとって内に向けて探すことは最も有効な方法です」と語られました。(『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」)
精神的なものであれ、身体的なものであれ、観念を捨てて、自分を深く掘り下げることを学んで、執着心の根源を見つけてそれを取り除くことによって自分を向上させることこそ、本当に確実な修煉だと思います。
以上は個人的な体得で、間違ったところがあれば、ご指摘お願いします。
責任編集者:李明