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H.

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

H.(エイチ)は、セガ分社時の株式会社ヒットメーカーのサウンドチームにおいて、セガゲームミュージックアレンジし演奏することを目的として2001年に結成されたゲームミュージック関連のサウンドユニットである。公式には[H.]の表記がよく使われている。

概要

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前身となるS.S.T.BAND1993年に解散して以来、セガとしては約8年ぶりに結成したサウンドチームによるユニットである。元S.S.T.のメンバーであったHiroおよび光吉猛修も参加している。

ユニットとしての初ライブは2001年8月4日の東京ジョイポリスでのイベント「CRACKIN'DJ PART2スーパーライブ in 東京ジョイポリス」が最初であるがその時点ではまだH.(エイチ)というユニット名称は決まっていなかった。[1] 2001年9月20日のヒットメーカーホームページ内の「CRACKIN'DJ PART2 第16回更新」にてヒットメーカーサウンドチームユニットとしてH.(エイチ)の名称決定が発表(グループ名のH.の由来はHiroのH、HitmakerのH、当時Hitmakerの社長であった小口「久雄」のH、光吉がエッチだから等いろいろ集まっているとのこと)[2]、H.(エイチ)としての正式デビューライブは2001年9月22日の「第39回アミューズメントマシンショー(AMショー)」でのクラッキンDJ(CRACKIN'DJ PART2)ライブイベントがデビューとなる、ユニット立ち上げ時のメンバーはHiro師匠、カリスマン光吉、ふっく福山の3名であった。

かつては株式会社ヒットメーカーサウンドチームの「ヒットメーカーサウンドチームユニットH.」であったが、2004年に分社化していたヒットメーカーを含めた開発子会社各社の株式会社セガへの統合に伴い、「セガサウンドユニットH.」となった。

2011年より不定期ながらUstreamにて「[H.]な夜」という生放送番組の配信も行っている。

2012年初冬には前身のS.S.T.BANDのライバルとも言えるZUNTATAタイトー)のメンバーが不定期的に配信しているUstream生放送番組「ZUNTATA NIGHT」と「[H.]な夜」の合同特番「ゲームミュージックナイト ~[H.] VS ZUNTATA~」に出演し、タイトーの楽曲をH.が演奏し、逆にセガの楽曲をZUNTATAが演奏すると言うコラボレーションが実現した。[3]

更に翌年2013年にはタイトーのiPhone向けゲーム『グルーヴコースターゼロ』およびセガ(後のセガ・インタラクティブ)のアーケードゲーム『maimai』へZUNTATAメンバーCOSIOによるセガ(後のセガ・インタラクティブ)のアーケードゲーム『カルテット』のアレンジ曲「Quartet Theme [Reborn]」が提供され、続いてH.よりタイトーのアーケードゲーム『ニンジャウォーリアーズ』のアレンジ曲「DADDY MULK -Groove remix-」がアーケードゲーム版『グルーヴコースター』と『maimai』に提供するという形で、さらなる相互コラボレーションも実現した。

2015年4月のセガグループ再編に伴い、メンバーの所属会社がセガゲームスとセガから新設分割で設立された新会社であるセガ・インタラクティブに分かれることになり、メンバーの内、Hiroおよび光吉猛修はセガ・インタラクティブへ移籍することになった。

メンバー

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  • 川口博史(Hiro師匠):バンドリーダー、キーボードを担当
  • 光吉猛修(カリスマン光吉) :ボーカル、ベースを担当
  • 庄司英徳(マルショウ) :ギターを担当
  • 福山光晴(ふっく福山) :トランペット、キーボードを担当
  • 甲斐孝博(カイ) :ギターを担当
  • 工藤詠世(えいちゃん) :ドラム担当、ゲストドラマーとして中学生の頃よりH.に参加、2017年にノイジークロークへ入社。
  • 西村ケンサク :演奏メンバーではないが、H.メンバーとしてライブの前説等を担当

旧メンバー

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小山健太郎 :セガ退社に伴い脱退。


ディスコグラフィ

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No. タイトル 発売日 レーベル 規格 規格品番 備考
1 SEGA Sound Unit [H.] 1st Album 2011年12月21日 WAVE MASTER CD WM-0669 [H.]結成10周年を記念して作成されたファーストアルバム

関連項目

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脚注

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  1. ^ 2003年6月30日の「ラジオDCストロング!炎の6週連続キャンペーン第三弾!ヒットメーカーPresents“H.”特集」内等での発言より。
  2. ^ 2009年3月の「GA-COREスペシャルインタビュー Hiro師匠&光吉猛修 第4回その後の活躍や[H.]のエピソード」内等での発言より。
  3. ^ 番組前後のZUNTATA公式ツイッターの発言より[1][2]

外部リンク

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