ヴィルヘルム2世 (バイエルン公)
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ヴィルヘルム2世 Wilhelm II. | |
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下バイエルン=シュトラウビング公 エノー伯 ホラント伯 ゼーラント伯 | |
在位 | 1404年 - 1417年 |
出生 |
1365年4月5日 ホラント伯領、デン・ハーグ |
死去 |
1417年5月31日(52歳没) エノー伯領、ブシャン |
配偶者 | マルグリット・ド・ブルゴーニュ |
子女 | ジャクリーヌ |
家名 | ヴィッテルスバッハ家 |
父親 | 下バイエルン公アルブレヒト1世 |
母親 | マルガレーテ・フォン・ブリーク |
ヴィルヘルム2世(Wilhelm II., 1365年4月5日 - 1417年5月31日)は、14世紀の下バイエルン=シュトラウビング公。エノー伯、ホラント伯、ゼーラント伯でもあった。アルブレヒト1世とマルガレーテ・フォン・ブリークの長男[1]。姉マルガレーテはブルゴーニュ公ジャン無怖公に嫁ぎ、自身も1385年にフィリップ豪胆公の娘(ジャン無怖公の妹)マルグリットと結婚している(カンブレー二重結婚)。
生涯
[編集]派閥抗争のもつれから父と対立、内乱を起こした。1404年に死去した父の領土を継いだが、1397年には下バイエルン=シュトラウビング公であった弟のアルブレヒト2世が亡くなっている。
1408年、弟のリエージュ司教ヨハンがリエージュ市民と対立、鎮圧の為に義兄のジャン無怖公、同族の上バイエルン=インゴルシュタット公ルートヴィヒ7世と共に出兵[2]。1417年に死去した時、一人娘のジャクリーヌ[3]にエノー、ホラント、ゼーラントが相続された。
しかし、下バイエルン=シュトラウビンク公となったヨハンは反対、相続争いが勃発した。
脚注
[編集]- ^ Stein 2017, p. 37.
- ^ Sumption 2015, p. 248.
- ^ Vaughan 2009, p. 82.
参考文献
[編集]- Stein, Robert (2017). Magnanimous Dukes and Rising States: The Unification of the Burgundian Netherlands, 1380-1480. Oxford University Press
- Sumption, Jonathan (2015). The Hundred Years War. 4: Cursed Kings. University of Pennsylvania Press
- Vaughan, Richard (2009). Philip the Bold (5th ed.). The Boydell Press
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