ホレス・ウォルポール
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第4代オーフォード伯爵ホレス・ウォルポール(Horace Walpole, 4th Earl of Orford, 1717年9月24日 - 1797年3月2日)は、イギリスの政治家、貴族、小説家。ゴシック小説『オトラント城奇譚』で知られる。政治家で初代首相ロバート・ウォルポールとキャサリン・ショーターの三男である。
経歴
[編集]イートン校とケンブリッジ大学で学び、1739年から2年間、詩人トマス・グレイとともにフランス、イタリア遊学(グランドツアー)を行っている[2]。下院議員(1741年 - 1768年)を務めた。
1791年、甥の第3代オーフォード伯ジョージ・ウォルポールの死により襲爵、第4代オーフォード伯となったが、彼にも子がなく、6年後の1797年に69歳で死去、オーフォード伯爵家は断絶した。ただし、もう1つの称号ウォルポール男爵位は従弟のホレーショ・ウォルポールが継承、1806年に新設の形でオーフォード伯爵位も受け継ぎ存続した。
中世趣味
[編集]今日、ウォルポールが知られているのは、その趣味的な生活ぶりによる。
別荘のストロベリー・ヒル・ハウスを改築して(工事は1750年頃から数十年にわたった)、自分好みの中世ゴシック風に仕立てた[3]が、これが大変な評判になり、毎日見学者が来るほどであった。1757年からそこに印刷所をもうけ、自作やグレイその他友人の作品を次々と印刷出版した。また、ある日見た夢をもとに中世の古城を舞台にした幻想的な小説『オトラント城奇譚』(1764年)を書き、これも評判を呼んだ。ストローベリ・ヒルと『オトラント城奇譚』はイギリスにおけるゴシック趣味の流行に決定的な影響を与えたと評されている。
エピソード
[編集]- ウォルポールがあみだした造語にセレンディピティがある。
- 彼は愛猫家として有名で、愛猫セリマが金魚鉢で溺れて死んだ際は深く悲しんだという。またこのウォルポールの嘆きをもとに、詩人トーマス・グレイ(1716-1771)が、猫に捧げる詩を書いたことにより、この逸話は人口に膾炙することになったという。[4]
- 吉田健一に、人物論「ホレス・ワルポオル」-『ヨオロッパの人間』(新潮社、新版・講談社文芸文庫)がある(吉田の父は外相・首相だった吉田茂)。
主な著作
[編集]- Some Anecdotes of Painting in England (1762)
- The Castle of Otranto (1764)
- The Mysterious Mother (1768)
- Historic Doubts on the Life and Reign of Richard III (1768)
- On Modern Gardening (1780)
- A Description of the Villa of Mr. Horace Walpole (1784)
- Hieroglyphic Tales (1785)
脚注
[編集]- ^ Introducing Strawberry Hill StrawberryHillHouse, 2011/02/10
- ^ 『「幽霊屋敷」の文化史』 2009, p. 67.
- ^ 五十嵐太郎『おかしな建築の歴史』(エクスナレッジ 2013年)p.216fなどもイギリス国会議事堂やハンガリー国会議事堂とともに「ゴシック・リヴァイヴァル建築」に分類している。
- ^ タムシン・ピッケラル『世界で一番美しい猫の図鑑』五十嵐友子 訳、エクスナレッジ、2014年。P85
- ^ 他にエドマンド・バーク『崇高と美の起源』大河内昌訳を収録。
参考文献
[編集]- 加藤耕一『「幽霊屋敷」の文化史』講談社〈講談社現代新書〉、2009年。ISBN 978-4-06-287991-0。
外部リンク
[編集]- Strawberry Hill House
- ホレス・ウォルポール『我が生涯の覚書』前田雅晴、前田雅晴訳、福岡大学研究部論集、2010-12
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