アップル・デ・アップ
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apl.de.ap | |
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apl.de.ap 2006年 | |
生誕 |
Allan Pineda Lindo アラン・ピネダ・リンドー 1974年11月28日(49歳) フィリピン アンヘレス |
国籍 | フィリピン系アメリカ人 |
職業 |
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活動期間 | 1988年 - |
音楽家経歴 | |
ジャンル |
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担当楽器 |
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レーベル | BMBX Entertainment |
共同作業者 |
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公式サイト |
apldeap |
アップル・ディ・アップ(Apl.de.ap、本名:アラン・ピネダ・リンドー、1974年11月28日 - )は、アメリカ合衆国のラッパー、音楽プロデューサー[1]。ヒップホップグループ、ブラック・アイド・ピーズのメンバー。音楽プロデューサーとしての顔も持ち、ブレイン的メンバーのウィル・アイ・アムと共に、ブラック・アイド・ピースの作曲も取り組んでいる。名前の由来は本名の頭文字から取っている。
プロフィール
[編集]フィリピン出身で母国語はタガログ語であり、渡米した頃は英語が全く話せなかったが、勤勉の末、タブーに「アップルは俺より英単語を知っている」とまで言わしめた。父親はアメリカ軍の黒人で、母親はフィリピン人である。アップルが生まれる前に両親は離婚し、4人の兄弟と2人の姉妹がいるが、弟の1人は自殺している[2]。
エレファンクに収録されている曲「ジ・アップル・ソング」は、アップルの自伝的歌詞になっている。家が貧しかったので、14歳の時にアメリカ人弁護士の養子になり、故郷フィリピンからアメリカへたった1人で移住する。弟の自殺についての歌詞も書かれている。
人物
[編集]先述の通り、音楽プロデューサーとしても活躍しており、ブラック・アイド・ピースの楽曲でもアップルが作曲したものが数多く存在する[3]。また、作曲する際のクレジットは、本名のAllan Pinedaを用いることが多い。タガログ語で歌っている歌もあり、Bebot(女性)、The APL songがその例である。
ディスコグラフィー
[編集]詳細は英語版「en:Black Eyed Peas discography」を参照
ソロ作品
[編集]- It's Me Applebees (2011年)
ブラック・アイド・ピーズ
[編集]スタジオ・アルバム
- Behind the Front (1998年)
- Bridging the Gap (2000年)
- Elephunk (2003年)
- Monkey Business (2005年)
- The E.N.D. (2009年)
- The Beginning (2010年)
- Masters of the Sun Vol. 1 (2018年)
- Translation (2020年)
脚注
[編集]- ^ “Apl. De Ap | Album Discography” (英語). AllMusic. 2020年12月4日閲覧。
- ^ “The Apl That Gave Back to the Tree”. web.archive.org (2012年6月9日). 2020年12月4日閲覧。
- ^ News, A. B. C.. “Black Eyed Peas' apl.de.ap Gets Corrected Vision With Life-Changing Surgery” (英語). ABC News. 2020年12月4日閲覧。