高橋尚代
たかはし ひさよ 高橋 尚代 | |
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プロフィール | |
本名 | 菊池 尚代 |
出身地 | 日本 東京都港区 |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1963年5月15日(61歳) |
最終学歴 |
國學院大學文学部文学科 青山学院大学文学部英米文学科 テンプル大学日本校大学院 英語教授法教育学修士課程 国際基督教大学大学院教育学研究科メディアと社会専攻 |
職歴 | ニッポン放送(1987年 - 1991年) |
活動期間 |
1981年 - 1983年3月 1987年 - 1991年10月 |
ジャンル |
音楽番組 バラエティ番組 |
配偶者 | あり |
出演番組・活動 | |
出演経歴 |
高嶋ひでたけのお早よう!中年探偵団 とんがりスタジオ まかせて!青春 |
備考 「Lady oh!」時代の芸名は高橋 めぐみ |
高橋 尚代(たかはし ひさよ、1963年5月15日[1] - )は、青山学院大学地球社会共生学部空間情報クラスター教授、元タレント、元ニッポン放送アナウンサー、フリーアナウンサー、英語教諭。現姓:菊池。
人物情報 | |
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生誕 |
高橋 尚代 1963年5月15日(61歳) 日本・東京都港区 |
国籍 | 日本 |
出身校 |
國學院大學文学部 青山学院大学文学部 テンプル大学ジャパンキャンパス大学院 ニューヨーク大学大学院 国際基督教大学大学院 |
学問 | |
研究分野 |
応用言語学 メディア・コミュニケーション |
研究機関 | 青山学院大学 |
学位 | M.Ed (テンプル大学ジャパンキャンパス) Ph.D. (国際基督教大学) |
学会 |
全語学教育学会 大学英語教育学会 日本メディア学会 日本教育工学会 |
来歴
[編集]東京都港区出身。1981年の年末、18歳の時にアミューズからアイドル グループ「ラジオっ娘」のメンバーとして芸能界デビュー[注 1]。1983年3月にグループ解散に伴い、芸能界から一旦 退き、1982年4月に入学した國學院大學文学部 文学科で学業に専念[1][2]。
1987年3月、同大卒業後の同年4月、ニッポン放送にアナウンサーとして入社。入社同期は同じくアナウンサー(当時)の木村篤、中途で入社した高橋と同じアミューズにマネージャーとして所属していた寺内壮(後に日本テレビに移籍)、岩上和代、制作部ディレクター(当時)の那須真理子と伊藤了子。
1987年10月、高橋・那須・伊藤のユニット「チョンマゲ娘[注 2]」を結成して、同年の同局のステーションソングを発売。同名のユニットで同年ナイターオフ期の番組パーソナリティを務めた。その後は朝の情報番組やバラエティ番組のアシスタントを担当した[6]。
1991年10月、交際していたフジテレビのディレクターであった男性との寿退職を機にニッポン放送を退社。退職後は一旦、専業主婦となったが出産後にリカレント教育として、1995年4月に青山学院大学文学部 英米文学科に入学。英語の教職課程を選択。1997年3月、同大を卒業[2]。卒業後は英語科と国語科の教員免許を取得。予備校、中学・高校の英語教諭を務めた。
その後は通信教育企業のビジネス・ブレークスルーに入社。BOND - BBT MBA プログラムコンテンツ責任者として勤務。同社代表取締役会長、ビジネスコンサルタントの大前研一のネット番組のアシスタントを務めた。1999年9月、テンプル大学日本校大学院 英語教授法教育学修士課程に進学。2004年1月、同大学院を修了[2]。
2015年4月、母校の青山学院大学 地球社会共生学部空間情報クラスターの准教授に就任。2019年4月から教授に昇進。同学部でゼミを受け持っており、2020年に関西テレビのアナウンサーとして入社した舘山聖奈は菊池のゼミの出身である[7]。
人物
[編集]出演番組
[編集]過去
[編集]ラジオ
[編集]- チョンマゲ娘のとんがりスタジオ まかせて!青春(パーソナリティ)※金曜 - 1987年10月12日 - 1988年4月1日
- 高嶋ひでたけのお早よう!中年探偵団(アシスタント) - 1987年10月 - 1988年3月[9][1]
- 腹よじれAGOHAZUSHI連盟(アシスタント) - 1989年10月9日 - 1990年3月30日
テレビ
[編集]その他
[編集]楽曲
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ ラジオっ娘及びLady oh!時代の内容は→「Lady oh!」を参照
- ^ 当時の新人社員で結成した三人組ユニット。ニッポン放送の子会社(当時)であったフジテレビはフジサンケイグループとして主催したイベント『夢工場'87』とアイドル夢工場を展開した。同局の同年のキャッチフレーズが「まかせて[3]、チョンマゲ![4] 夢工場[5]のニッポン放送」で前述のユニット命名の流れとなった。
- ^ 同EPレコードは、後に同社所属アーティストのオムニバスアルバムにA面は:「ヤングヒットNOW!! 16」(型番 D32P-6163 発売:1987年11月21日)、B面は「ヒットスタジオ16」(型番D32P-6190 発売:1987年12月16日)の楽曲として再収録された
出典
[編集]- ^ a b c ラジオパラダイス 1988年2月号 特集「がんばれ!女性アナウンサー」p.36
- ^ a b c “菊池 尚代 Hisayo Kikuchi”. resarchmap(科学技術振興機構) (2020年4月1日). 2020年11月30日閲覧。
- ^ 自信とパワー
- ^ 明るさ、ひょうきんさ
- ^ 夢を創り出す製造工場
- ^ “特集ワイド オールナイトニッポン 放送50年 一人の夜、共に生きる”. 毎日新聞東京本社版夕刊. 毎日新聞社. (2017年10月2日) 2021年8月1日閲覧。
- ^ “No.24 青山学院大学で学ぶ私たち part 2”. 青山学院大学 (2020年7月21日). 2021年4月1日閲覧。
- ^ ラジオパラダイス 1986年11月号「RADIPARA READERS CLUB」p.88 - 89 掲載。
- ^ ラジオ新番組速報版 1987秋号(三才ブックス)ニッポン放送番組表より
- ^ ラジオパラダイス 1987年11月号「秋のラジオ改編大特集」(p.8 - 9)