長岡春一
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長岡、春一(ながおか、はるかず、1877年1月16日 - 1949年6月30日)は、日本の外交官。常設国際司法裁判所判事。法学博士。
略歴
[編集]1877年、大蔵省関税局検査官・長岡義之の長男として生まれる。
東京府立第一中学校、第一高等学校を経て、1900年、東京帝国大学法科大学仏法科を卒業。高等文官試験に合格し、外務省に入省(総務局取調課勤務)。
1902年、外交官補としてフランス在勤。パリ大学で研究。1906年、在フランス大使館第三秘書官[1]。1908年、法学博士(論文「第十七・八世紀ニ於ケル日本ト欧州ノ交渉史」)。同年、大使館書記官としてオランダ・ロシア・ドイツ・ベルギーに在勤。1913年、外務省本省勤務
1914年、第一次世界大戦開戦に伴い、加藤高明(外相)より講和準備調査資料の収集・編纂を命じられる。1915年、講和準備委員会委員。1916年、外務省人事課長。1917年、大使館参事官としてフランス在勤。1919年、パリ講和会議全権随員。条約起草委員としてヴェルサイユ条約などを起草。1921年、駐チェコスロバキア公使(初代)。1923年、駐オランダ公使。1925年、外務省条約局長。1926年、駐ドイツ大使。1930年、待命。1932年、駐フランス大使。1933年、リットン報告書の採択の際に松岡洋右・佐藤尚武らと共に、国際連盟総会の議場から退場。同年、待命。1934年、第一回日蘭会商代表。1935年、安達峰一郎の死去により、常設国際司法裁判所判事に選出。1942年、常設国際司法裁判所判事退任。
栄典
[編集]- 1911年(明治44年)8月24日 - 勲四等瑞宝章[2]
- 1920年(大正9年)9月7日 - 勲二等旭日重光章[3]
- 1927年(昭和2年)9月6日 - 勲一等瑞宝章[4]
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[5]
家族
[編集]著書
[編集]- 『外交通義』(有斐閣、1901年)
- 『最近世界外交史』(清水書店、1909年)
- 『成文国際公法』(国際法学会、1909年)
- 『白耳義及白耳義人』(冨山房、1914年)
- 『倫敦海戦法規』(清水書店、1914年)
- 『大戦外交史』(外交時報社出版部、1916年)
- 『追懐録』正編(1932年)・続編(1933年)・続々編(1935年)、外務省外交史料館所蔵
- 『日本外交文書、日本外交追懐録(1900~1935)』として刊行(外務省、1983年)
脚注
[編集]- ^ The Japan Year Book 1906, p86
- ^ 『官報』第8454号「叙任及辞令」1911年8月25日。
- ^ 『官報』第2431号「授爵・叙任及辞令」1920年9月8日。
- ^ 中野文庫 旧・勲一等瑞宝章受章者一覧
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。