藤田藤太郎
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藤田藤太郎 ふじた とうたろう | |
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毎日新聞社「毎日グラフ(1956年7月22日号)」より | |
生年月日 | 1910年9月13日 |
出生地 | 日本 京都府乙訓郡長岡町 |
没年月日 | 1976年5月2日(65歳没) |
出身校 | 立命館大学法学部中退 |
前職 | 日本労働組合総評議会議長 |
所属政党 |
(左派社会党→) 日本社会党 |
称号 |
従四位 勲二等瑞宝章 |
選挙区 | 京都府選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1956年7月8日 - 1968年7月7日 |
藤田 藤太郎(ふじた とうたろう、1910年9月13日 - 1976年5月2日[1])は日本の政治家、労働運動家。参議院議員(2期、日本社会党)。第3代日本労働組合総評議会議長。
経歴
[編集]京都府乙訓郡長岡町生まれ[2]。乙訓高等小学校卒業[2]。立命館大学法学部中退。1928年、京阪神急行電鉄入社[2]。1946年、京阪神急行電鉄労組委員長となった[2]。1947年に日本私鉄労働組合総連合会を結成して初代委員長となった[2]。1949年、中央労働委員会委員にもなった[2]。1951年、日本労働組合総評議会の副議長を経て、1953年、議長に就任した[2]。同年の第3回参議院議員通常選挙に全国区から左派社会党公認で立候補したが、落選した[3]。1956年1月、参議院議員補欠選挙に京都府選挙区から社会党公認で立候補したが、僅差で落選した[4]。しかし、同年7月の第4回参議院議員通常選挙ではトップで初当選を果たした[5]。1962年、第6回参議院選挙で再選を果たした[6]。1968年、第8回参議院選挙で3選を目指したが、2位と7千票あまりで落選した[7]。
栄典
[編集]議会活動
[編集]脚注
[編集]- ^ 『歴代閣僚と国会議員名鑑 903コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c d e f g 『議会議員便覧 昭和42年度版 190コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『参議院名鑑 : 1890年から現在・貴族院含む 285コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『選挙 : 選挙や政治に関する総合情報誌 9(2) 15コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ “京都選挙区 - 第4回参議院議員選挙(参議院議員通常選挙)1956年07月08日投票 | 選挙ドットコム”. 選挙ドットコム. 2024年10月15日閲覧。
- ^ 『参議院議員通常選挙結果調 130コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『国会便覧 昭和43年8月版 第37版 163コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 『官報』第14801号13-14頁 昭和51年5月12日号
議会 | ||
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参議院決算委員長 1964年 - 1965年 |
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