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森田高

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
森田 高
もりた たかし
生年月日 (1967-07-22) 1967年7月22日(57歳)
出生地 日本の旗 日本 富山県富山市
出身校 筑波大学医学専門学群
前職 医師
所属政党無所属→)
国民新党→)
無所属
称号 学士(医学)

選挙区 富山県選挙区
当選回数 1回
在任期間 2007年7月29日 - 2013年7月28日
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森田 高(もりた たかし、1967年7月22日 ‐ )は、日本政治家医師

参議院議員(1期)、総務大臣政務官菅直人第1次改造内閣菅直人第2次改造内閣野田内閣野田第1次改造内閣)などを歴任。

兄はプログラマーゲームクリエイター森田和郎[1]

来歴

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生い立ち

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富山県富山市生まれ。富山大学教育学部附属中学校富山県立富山高等学校理数科)、筑波大学医学専門学群卒業。1992年筑波大学附属病院泌尿器科ジュニアレジデント、1997年に筑波大学附属病院泌尿器科チーフレジデント修了。その後東京逓信病院泌尿器科医員、住友生命保険医務査定室医長・同保険医事研究室医長、晋真会ベリタス病院泌尿器科医長兼健康管理科長を務める[要出典]

政治家として

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2011年9月、総務大臣政務官就任記者会見にて主濱了(左)、福田昭夫(中央)と

2007年7月、第21回参議院議員通常選挙富山県選挙区から無所属民主党社会民主党国民新党推薦[要出典])で出馬。同い年で現職の野上浩太郎自由民主党公認)を破り、初当選を果たした。同年8月31日、参議院院内会派である民主党・新緑風会に入会[要出典]2008年12月、国民新党に入党[2]

2010年2月、国民新党政務調査会長に就任。同年9月、菅直人第1次改造内閣総務大臣政務官に任命され、党政調会長を退任。菅直人第2次改造内閣野田内閣野田第1次改造内閣においても再任された。

2013年1月16日に国民新党を離党。同年2月14日に記者会見し第23回参議院議員通常選挙に富山県選挙区から出馬せず、政界を引退して本業である医師に復帰すると共に、参議院選挙では自民党より出馬予定の堂故茂氷見市長)を応援する意向を示した。堂故は森田と同じく綿貫門下にあたる[3]

政策・主張

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2011年11月1日、民間放送60周年記念全国大会にて内閣官房副長官長浜博行(左)、日本放送協会会長松本正之(右)と
  • 自ら医療に携わった経験から、医療制度の問題にかかわる[4]
  • 東日本大震災後の政局の混乱に関連して、現職の総務大臣政務官である森田が「国難のさなか国民・被災地を置き去りにして、何の信念もなく政争をやる民主党は日本の恥。富山の有権者には二度と民主に投票すべきでないと言いたい」と発言した、と報道された[5]
  • 外国人地方参政権問題、選択的夫婦別姓制度導入に反対[6]

所属団体・議員連盟

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脚注

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  1. ^ 追想・ありし日~将棋ソフト開発のパイオニア 森田 和郎さん 打倒プロ棋士に情熱 北日本新聞 2013年8月5日
  2. ^ 国民新党:森田高参院議員の入党認める 毎日新聞 2008年12月17日
  3. ^ 残る任期、無所属で活動の森田議員…医師復帰へ 読売新聞 2013年2月14日閲覧
  4. ^ 世界岩波書店)2008年2月号
  5. ^ 富山新聞 2011年6月3日
  6. ^ http://www.ganbare-nippon.net/22_1.html
公職
先代
長谷川憲正
階猛
小川淳也
日本の旗 総務大臣政務官
内山晃
逢坂誠二と共同
浜田和幸
逢坂誠二と共同
福田昭夫
主濱了と共同
福田昭夫と共同
加賀谷健福田昭夫と共同
加賀谷健と共同
加賀谷健
稲見哲男と共同
石津政雄
稲見哲男と共同

2010年 - 2012年
次代
北村茂男
片山さつき
橘慶一郎
党職
先代
浜田和幸
国民新党代表代行
第4代:2012年 - 2013年
次代
浜田和幸
先代
下地幹郎
国民新党政務調査会長
第4代:2010年
次代
亀井亜紀子