東武啓志線
啓志線 | |
---|---|
概要 | |
現況 | 廃止 |
起終点 |
起点:上板橋駅 終点: グラントハイツ駅(旧・啓志駅、ケーシー駅) |
駅数 | 3駅 |
運営 | |
開業 | 1943年 |
全通 | 1946年3月25日 |
廃止 | 1959年7月22日 |
所有者 | 東武鉄道 |
使用車両 | 運転の節を参照 |
路線諸元 | |
路線総延長 | 6.3 km (3.9 mi) |
軌間 | 1,067 mm (3 ft 6 in) |
電化 | 全線非電化 |
停車場・施設・接続路線(廃止当時) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
啓志線(けいしせん)は、グラントハイツ(現・光が丘)に建設された駐留アメリカ軍上級士官住宅居住者、関係者の人員輸送、物資輸送のため、上板橋駅 - グラントハイツ駅(旧・啓志駅)間を結ぶ東武鉄道が運営していた鉄道路線。
啓志線の名称は、グラントハイツ建設工事総責任者のヒュー・ボイド・ケイシー中尉の名前からきている。しかし近年『光が丘学』等を初めとする各同人誌において、ケイシー中尉ではなく、その父親である、進駐軍の工兵部門トップであったヒュー・ジョン・ケイシー少将の名前からではないかとの説が提唱されている。なおケイシー中尉自身が第584建設工兵大隊に所属し、家族住宅担当であったというのは事実である。
旅客列車廃止後も貨物輸送は続けられていたが、1959年(昭和34年)7月22日に廃止された[1]。
路線データ
[編集]運転
[編集]1943年(昭和18年)、上板橋 - 陸軍第一造兵廠構内(東京第一陸軍造兵廠練馬倉庫に所在。現在の陸上自衛隊練馬駐屯地)間が完成。終戦後、GHQにより啓志(成増陸軍飛行場跡。後のグラントハイツ)までの延伸と運行が命じられた。建設は国鉄新橋工事区が施工し、東武鉄道が運行を受託した。1947年(昭和22年)から1948年(昭和23年)にかけて、池袋駅から約30分間隔でグラントハイツ駅(旧・啓志駅)まで、ノンストップの駐留アメリカ軍専用列車を運転した。旅客列車の車両には、国鉄から10両のキハ41000形ガソリンカーを借り受け運転した。アメリカ軍の当初の方針は、ガソリンカーを東京駅まで直通運転させる計画であったが、諸般の事情により実現はしなかった。
貨物列車は、池袋駅 - 北池袋駅間の西山信号所(廃止)から東上本線に乗り入れ、グラントハイツまで向かった。
啓志線は、駐留アメリカ軍専用の鉄道であり、当初、東武鉄道はこの区間の鉄道免許を持っていなかった。廃止と同時に免許を申請、取得するが、実際にはその後の運行は行われなかった。
なお2017年頃より鉄道同人誌内において、当時の東武鉄道社内新聞記事を転載する形で、東上線上板橋駅から練馬倉庫までの開業年について1944年(昭和19年)4月とする説が提唱されている。
歴史
[編集]- 1943年(昭和18年) 上板橋 - 陸軍第一造兵廠構内間が開業(当時は啓志線の名はついていない)
- 1946年(昭和21年)3月25日 啓志線が全線開通。陸軍第一造兵廠構内を練馬倉庫に改称
- 1947年(昭和22年)
- 6月 啓志をグラントハイツに改称
- 12月6日 啓志線の旅客営業開始
- 1948年(昭和23年)2月26日 啓志線の旅客営業廃止
- 1957年(昭和32年)8月1日 啓志線全線閉鎖
- 1959年(昭和34年)7月22日 啓志線廃止(練馬倉庫、グラントハイツ両駅も同日廃止)[1]
路線廃止と同時に東武鉄道が啓志線を買収。旅客営業線として活用する計画があったが、グラントハイツ跡地の利用方法が定まらず、昭和40年代以降線路は徐々に撤去されていった。
駅一覧
[編集]上板橋駅 - 練馬倉庫駅(旧・陸軍第一造兵廠構内) - グラントハイツ駅(旧啓志・ケーシー駅)
グラントハイツ駅は現在の光が丘秋の陽小学校(旧田柄第三小学校)の北側に設置され[2]、連合軍輸送を指揮監督する現場機関として、RTO(Railway Transportation Office 鉄道運輸事務所)が置かれた[3]。連合軍輸送は、定時運行を最優先するものであり、列車の運行には細心の注意が払われた。
ルートの概略については航空写真、地図等で判明していたものの、駅構内の配線図や正確な平面図については発見されていなかった。しかし近年になり、鉄道同人誌内において練馬倉庫内の配線図や『グラントハイツ専用側線 1/10000』と記された当時の平面図が掲載された。列車が走っている映像を確認することは難しいが、蒸気機関車が北町(現在の錦2丁目)付近を走り、子供が耳を塞いでいる写真を練馬区が所蔵している[4]。
接続路線
[編集]- 上板橋駅:東武東上本線
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 東武鉄道年史編纂事務局(編)『東武鉄道六十五年史』東武鉄道、東京、1964年。
- 東武鉄道社史編纂室(編)『東武鉄道百年史』東武鉄道、東京、1998年。
- 『光が丘学』東京。
- サークルTJ1914(編)『東上線三大ミスリー?研究本』東京。
- サークルTJ1914(編)『東上線三大ミスリー?研究本 修正改訂版』東京。
外部リンク
[編集]- 鉄道ホビダス 編集長敬白アーカイブ 東武鉄道啓志線のこと。(上)(インターネットアーカイブ)
- 鉄道ホビダス 編集長敬白アーカイブ 東武鉄道啓志線のこと。(中)(インターネットアーカイブ)
- 鉄道ホビダス 編集長敬白アーカイブ 東武鉄道啓志線のこと。(下)(インターネットアーカイブ)
- 練馬区ホームページ ふるさと練馬の思い出写真 ケーシー駅
- 練馬区ホームページ ふるさと練馬の思い出写真 ケーシー線の踏切
- 啓志駅の位置