日露協会
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日露協会(にちろきょうかい)とは、1906年4月に日露の親善のために生まれた協会である[1]。会頭に寺内正毅、副会頭に後藤新平、総裁に閑院宮載仁親王が就いた[2]。1915年に日露貿易調査部を開設し、部長に男爵目賀田種太郎就任[2]。1917年に露語講習所(夜間)を設け、60名の卒業生をもって1919年に閉鎖し[1]、1920年9月、ハルピンに日露協会学校(後のハルピン学院)を設立した[1]。
概要
[編集]- 創立 明治三十九年四月
- 所在地 東京市麹町区内幸町一ノ三
- 目的 露国の学術及事情の研究を奨励し、且つ日露両国民の交誼を増進する事
- 創立関係者 伯爵寺内正毅・男爵目賀田種太郎等
関係する人物
[編集]- 松岡洋右 - 日露協会の評議員[1]。後に国際反共連盟に加わる。
- 渋沢栄一 - 日露協会の評議員
- 内田良平 - 日露協会の通常会員[1]。後に国際反共連盟に加わる。
- 荒木貞夫 - 日露協会の通常会員[1]。後に国際反共連盟に加わる。
- 片山秀太郎 - 日露協会学校校長
- 高田富蔵 - 日露協会学校校長・哈爾浜学院院長
- 三沢糾 - 哈爾浜学院院長
- 三毛一夫 - 哈爾浜学院院長
- 除村吉太郎 - 日露協会学校助教授
- 染谷茂 - 哈爾浜学院教師
- 杉原千畝 - 日露協会学校の一期生
- 井上満 - 日露協会学校卒
- 加藤幸四郎 - 哈爾浜学院出身
- 奥田靖雄 - 哈爾浜学院卒
- 武藤英司 - 哈爾浜学院卒
- 福岡星児 - 哈爾浜学院でロシア語を学んだ[3]