徳川虎千代
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文化3年2月11日(1806年3月30日) |
死没 | 文化7年10月2日(1810年10月29日) |
戒名 | 俊岳院殿英晃常暉大童子 |
藩 | 紀州藩 |
氏族 | 徳川将軍家、紀州徳川家 |
父母 |
徳川家斉、速成院 徳川治宝 |
兄弟 |
清湛院、家慶、敦之助、峰姫、斉順、 浅姫、虎千代、元姫、斉明、文姫、斉荘、盛姫、池田斉衆、溶姫、和姫、松平斉民、末姫、喜代姫、斉温、松平斉良、永姫、 斉彊、松平斉善、蜂須賀斉裕、松平斉省、松平斉宣、泰姫ら26男27女 |
徳川 虎千代(とくがわ とらちよ)は、11代将軍・徳川家斉の九男。紀州藩主・徳川治宝の養子。
経歴
[編集]文化3年(1806年)2月11日、徳川家斉の九男として誕生。生母は速成院(お蝶、曽根重辰の三女)。兄弟姉妹は多数で、成人した同母弟妹に尾張藩主・徳川斉荘と長州藩主・毛利斉広正室の和姫がいる。
文化5年(1808年)に家斉の正室広大院の養いとなり、翌年(1809年)12月11日、紀州藩主・徳川治宝の長女である鍇姫(信恭院)と婚約し、治宝の婿養子となったが、文化7年(1810年)10月2日、死去、享年5(満4歳没)。
その後、異母兄・清水斉順が治宝の養子となり、紀州徳川家を継いだ。また、婚約した鍇姫は仙台藩主・伊達斉宗の正室となる。