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島津 久静(しまづ ひさなが)は、江戸時代後期の薩摩藩士。都城私領主である都城島津家25代当主。島津久本の長男。
安政3年(1856年)、久本の隠居によって家督を継ぐ。久本が始めた百姓寄合田を郷士[1]に適用した衆中寄合田を始めた。また藩政では東目海岸防禦総取として大隅半島の海防に当たった。
安政6年(1859年)、肥田景正に命じて京都・江戸を観察させ、自身も藩主島津茂久の名代として江戸に出府している。文久2年(1862年)、岳父である島津久光の上洛に先立って大館晴勝・木幡栄周・隈元棟貫・豊丸勝任・山下章・坂元良敏・立山時常らに京坂を探索させ、自身も三百余名の兵を率いて上洛した。久光が幕政改革を迫って東下した際に、尊皇攘夷過激派から京都を守護するために留守を守り、都城兵は御所の警備などを行った。しかし久静は麻疹に罹って伏見で急逝した。役人[2]の北郷資雄・資知らはその死を秘し役目を全うした。
跡を息子の久寛が継いだが、幼かったため父の久本が再び政務を見た。
明治40年(1907年)、従四位を追贈された[3]。
- ^ 都城島津家は都城城下だけでなく領内に多くの郷(外城)を抱えており、本藩と同様の行政組織をとっていた。
- ^ 薩摩藩私領主の家老にあたる役職。
- ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.23
都城島津家第25代当主(1856年 - 1862年) |
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宗家 |
忠久????-1227 | 忠時1227-1265 | 久経1265-1284 | 忠宗1284-1318 | 貞久1318-1363 | 総州家と奥州家に分裂
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総州家 |
師久1363-1376 | 伊久1376-1404 | 守久1404-???? | 久世????-1417 | 久林1417-1430 | 断絶
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奥州家 |
氏久1363-1387 | 元久1387-1411 | 久豊1411-1425 | 忠国1425-1470 | 立久1470-1474 | 忠昌1474-1508 | 忠治1508-1515 | 忠隆1515-1519 | 勝久1519-1526 | 貴久1526-1566 | 義久1566-1587 | 義弘1587-1602 | 家久1602-1638 | 光久1638-1687 | 綱貴1687-1704 | 吉貴1704-1721 | 継豊1721-1746 | 宗信1746-1749 | 重年1749-1755 | 重豪1755-1787 | 斉宣1787-1809 | 斉興1809-1851 | 斉彬1851-1858 | 忠義1858-1897 | 忠重1897-1968 | 忠秀1968-1996 | 修久1996-現在
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越前家 | |
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播磨家 | |
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伊作家 |
久長1281-1317 | 宗久1317-1354 | 親忠1354-1371 | 久義1371-1422 | 勝久1422-1433 | 教久1433-1442 | 犬安丸1442-1458 | 久逸1458-???? | 善久????-1494 | 忠良1494-1526 | 相州家相続
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薩州家 |
用久????-1459 | 国久1459-1498 | 成久1498-???? | 忠興????-1525 | 実久1525-1553 | 義虎1553-1585 | 忠辰1585-1595 | 断絶
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相州家→ 垂水家 | |
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豊州家 | |
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玉里家 |
久光1871-1887 | 忠済1888-1915 | 忠承1915-1990 | 忠広1990-現在
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加治木家 | |
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佐土原家 |
忠興1610-1637 | 久雄1637-1663 | 忠高1663-1676 | 久寿1676-1690 | 惟久1690-1723 | 忠雅1723-1753 | 久柄1753-1785 | 忠持1785-1816 | 忠徹1816-1839 | 忠寛1839-1896 | 忠亮1896-1909 | 忠麿1909-1926 | 久範1926-1944 | 忠韶1944-1973 | 忠範1973-現在
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重富家 | |
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和泉家→ 今和泉家 | |
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宮之城家 | |
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永吉家 | |
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日置家 | |
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北郷氏→ 都城家 | |
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佐多氏→ 知覧家 | |
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