川北町
かわきたまち 川北町 | |||||
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川北まつりの北國大花火川北大会 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 中部地方(北陸地方) | ||||
都道府県 | 石川県 | ||||
郡 | 能美郡 | ||||
市町村コード | 17324-0 | ||||
法人番号 | 7000020173240 | ||||
面積 |
14.64km2 | ||||
総人口 |
6,005人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 410人/km2 | ||||
隣接自治体 | 白山市、能美市 | ||||
町の木 | ケヤキ | ||||
町の花 | カワラナデシコ | ||||
町の鳥 | ヒバリ | ||||
川北町役場 | |||||
町長 | 前哲雄 | ||||
所在地 |
〒923-1295 石川県能美郡川北町字壱ツ屋174番地 北緯36度28分07秒 東経136度32分33秒 / 北緯36.46861度 東経136.54239度座標: 北緯36度28分07秒 東経136度32分33秒 / 北緯36.46861度 東経136.54239度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
川北町(かわきたまち)は、石川県の南西に位置する町。加賀平野のほぼ中央部、手取川右岸に東西に細長く広がる[1]。金沢市への通勤率は19.0%(2005年<平成17年>国勢調査)。
概要
[編集]1907年(明治40年)に中島村、草深村、砂川村が合併して川北村となり、 1980年(昭和55年)に町制を施行した[2]。町域は東西約10.6km、南北約1.3kmに広がり、手取川に沿って東西に細長くなっている[2]。
手取川の度重なる氾濫が古くから続き、氾濫の影響が少ない小高い丘に集落を形成してきた(島集落)。そのため、川北町には、島が付いた町名が残されている(田子島など)。
地理
[編集]自然地理
[編集]- 河川
隣接する自治体
[編集]歴史
[編集]沿革
[編集]- 1907年(明治40年)8月5日 能美郡中島村、草深村及び砂川村が合併して、能美郡川北村が発足する。
- 1968年(昭和43年)1月 川北村常備消防部が設置される。
- 1980年(昭和55年)4月1日 県の町制施行基準の変更を受け、町制施行して、川北町となる。
- 1990年(平成2年)4月1日 能美郡広域事務組合設立、同組合消防本部川北分署設置。
- 2017年(平成29年)4月1日 能美郡広域事務組合を解散して、白山野々市広域事務組合に加入する。
昭和30年頃の昭和の大合併では、川北村を3分割して東部の中島地区を鶴来町へ、中央部の川北地区を松任町へ、西部の橘地区を美川町へそれぞれ合併する計画があったが、調印直前になって当時の村長が公印とともに失踪する事件があり、分割合併が中止になった。
また、平成の大合併でも同調のきざしが当初から見られないこともあり、根上町・寺井町・辰口町で発足させた合併協議会に後から参加し、早々に撤退した経緯もある。
人口
[編集]平成18年時点では、増加率が県内では最も高く、特に年少人口(0~14歳)が県内で唯一の増加傾向となっている。
川北町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 川北町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 川北町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
川北町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
行政
[編集]町長
[編集]歴代村長 | |||||
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代 | 人 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
1 | 1 | 山田五三郎 | 1907年(明治40年)10月30日 | 1911年(明治44年)8月22日 | |
2 | 1911年(明治44年)9月27日 | 1913年(大正2年)9月3日 | |||
3 | 2 | 土谷亀作 | 1913年(大正2年)9月16日 | 1916年(大正5年)10月20日 | |
4 | 3 | 村上市右ェ門 | 1917年(大正6年)3月13日 | 1921年(大正10年)3月12日 | |
5 | 1921年(大正10年)3月23日 | 1925年(大正14年)3月22日 | |||
6 | 1925年(大正14年)3月 | 1929年(昭和4年)3月 | |||
7 | 1929年(昭和4年)3月 | 1933年(昭和8年)3月 | |||
8 | 1933年(昭和8年)3月 | 1937年(昭和12年)3月 | |||
9 | 1937年(昭和12年)3月 | 1941年(昭和16年)3月 | |||
10 | 1941年(昭和16年)3月 | 1945年(昭和20年)3月 | |||
11 | 1945年(昭和20年)3月 | 1947年(昭和22年)4月 | [3] | ||
12 | 4 | 森栄作 | 1947年(昭和22年)4月5日 | 1951年(昭和26年)4月4日 | |
13 | 5 | 山田善治 | 1951年(昭和26年)4月23日 | 1955年(昭和30年)4月22日 | |
14 | 1955年(昭和30年)4月30日 | 1959年(昭和34年)4月29日 | |||
15 | 6 | 森田重治 | 1959年(昭和34年)4月30日 | 1963年(昭和38年)4月29日 | |
16 | 1963年(昭和38年)4月30日 | 1967年(昭和42年)4月29日 | |||
17 | 1967年(昭和42年)4月30日 | 1971年(昭和46年)4月29日 | |||
18 | 1971年(昭和46年)4月30日 | 1975年(昭和50年)3月31日 | |||
19 | 7 | 山本堅次 | 1975年(昭和50年)4月27日 | 1979年(昭和54年)4月26日 | |
20 | 1979年(昭和54年)4月27日 | 1980年(昭和55年)3月31日 | |||
歴代町長 | |||||
代 | 人 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
1 | 1 | 山本堅次 | 1980年(昭和55年)4月1日 | 1983年(昭和58年)4月26日 | |
2 | 2 | 西田耕豊 | 1983年(昭和58年)4月27日 | 1987年(昭和62年)4月26日 | |
3 | 1987年(昭和62年)4月27日 | 1991年(平成3年)4月26日 | |||
4 | 1991年(平成3年)4月27日 | 1995年(平成7年)4月26日 | |||
5 | 1995年(平成7年)4月27日 | 1999年(平成11年)4月26日 | |||
6 | 1999年(平成11年)4月27日 | 2003年(平成15年)4月26日 | |||
7 | 2003年(平成15年)4月27日 | 2007年(平成19年)4月26日 | |||
8 | 2007年(平成19年)4月27日 | 2011年(平成23年)4月26日 | |||
9 | 3 | 前哲雄 | 2011年(平成23年)4月27日 | 2015年(平成27年)4月26日 | |
10 | 2015年(平成27年)4月27日 | 2019年(平成31年)4月26日 | |||
11 | 2019年(平成31年)4月27日 | 2023年(令和5年)4月26日 | |||
12 | 2023年(令和5年)4月27日 | 現職 |
- 町長 - 前 哲雄(まえ・てつお)
庁舎
[編集]- 川北町役場
- 〒923-1295 石川県能美郡川北町字壱ツ屋174番地
財政等
[編集]- 1980年(昭和55年)の町制化以降、川北町による積極的な企業誘致活動が行われた。松下電器産業(当時)の進出など相次ぎ、企業からの税収入が増加の一途をたどっている。
- また、下水道普及率が石川県内では唯一100%(2009年<平成21年>時点、参照:石川県の下水道事業)整備されている。
- 雇用促進住宅「サン・コーポラス」の廃止に伴い、2棟の5階建て建物を住民を入居させたままで、そのまま雇用・能力開発機構から買い取るかたちで町営住宅化した(サンハイム三反田)。
施設
[編集]- 川北町ふれあい健康センター
- 川北温泉と図書館を併設した施設となる。
- サンアリーナ川北
- 多目的屋内運動場であり、テニスコートが3面が使用できる広さを持つ。
- 川北町コミュニティ&スポーツ公園
- ナイター野球場1面、ソフトボール場2面、テニスコート2面がある。バーベキュー等が行える施設もある。また、川北まつりでは開催場所にもなる。
経済
[編集]産業
[編集]手取川の豊富な伏流水を利用する電子部品工場が立地している。町の財政もこれらの企業からの税収により成り立っている。 その他、古くから旧国道8号線沿いの手取川付近に砕石業者が林立し、同業者組合の運営する骨材会館が町役場近くにある。
主な事業所
[編集]- ジャパンディスプレイ(旧 東芝モバイルディスプレイ)石川工場 - 液晶ディスプレイ(TV・PC用など)の製造
- ハチバンフーズパーク - 株式会社ハチバンの製めん・食材加工
商業
[編集]町内にあるプラント3川北店(字朝日)とヤマキシ川北店(字三反田)の2店舗で、商業施設の売り場面積の99%以上を占めている。
特産
[編集]特産品として、いちじく・しいたけ・加賀雁皮紙・地ビールがある。
地域
[編集]公共機関
[編集]警察
- 木呂場駐在所
- 壱ッ屋駐在所
消防
白山野々市広域消防本部(白山市)が管轄する。
- 川北分署
医療機関
川北町内には病院がない。南加賀医療圏における中核医療機関は、国民健康保険小松市民病院(小松市)である。川北町は公立松任石川中央病院(白山市)の運営にも参加している。
郵便局
集配は、辰口郵便局(能美市)が担当する。
- 川北郵便局 (無集配)
社会資本
[編集]- 上水道
- 下水道
- 町内には各集落ごとに排水処理施設が整備されている。
- ゴミ処理
白山野々市広域事務組合(白山市)が担当する。
- 電話
- 076-277となっている。川北町橘新は076-278。
教育
[編集]中学校
[編集]- 川北町立(1校)
小学校
[編集]- 川北町立(3校)
- 中島小学校
- 川北小学校
- 橘小学校
- 児童数が少ないため、高学年はクラブ活動の一環で多数が吹奏楽クラブに所属する。
交通
[編集]鉄道
[編集]- 町内の西部を北陸新幹線が通過しているが、駅はない。IRいしかわ鉄道線美川駅が最寄となる(車で約10分)。
- バス利用の場合は川北町役場へは、松任駅からとなる。また、金沢駅からは国道157号を経由する「寺井中央」行が利用可能である。
道路
[編集]バス
[編集]マスメディア
[編集]- 金沢ケーブルのサービスエリアとなっている。
観光
[編集]祭り・イベント
[編集]- 川北まつり
日本最大級の高さ45メートルのかがり火を使った「手取の火祭り」が開催される。 また、同時に2尺玉が打ち上げられる石川県最大規模となる「北國大花火川北大会」が開催される。 手取川の河川敷に設けられた特設ステージでは、豊作の祈りを込めた「虫送り太鼓」や先人の遺徳と御霊を慰める「送り火」、 地域おこしの一環として生まれた「手取亢龍太鼓」などが次々と披露される。
出身有名人
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『川北町史第2巻 近・現代編』 - 川北町(1996年)
- 『図説 川北町の風土と歴史』 - 川北町(1999年)