川上忠克
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 永正4年(1507年) |
死没 | 文禄元年(1592年) |
改名 | 忠克→意釣(法号) |
別名 | 通称:源三郎、又九郎 |
官位 | 上野介 |
主君 | 島津貴久→義久 |
氏族 | 川上氏 |
父母 | 父:川上栄久 |
兄弟 | 忠豊、道堯、忠克 |
子 | 忠頼、久朗、忠実、女子、島津実久継室 |
川上 忠克(かわかみ ただかつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。島津氏の家臣。
略歴
[編集]兄・道堯が病身であったために家督を継ぎ、祖父以来の領地である串木野の30町を領した。
天文年間頃、自らの次女が薩州島津氏の島津実久の継室であったため、実久に与していた。しかし、実久が島津貴久と争って没落すると天文8年(1539年)8月、貴久に降伏した。貴久にこのとき、甑島列島に流刑に処されたが、3年後に罪を許されて島津氏の家老となった。