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前田佳都男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
前田 佳都男
まえだ かづお
生年月日 1910年11月24日
出生地 和歌山県
没年月日 (1978-01-04) 1978年1月4日(67歳没)
死没地 東京都千代田区 東京逓信病院
出身校 東京帝国大学法学部
前職 大阪郵政局長
所属政党 自由民主党
称号 正三位
勲一等旭日大綬章
子女 前田勲男

在任期間 1974年7月27日 - 1977年7月28日

内閣 第2次田中角栄内閣
在任期間 1972年12月22日 - 1973年11月25日

選挙区 和歌山県地方区
当選回数 4回
在任期間 1956年7月8日 - 1978年1月4日
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前田 佳都男(まえだ かづお、1910年11月24日 - 1978年1月4日)は、日本政治家参議院議員(4期)。参議院副議長(第13代)。科学技術庁長官(第26代)。息子は法務大臣を務めた前田勲男

来歴・人物

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和歌山県出身。東京法学院卒で伊那合同銀行取締役を務めた前田友次郎の長男。旧制和歌山県立伊都中学より旧制浪速高等学校文科甲類[1]を経て1934年東京帝国大学法学部政治学科卒業。

逓信省に入省後、イギリスアメリカフランスドイツなどに留学を経験し[2]1937年小倉郵便局長、1943年貯金局企画課長、郵務局逓送課長、郵務局次長などを歴任し、1955年大阪郵政局長を最後に退官。政界入りを目指し翌年の参議院選挙に和歌山地方区から自由民主党公認で出馬し初当選。連続当選4回。大蔵政務次官、参議院大蔵委員長、運輸委員長を経て、1972年12月、第2次田中角栄内閣科学技術庁長官として初入閣。1974年7月から1977年7月まで参議院副議長を務めた。

自民党では佐藤栄作派(周山会)に属して郡祐一斎藤昇徳永正利らとともに参院佐藤派の重鎮として重きをなした。1972年、同派の田中角栄が次期総理総裁を目指して田中派を旗揚げするとこれに参加した。原子力委員長、宇宙開発委員長も務めた[2]

1978年1月4日、東京都千代田区東京逓信病院で現職のまま死去、67歳[3]。葬儀は同月12日に準自民党葬として増上寺で行われた[4]。死没日をもって勲一等旭日大綬章追贈(勲五等からの昇叙)、従五位から正三位に叙される[5]。地盤は息子の勲男に引き継がれた。

選挙歴

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当落 選挙 施行日 選挙区 政党 得票数 得票率 得票順位
/候補者数
比例区 比例順位
/候補者数
第4回参議院議員通常選挙 1956年7月8日 和歌山県地方区 自由民主党 226,787 60.5 1/2 - -
第6回参議院議員通常選挙 1962年7月1日 和歌山県地方区 自由民主党 239,277 59.3 1/3 - -
第8回参議院議員通常選挙 1968年7月7日 和歌山県地方区 自由民主党 258,276 57.0 1/3 - -
第10回参議院議員通常選挙 1974年7月7日 和歌山県地方区 自由民主党 280,816 55.8 1/3 - -
当選回数4回 (参議院議員4)

脚注

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  1. ^ 「旧制高等学校物語 第18」財界評論新社 1969年
  2. ^ a b 前田 佳都男」『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』https://kotobank.jp/word/%E5%89%8D%E7%94%B0%20%E4%BD%B3%E9%83%BD%E7%94%B7コトバンクより2023年2月15日閲覧 
  3. ^ 第84回国会 参議院 本会議 第3号 昭和53年1月21日
  4. ^ 訃報欄 故前田佳都男氏の準自民党葬『朝日新聞』1976年(昭和53年)1月7日、13版、19面
  5. ^ 『官報』第15297号7頁 昭和53年1月11日号
公職
先代
中曽根康弘
日本の旗 科学技術庁長官
第26代:1972年 - 1973年
次代
森山欽司
先代
中曽根康弘
日本の旗 総理府原子力委員会委員長
第26代:1972年 - 1973年
次代
森山欽司
議会
先代
森八三一
日本の旗 参議院副議長
第13代:1974年 - 1977年
次代
加瀬完
先代
柴田栄
日本の旗 参議院大蔵委員長
1971年 - 1972年
次代
藤田正明
先代
三木與吉郎
日本の旗 参議院運輸委員長
1961年 - 1962年
次代
村松久義