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小浜市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おばまし ウィキデータを編集
小浜市
小浜市旗 小浜市章
小浜市旗 小浜市章
1951年9月1日制定
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
都道府県 福井県
市町村コード 18204-4
法人番号 6000020182044 ウィキデータを編集
面積 233.11km2
総人口 27,711[編集]
推計人口、2024年10月1日)
人口密度 119人/km2
隣接自治体 三方上中郡若狭町大飯郡おおい町
滋賀県高島市
市の木 モミジ
市の花 ツツジ
小浜市役所
市長 杉本和範
所在地 917-8585
福井県小浜市大手町6番3号
北緯35度29分44秒 東経135度44分48秒 / 北緯35.49561度 東経135.74661度 / 35.49561; 135.74661座標: 北緯35度29分44秒 東経135度44分48秒 / 北緯35.49561度 東経135.74661度 / 35.49561; 135.74661
小浜市役所
小浜市役所
地図
市庁舎位置
外部リンク 公式ウェブサイト

小浜市位置図

― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト

小浜市(おばまし)は、福井県南西部(嶺南)に位置し、若狭湾に面する、旧若狭国国府遠敷。もと酒井氏11万石の城下町。日本海岸の要港。若狭塗若狭めのう細工が特産。景勝地の蘇洞門がある。人口約3万人。ソフトバレーボール発祥の地。1951年(昭和26年)市制施行。

概要

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畿内の色が濃い港町で、律令時代より前からヤマト王権日本海側入口として盛えて来た。古く風情ある町並みを残しており若狭の小京都と呼ばれることも多い[注 1]。また、市内には国宝や国指定の重要文化財が数多く立地し、海のある奈良と呼ばれることもある。

3月に奈良の東大寺で実施されるお水取りの水は、遠敷川・鵜の瀬から送られたものと言われている。また、伊勢志摩淡路島と並んで、海産物を奈良や京都まで送った地域(御食国)の一つでもある。

江戸時代には浅井三姉妹の次女・の夫である京極高次京極氏)や、酒井氏などが治める小浜藩城下町だった。この時代からサバの水揚げ基地ともなっており、鯖街道の起点となった。

地理

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地形

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小浜市中心部周辺の空中写真。2013年7月20日撮影の10枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

福井県の南西部、若狭国中央部に位置し北は若狭湾とその内湾である小浜湾に面する。古くから日本海の要港だった。東南部から小浜湾に流入する北川南川多田川流域に平地が開ける。

  • 山:久須夜ヶ岳百里ヶ岳多田ヶ岳飯盛山
  • 川:北川、南川、多田川、松永川、遠敷川、江古川、森川、野代川、野木川、窪谷川、五十谷川、田村川、奥田縄川、須縄川、城亭川、込田川、太良川、飯盛川、本所川
  • 湾:若狭湾(小浜湾、矢代湾
  • 半島:内外海半島、黒崎半島(別名:田烏半島)

気候

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日本海側気候である。また、豪雪地帯対策特別措置法において豪雪地帯に指定されている。

小浜(小浜市遠敷、標高10m)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 18.5
(65.3)
21.6
(70.9)
25.2
(77.4)
30.9
(87.6)
34.0
(93.2)
37.5
(99.5)
38.7
(101.7)
39.1
(102.4)
37.4
(99.3)
31.4
(88.5)
26.6
(79.9)
21.8
(71.2)
39.1
(102.4)
平均最高気温 °C°F 7.4
(45.3)
8.0
(46.4)
12.1
(53.8)
18.0
(64.4)
23.0
(73.4)
26.3
(79.3)
30.5
(86.9)
32.1
(89.8)
27.6
(81.7)
21.9
(71.4)
16.3
(61.3)
10.5
(50.9)
19.5
(67.1)
日平均気温 °C°F 3.8
(38.8)
4.1
(39.4)
7.4
(45.3)
12.6
(54.7)
17.7
(63.9)
21.6
(70.9)
25.7
(78.3)
27.0
(80.6)
22.9
(73.2)
17.2
(63)
11.6
(52.9)
6.5
(43.7)
14.8
(58.6)
平均最低気温 °C°F 0.4
(32.7)
0.4
(32.7)
2.8
(37)
7.5
(45.5)
12.8
(55)
17.6
(63.7)
22.1
(71.8)
23.0
(73.4)
19.1
(66.4)
12.8
(55)
7.1
(44.8)
2.6
(36.7)
10.7
(51.3)
最低気温記録 °C°F −9.4
(15.1)
−10.1
(13.8)
−6.7
(19.9)
−1.5
(29.3)
3.9
(39)
6.3
(43.3)
13.6
(56.5)
14.0
(57.2)
8.5
(47.3)
2.7
(36.9)
−1.2
(29.8)
−7.8
(18)
−10.1
(13.8)
降水量 mm (inch) 217.6
(8.567)
156.6
(6.165)
135.4
(5.331)
108.4
(4.268)
137.9
(5.429)
137.8
(5.425)
180.7
(7.114)
157.1
(6.185)
234.4
(9.228)
179.9
(7.083)
160.0
(6.299)
222.6
(8.764)
2,018.7
(79.476)
降雪量 cm (inch) 66
(26)
62
(24.4)
9
(3.5)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
20
(7.9)
157
(61.8)
平均月間日照時間 64.1 77.4 124.7 169.3 196.8 141.2 162.6 205.2 140.6 136.9 104.3 81.5 1,613.4
出典:気象庁

人口

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小浜市と全国の年齢別人口分布(2005年) 小浜市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 小浜市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
小浜市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 33,702人
1975年(昭和50年) 33,890人
1980年(昭和55年) 34,049人
1985年(昭和60年) 34,011人
1990年(平成2年) 33,774人
1995年(平成7年) 33,496人
2000年(平成12年) 33,295人
2005年(平成17年) 32,182人
2010年(平成22年) 31,340人
2015年(平成27年) 29,670人
2020年(令和2年) 28,991人
総務省統計局 国勢調査より

健康

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隣接自治体

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福井県の旗 福井県
滋賀県の旗 滋賀県

歴史

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古代

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若狭国遠敷郡(おにゅうぐん)と大飯郡の一部を占め、延喜式名神大社で若狭国一宮若狭彦神社、若狭国二宮の若狭姫神社が鎮座する。他にも延喜式内社は多い。

若狭国府も小浜付近にあったと考えられるが、比定地は不明である。

中世・近世

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鎌倉時代に小浜は国衙の税所が支配する今富名の一部に組み込まれたが、南北朝時代に入ると若狭守護の支配下に置かれた。守護は度々代わり、そのうちに今富名は山名氏に恩賞として与えられたために、守護に任じられた一色氏は山名氏と対立、明徳の乱で山名氏と戦い今富名と丹後国を奪って小浜の支配を回復した。

一色義貫足利義教に謀殺されると、謀殺に加担した武田氏が安芸から、若狭国の守護として入り、京都から多くの貴族を招くなど、公家文化が華ひらいた。織豊期に、越前国朝倉氏の攻撃によって衰退した。

関ヶ原の戦いの後、論功行賞により浅井三姉妹の次女・初の夫である京極高次が若狭一国8万5,000石を賜って後瀬山城に入城する。京極家はさらに小浜城(雲浜城)を築き、小浜は小浜藩城下町として盛えた。その後、京極家は出雲松江に加増転封され、代わって酒井忠勝徳川家光から長年の忠勤の褒美として若狭の国持大名として封じられた(しかし、国持大名としての格式は1代のみ)。

近代・現代

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明治
大正
  • 1914年大正3年)8月3日:小浜公園開園。
  • 1915年(大正4年):小浜電灯(翌年、若狭電気に名称を変更する。)、遠敷村に下根来水力発電所竣工。
  • 1918年(大正7年)11月10日:小浜線が小浜まで延伸。小浜駅開業。
昭和
平成

行政

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歴代市長
氏名 就任 退任 備考
初代 田中信蔵 1951年 1953年
2代 中崎源治郎 1953年 1953年 昭和28年台風第13号にて被災し死亡
3代 今島寿吉 1953年 1965年
4代 鳥居史郎 1965年 1973年
5代 浦谷音次郎 1973年 1984年
6代 吹田安兵衛 1984年 1988年
7代 辻與太夫 1988年 2000年
8代 村上利夫 2000年 2008年
9代 松崎晃治 2008年 2024年
10代 杉本和範 2024年 現職

議会

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市議会

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  • 定数:18人[8]

衆議院

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議員名 党派名 当選回数 備考
高木毅 自由民主党 2 選挙区

提携都市

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日本国内

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姉妹都市
提携都市
その他

海外

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経済

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小浜市中心部

第一次産業

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漁業

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生活

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小浜警察署
若狭消防署
杉田玄白記念公立小浜病院

国の機関

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警察

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消防

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病院

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公立
民間
  • 田中病院

郵便

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  • 小浜郵便局
  • 内外海郵便局
  • 遠敷郵便局
  • 小浜今富郵便局
  • 小浜駅前郵便局
  • 小浜住吉郵便局
  • 小浜玉前郵便局
  • 小浜西津郵便局
  • 加斗郵便局
  • 口名田郵便局
  • 新平野郵便局
  • 中名田郵便局
  • 宮川郵便局
  • 田烏簡易郵便局

文化施設

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福井県立若狭歴史博物館

体育施設

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  • 小浜市民体育館
  • 総合運動場
  • 温水プール
  • テニス場
  • 野球場
  • 中央・野代グラウンド

教育

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大学
高等学校
中学校
小学校

※の小学校は標準服の着用が義務付けられている。

  • ※小浜市立今富小学校
  • ※小浜市立内外海小学校
  • 小浜市立雲浜小学校
  • ※小浜市立小浜小学校
  • ※小浜市立加斗小学校
  • ※小浜市立口名田小学校
  • ※小浜市立中名田小学校
  • ※小浜市立西津小学校
  • ※小浜市立小浜美郷小学校
特別支援学校
  • 福井県立嶺南西特別支援学校

マスメディア

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交通

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小浜駅
小浜IC
若狭ヘリポート

鉄道

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西日本旅客鉄道(JR西日本)

北陸新幹線では東小浜駅と小浜駅の間の小浜線と交差する位置に新幹線駅の設置が予定されている[9]

路線バス

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かつては京都、大阪方面への高速バスが運行されていた。

道路

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高速道路
  • E27 舞鶴若狭自動車道
一般国道
都道府県道
主要地方道
一般県道
広域農道

ヘリポート

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観光

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国宝・明通寺本堂と三重塔
名勝・萬徳寺庭園
小浜西組
名勝・蘇洞門

小浜市は「御食国」の一角だった歴史から、観光関係者は「心やすらぐ美食の郷 御食国若狭おばま」をキャッチフレーズに掲げている。また、多くの名勝・旧跡および周辺の自然と食材の豊富さから、第5次小浜市総合計画では、『「無限大」感動おばま』をキャッチフレーズに掲げていた[10]

文化財

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  • 明通寺 - 806年坂上田村麻呂の創建と伝える古寺、本堂と三重塔が国宝、他重要文化財多数
  • 萬徳寺 - 枯山水庭園が名勝ヤマモミジが国の天然記念物
  • 若狭国分寺 - 741年創建、本尊の木造薬師如来坐像が重要文化財
  • 若狭神宮寺 - 714年創建、本堂と仁王門が重要文化財。お水送りの寺
  • 羽賀寺 - 716年創建と伝える古寺、本堂、本尊の木造十一面観音立像などが重要文化財。北陸三十三ヵ所観音霊場第5番札所。
  • 妙楽寺 - 鎌倉時代建築の本堂などが重要文化財
  • 多田寺 - 日本三大薬師の一つ、木造薬師如来立像・十一面観音立像・菩薩立像が重要文化財。北陸三十三ヵ所観音霊場第4番札所・北陸白寿観音霊場第2番札所。若狭観音霊場第18番札所。
  • 妙楽寺 - 本堂、木造千手観音立像が国の重要文化財。北陸三十三ヵ所観音霊場第3番札所・若狭観音霊場第19番札所。
  • 圓照寺 - 木造大日如来坐像、木造不動明王立像が国の重要文化財:林泉庭園 県指定名勝。若狭観音霊場第20番札所。
  • 正林庵 - 荘園研究で有名な太良荘にある。銅造如意輪観音半跏像が国の重要文化財:福井県最古の金銅仏
  • 飯盛寺 - 本堂が重要文化財
  • 長源寺 - 絹本著色弥勒菩薩像が重要文化財 
  • 長慶院 - 木造観音菩薩坐像が重要文化財、小浜市堅海 
  • 谷田寺 - 木造千手観音立像が重要文化財、小浜市谷田部
  • 加茂神社 - 木造千手観音立像が重要文化財、小浜市加茂
  • 若狭彦神社 - 若狭一の宮 太刀(伝宗近)などが重要文化財、当神社に伝わった銅造薬師如来立像(重要文化財)は竜前地区が管理。
  • 若狭姫神社 - 若狭二の宮
  • 旧中名田郵便局 - 国登録有形文化財

名所・旧跡

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主な城郭・館
主な神社

小浜市中心部の24区には、各地の神社に由来する名前が付いている。

主な寺院
主な遺跡
  • 岡津製塩遺跡 - 飯盛山山麓の岡津にある7世紀から8世紀にかけての製塩遺跡、国の史跡
  • 加茂古墳 - 小浜市加茂にある福井県下で最大級の横穴式石室
主な史跡

観光スポット

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小浜地区周辺
湾岸
海水浴場
  • 小浜湾内海水浴場
    • 人魚の浜海水浴場(人工海浜)
    • 勢浜海水浴場
    • 若狭鯉川シーサイドパーク(人工海浜)
  • 矢代湾内海水浴場
    • 阿納海水浴場
    • 犬熊海水浴場
    • 志積海水浴場
    • 矢代海水浴場
    • 田烏代海水浴場
    • 大浜海水浴場 
  • 内外海半島若狭湾岸
    • 宇久海水浴場

文化・名物

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祭事・催事

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  • お水送り(3月2日) - 神宮寺・鵜の瀬。奈良・東大寺お水取りの対となっている祭り。
  • 手杵祭(4月3日) - 県無形民俗文化財。759年に漂着した唐船の異人たちを杵で撲殺し財宝を奪ったところ災難が続いたため観音堂を建て以後祭りを行なって弔ったのが起こりで、矢代観音で開かれる[11]
  • お城祭り(5月2・3日) - 小浜城址周辺、雲浜獅子が見もの。
  • 箸祭り(8月4日)
  • 地蔵盆(8月23日) - 特に西津地区、小浜地区で盛ん。
  • 放生まつり(9月14日・15日) - 毎年9月敬老の日直前の土・日曜日に行われる小浜男山の八幡神社の祭礼[12]。旧小浜24地区が隔年で12区づつ、御神輿のほか、元々小浜祇園祭の出し物だった山車、神楽、棒振り太鼓、獅子などの芸能を奉納する[12]。若狭地方最大の秋祭りで300年の伝統がある[12]

名産・特産

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地域おこし

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オバマを勝手に応援する会
アメリカで大統領となったバラク・オバマと市名が同じであるとして小浜市の一部市民有志が勝手に結成したもの。英語版ウィキペディアの「Obama, Fukui
初の暮らした町
小浜市は、浅井三姉妹の次女・初(常高院)が暮らした町であることからそのゆかりの旧跡も多い。特に常高寺や後瀬山城の麓館などは、常高院と関係が深いことで知られる。NHKの大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」の放映以後、同ドラマの主人公である妹の江(徳川秀忠夫人)および姉の茶々(淀殿)と仲が良く、夫の高次との夫婦仲も睦まじかったことで知られる初により、地域おこしを図っている。
小浜はまかぜ寄席
NHKの連続テレビ小説(朝ドラ)「ちりとてちん」 の主人公が小浜市で少女期を過ごした[注 2]設定であったことから、「ちりとて落語の会」がはまかぜ商店街活性化のため寄席を行っている。
市が発祥のゲーム
オバマージャン

出身関連著名人

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若狭国の人物小浜藩の人物幕末小浜藩の人物も参照。

出身著名人

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政治・行政
経済
学者
芸術・文化
スポーツ
芸能
軍人
その他

ゆかりのある人物

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  • 行基(奈良時代の僧) - 716年に羽賀寺(小浜)を創建。
  • 良弁 - 幼い頃、鷲にさらわれ奈良金鐘寺(東大寺の前身)で育てられて僧侶となった。東大寺の建立に尽力し、東大寺初代別当になった。鵜の瀬の白石神社の前には、和尚生誕地の石碑がある。若狭国小浜下根来生まれとの諸説あり。
  • 実忠(けかえ、通称:お水取り)の創始者。毎年、3月2日に小浜から奈良へお水送りの伝統神事が行われる。
  • 坂上田村麻呂(平安初期の武将) - 蝦夷を征討し征夷大将軍となった。蝦夷征伐道中の長田寺(小浜市中名田)に薬師如来像を安置したといわれている。また、国宝三重塔で有名な明通寺(小浜市門前)を806年に建てた。
  • 藤原重頼受領鎌倉幕府御家人
  • 三条宗近刀工
  • 二条院讃岐 - 平安末期から鎌倉時代初期の女流歌人。二条天皇、のちに後鳥羽天皇に仕えた。矢代湾の沖の石を詠んだといわれる和歌「わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし」は、小倉百人一首に選ばれた(92番)。
  • 世阿弥 - 室町時代の猿楽師。幼名は鬼夜叉。父の観阿弥と共に猿楽(現在の能)を大成、多くの作品を残した。将軍足利義教により佐渡に流罪となり、小浜湊「津田の入り江」より船出した。
  • 一色義貫 - 室町時代の若狭・三河・丹後・山城の守護大名。勢力を拡大しますが、足利義教に警戒され、武田信栄により暗殺された。廣峰神社鳥居根元には、一色義貫造立の文字が残されている。
  • 亜烈進卿 - 1408年、若挾の中湊浜に南蛮船が漂着。この船には亜烈進という首長一行が室町幕府の将軍に献上するための「象1頭、孔雀、オウム、そのほか献上品」が乗っていた。象は4代将軍足利義持に献上された。
  • 山名時氏(武将、守護大名
  • 建部寿徳(武将)
  • 石田三成(武将)
  • 武田信賢 - 兄信栄より若狭守護職を継ぐ。父が支配していた本国安芸から国人を移すなど若狭武田氏の基礎を築いた。応仁の乱で東軍の副将を務めるなど武勇に優れた大男だったといわれている
  • 武田信親 - 若狭武田氏の第4代当主。室町幕府第9代将軍・足利義尚の御相判衆に任じられた。死去の年代は1485年と1514年の2説がある。栖雲寺(小浜大原)を1482年に建てた。
  • 武田元信 - 若狭武田氏の第5代当主。兄信親はすでに亡き父国信の死により若狭守護職を継ぐ。和歌や故実などの公家文化に通じ、芸能文化面の発展に貢献した。佛国寺(小浜市伏原)を1502年に建てた。
  • 武田元光 - 若狭武田氏の第6代当主。父元信の出家により若狭国守護を継ぐ。後瀬山に城を築き守護館も山麓に移した。細川高国の要請で京に出兵、大敗し近江へ逃げる。発心寺(小浜市伏原)を1522年に建てた。
  • 潤甫周玉 - 5代元信の子。栖雲寺(小浜大原)を再興し、雲外寺(小浜市谷田部)を建てた。実隆から和歌の教えを受け、歌会や狂歌合を催した。天文元年に栖雲寺で『孟子』の講釈会を開いた。
  • 丹羽長秀 - 安土桃山時代の武将。織田氏の家臣。信長の進める戦のほとんどに参加、各地を転戦した。信長死後は秀吉を支持。秀吉より若狭国を与えられ、後瀬山城の城郭の大規模な補強を行った
  • 京極マリア - 京極高次・竜子の母。敬虔なキリシタン。長男高次が領する若狭小浜にもたびたび足を運んだといわれている。
  • 浅野長吉 - 豊臣秀吉に重用され若狭小浜藩主となった。熊川の地が、交通と軍事において重要な場所であることから、ここに町奉行を置き、宿場町としての発展の基礎を築いた。晩年は長政を名乗った
  • 京極高次 - 安土桃山時代から江戸時代初期の武将。正室は常高院・お初。関ヶ原の戦いの功績により若狭小浜藩の藩主となった。後瀬山城を廃し小浜城の築城と城下町の整備をした。
  • 常高院お初 - 若狭小浜藩の藩主京極高次の正室。姉は豊臣秀吉の側室「茶々」妹は徳川秀忠正室「江」。小浜浅間にある常高寺は、お初の発願により建立された
  • 木下勝俊 - 江戸前期の武将・歌人。豊臣秀吉の正室北政所の甥。若狭小浜領主。細川幽斎に和歌を学び、清新自由な歌風で知られた。一時期はキリシタンでもあり、洗礼名はペテロと伝わる。あらぬ世に身はふりはてて大空も 袖よりくもる初しぐれかな
  • 酒井忠勝 - 若狭小浜藩の藩主。京極氏の領地を引き継ぎ、小浜城を完成させ小浜藩の政治の基礎を整えた。三代徳川家光の右腕といわれ、大老をつとめた。
  • 京極忠高 - 京極高次の長男。小浜 - 熊川の間を流れる遠敷川の改修をし、船が往来できるようにした。その後、松江に転封。わずか3年で死去したが、若狭土手と呼ばれる大土手を作り、功績を残した。
  • 松木庄左衛門 - 江戸時代前期、若狭の農民は重い年貢に苦しんでいた。庄左衛門は年貢軽減を直訴して一命を捨て悲願を達成した。正義ある行動が語り継がれ、松木神社が建立された。
  • 京極竜子 - 京極マリアの娘。若狭武田氏・武田元明の妻。
  • 秋田実季(大名)
  • 酒井忠貫 - 若狭小浜藩9代目藩主。山崎闇斎を師とする崎門学派の講師を招いて藩校順造館を設立し、家臣の教育に力を注いだ。
  • 綱女 - 西津の漁夫の娘。家は貧しく松見茂太夫の家に子守として奉公。幼児義方を子守り中に狂犬に襲われ、命を投げ出して子を守った。小浜藩はその勇気と忠誠心を讃えた。
  • 浅利又七郎 - 本名は浅利義信。幕末の剣豪。小浜藩江戸屋敷の剣術指南を勤めた。一時期、千葉周作が道場を継いだが物別れとなる。突きの名手といわれていた。
  • 尾崎放哉 - 明治から大正時代の俳人。荻原井泉水の主宰する俳句雑誌「層雲」に参加して自由律俳句の代表的俳人となった。1925年小浜常高寺の寺男として住んでいた期間がある。
  • 原在中絵師) - 先祖が若狭国小浜出身
  • 日野陽仁(俳優、本名・平井洋二(ひらい ようじ)、旧芸名は日埜洋人ホットロード所属)- 幼少期に小浜市に住んでいた
  • 太宰治小説家) - 先祖である松木家が小浜市出身
  • 安倍晋三政治家) - 安倍一族の末裔が羽賀寺を再建
  • 古村貢三郎(政治家) - 遠敷郡長を歴任
  • 山田知司裁判官) - 小浜支部判事として赴任
  • 赤井米吉(教育者、元小浜水産学校教諭、明星学園、金沢女子専門学園(現・学校法人金沢学院大学)創立者)
  • 藤野寄命博物学者、ソメイヨシノ発見者、旧制小浜中学教諭)
  • 菊池三渓漢学者) - 小浜で死去
  • 松原敬輔医学者) - 小浜で死去
  • 野村達雄エンジニアPokémon GO開発者) - 内祖母が小浜市出身の中国残留日本人
  • 谷川イリーナ和菓子職人) - ウクライナ出身、小浜市遠敷在住

関連項目

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脚注

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注釈
  1. ^ 過去には全国京都会議に加盟していたが現在は脱退[1]
  2. ^ 主人公一家は鯖江市から転居した設定になっている。
出典
  1. ^ a b 「小京都」最盛期の3分の2に 名乗り続ける町、止めた町、各々の事情”. 中日新聞. 2024年3月27日閲覧。
  2. ^ 「福井県の地名」 PP.612-614 平凡社 2001年7月1日
  3. ^ a b 遠敷郡教育会編纂『若狭遠敷郡誌』
  4. ^ 『福井県史』通史編6 近現代二 機雷封鎖と原爆模擬弾投下 福井県文書館
  5. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、98頁。ISBN 978-4-10-320523-4 
  6. ^ 小出博 「高潮と豪雨のために大水害」『日本の水害』p32 東洋経済新報社 昭和29年9月10日
  7. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、133頁。ISBN 978-4-10-320523-4 
  8. ^ ○小浜市議会の議員の定数を定める条例”. 小浜市 (2000年9月25日). 2018年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月10日閲覧。
  9. ^ “北陸新幹線の新駅、JR東小浜駅の西側に 国交省が「小浜・京都ルート」3駅の詳細位置案”. 福井新聞ONLINE. (2024年8月28日). https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/2117174 
  10. ^ 第3章 まちづくりの目標”. 小浜市. 2022年10月16日閲覧。
  11. ^ 手杵祭 - 福井の文化財
  12. ^ a b c 由来 - 放生祭
  13. ^ 大久保直樹 (2017年5月26日). “若狭ふぐ、大きく育て 養殖用の稚魚出荷 小浜”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 福井全県版 

外部リンク

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