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ぶ厚い!1、2章だけ目を通したけど、まあバランス重視(中庸)で真面目に問題考えてる感じ。その分エッジは弱くなってるかなあ。2章の最後の方では表現の自由は擁護しようとしているものの、ネット人民に対する懐疑みたいなのが強まってるっぽいけど、ちょっと悲観的すぎる気はする。私はもうすこし楽観的でありたいな。いわゆる(人文系)アカデミアは、そんなにまともなところではないのではないかという気がする。まあもうちょっとちゃんとしてくれ、ってことなんだろうけどねえ。
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実に読みごたえのある、圧倒的なヴォリュームに舌を巻く。本書でクリッツァーはさまざまなアカデミシャンの理論を援用しシャープな考察を行ったりきたりさせる。ともするとTwitterに代表される「ワンワード」で相手のマウントを取るしぐさこそ評価される時代、彼のこの「繊細さ」「柔軟さ」はそのまま煮え切らなさとも見なされうるリスクがある。だが、それでも彼はその割に合わないリスクを引き受け、彼自身のアイデンティティをも開陳することも辞さない(もちろん、これもそれ相応のリスクがあるはずだ)。この不器用な真面目さを買いたい
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冒頭のキャンセルカルチャーから男女問題。
日本に住み続けている自分たちの正義を振り翳すのはもうやめたい。
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キャンセル・カルチャー
著名人の過去の言動やSNSの投稿を掘り返して批判を行い、本人に謝罪を求めたり、出演や発表の機会を持たせないようにメディアに要求したり、その地位や権威を剥奪するよう本人の所属機関に要求したりする運動のこと
マイクロアグレッション
ありふれた日常の中にある、ちょっとした言葉や行動や状況であり、意図の有無にかかわらず、特定の人や集団を標的とし、人権、ジェンダー、性的指向、宗教を軽視したり侮辱したりするような、敵意ある否定的な表現のこと
日頃から心の中に潜んでいるものが口に出たということであり、口にした本人に“誰かを差別したり、傷つけたりする意図があるなしとは関係なく、対象になった人やグループを軽視したり侮辱するような敵対・中傷・否定のメッセージを含んでおり、それゆえに受け手の心にダメージを与える言動
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正義というものについてここ数年関心があり、タイトルに惹かれ手に取ったものの557ページ!分厚い。面白かったけど読むのがしんどかった。
ざっくり言ってまず、自分は第三部の男性学、特に七章については「いらないんじゃないのかなー」という感が強かった。単に関心があまり持てなかっただけかもしれませんが読みにくかった。…と思っていたら本書、ブログを書籍化したらしいが大幅に加筆訂正したと。しかし七章についてはあまり書き加えられなかったようなことが後書きにあり、読みにくかったのは文体のテイストの違いだったかなぁ?などとモヤモヤ。(本書タイトルですけど)
後書きにもあるけれどもれなく私も、トーンポリシングとかマイクロアグレッションとか初めて知る言葉でした。
マイクロアグレッションについてはとても深く頷きました。まさに「それ。もやもやしてた!」でした。
前半のほうが「もやもや」について沿った内容になっており、後半に行くと公衆哲学とか政治が絡んだ方向へ広がって、自分は「後半の内容については別冊にして方が良かったんでは」と思ってしまいました。
この厚さでこの内容は、なかなか手に取ってもらいにくいんではないかなぁと。
興味ある人には面白いですが、とっつきにくさは否めない。
あと、文章がちょっとくどい。一つの事柄についていろんな視点から考察するのは「正しい」とは思うのですが、至る所に「とはいえ」が挿入されていてちょっとうるさいかなぁと感じてしまいました。引用が多く、それが良さではある「とはいえ」本人の論が散漫になる印象があちこちで感じられました。惜しい。
内田樹先生の著作を読んだばかりなので引用があったのはタイムリー感あって個人的に嬉しかったポイント。
いい言葉はたくさんありました。付箋だらけになりました。
p36権力を持つのは必ずしも国家に限らないこと(略)無実の個人がある種の強制力の犠牲になりうることは常に念頭に置いておくべき
p129言葉による攻撃と物理的暴力が同等のものと見なされるようになるとつらくてきつい批判も暴力として扱われるようになる
p202(弱い立場にあることによって起こっている問題を改善するよう要求するのに)お願いという形にさせられるのを避けるためにマイノリティ運動などでは汚い言葉や手荒な方法などが必要とされてきたp205(そのような)ルールを破る人が多数になると公的な議論や政治的な手続きはもはや機能しなくなってしまう
p301(差別的表現撤廃運動の副作用として)恵まれない人びとを侮辱から守るプロセスが逆に彼らを侮辱に対して過敏にさせる傾向がある(別の著作者からの引用の言葉)
p522自分たちを取り巻く環境を有害で敵対的なものへ組み替えていく営みに、多くの人々が自ら加担している
p534もし自分が社会から承認されていないと感じているのなら、社会の構成員である他の人々に向かって、自分の権利や尊厳を自分が主張する必要がある。そして承認は相互行為であること
他にもいい言葉がたくさんありました。「とはいえ」引用が多かったかなぁ?
モヤモヤはある部分晴れたような、しかし別の部分はより深まった感もあり、モヤモヤした読了でした。
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キャンセルカルチャー、マイクロアグレッションなど、最近流行(!)の事象について、
鵜呑みにするのではなく立ち止まって時には批判的に、捉えるための指針を示してくれる。
事象に名前がついていくこと。生きやすい世の中に近づいている行為のように見えて、本当は私たち自身の手で狭めているのかもしれないこと。
どっちつかず、ではなく、中庸を目指すことが正しいのかどうかも含めて、あり方考え方を考えるきっかけに。
こちらを立てればあちらが立たず、ではないが、適切に判断しようとすると、スパッとどちらがどう、と言い切れないのが正義の問題なのかもしれない。
でも、言い切れなくて難しいよね、と言いながら、それでもなぜ言い切れないのか、あらゆる見方の良い部分悪い部分(そして良い悪いで判断できない部分)を知り、目を向けた上で、その時々の場面で判断することは大切な気がする。
とはいえ、の補足。くどいけれど、それをしてはじめて言い切れることがあるのも確か。
アカデミアは知識だけでなく理解を産出する制度や環境であること
自分が言いたいことしか知らない人は、ほとんど無知に等しい
深刻な議論のための、アカデミックな場の必要性
慎重だけれどちゃんと彼なりの結論を導き出して明確に示している。その経緯をなぞれるからこそ、自分に落とし込んで考えるきっかけとして十分に機能する。
必要なのは、"賢くあること"だと思っていたけれど、"考え続けること"なのかもしれない