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投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
『ライ麦畑でつかまえて』の女性版といったような言い方をされたこともあったが、これは失礼なだけでなくかなりミスリードでもある。シルヴィア・プラス自身に重なるあまりに繊細な精神を描いたものであるが、『ライ麦』とは異なる魅力を持っている。
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読んだ後に、わ、この感じなんだっけ、あ、サリンジャーかと思ったら訳者あとがきにライ麦畑の話があって、ああ、ってなった。
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読むのがとてもつらかった。。
あなたはどこにだって行けるじゃないか、と思うけれども
同じような言葉を大人に向けられた時の息苦しさ、雁字搦めになって結局どこへも行けないじゃないか、と苦しんだときを思い出す
解説にもあった差別の入れ子構造も読んでいてつらい
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感想
すべて受け入れると言ってくれた人。包んでくれたはずの人。あの人たちはもういない。だけどせめて感謝だけは忘れずに。前を見て。
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書くことで選ばれたのに書けず、恋人へも不信感がつのり友人とも距離を感じ、勉強にもついていけなくなり、という負のスパイラル。お決まりの自殺未遂に精神病院へのコース。読んでいて辛くなるような内面の吐露。この閉塞感がこちらにも伝わってくる。読んでいて嫌な気持ちになるのはそればかりではなく、主人公が他人に対しての容赦ない蔑視が堪らなかった。
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なんでか気になって、図書館で予約したら、発売したてだったみたいで、たぶん私がその個体としての本の最初の読者になった。
カラダが水を欲しがっているときに、すーっとおいしく飲めてしまうように、この本は今の自分にスーッと入ってきた。
エスターの気持ちがすべてわかるわけではないけれど、彼女が抱えていた違和感は、今の自分にもわかるような気がした。中高生のときや、エスターと同じくらいの年齢のときに読んでもわかったのだろうか、もしかして、今の自分だからわかるようになったのかもしれないなと思った。
社会に出て一通り働いて、自分の中の忘れちゃいけないものがズキズキしてきている今だからこそ。
ちょっと落ち着いて、色々受け止めたいなと思う。
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イチジクの木の枝のように拡がるたくさんの未来の可能性が枯れていくのは、自身の努力不足か現実か。
少しずつ真っ白な死に惹かれていくのは彼女だけではないでしょう。〝性〟は〝生〟かもしれないが、そこにノルウェイの森のような空気はない。
題名の「ベルジャー」とは釣鐘形の実験用のガラス容器で、真空を作り出す実験に使用するものらしい。彼女の容器はいつかまた何かで満たされることを願う一方、著者がその後、自死を遂げていることが脳裏をよぎる。
人は何度、自分の手首が脈打っているのを視ることだろう。
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翻訳者さんもいらした読書会に参加しました。
皆様ありがとうございました。
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ファッション誌の小説コンクールで優秀賞を得た女子大生のエスターは、雑誌社のインターンとしてNYに滞在していた。雑誌社の用意した女性専用ホテルには他に11人の女性たちがいて、研修やパーティが行われる。ここで認められればNYで執筆しながら華々しく暮らせるだろう。
しかしエスターの心は晴れない。
女性ホテルにいる他の女性は都会育ちで華やかなパーティにも慣れている。エスターは田舎町の出身で父親もいない。デートした男性はいるけれどそれ以上の関係を持つことはない。
彼女たちに馴染みづらい。なかでも賑やかなドリーンとは一緒にナイトクラブに出かけることもある。だが自分は男性からは相手にされない。
デートしたバディ・ウィラードとの結婚に憧れたこともあったけれど、彼の不誠実さにすっかり目が覚めてしまった。だってバディはエスターを男性経験豊かだって思っている。それなのにそのバディが娼婦まがいの相手と何度も何度も何度も経験していただなんて。自分はそれだけの経験をしているのに知らないような顔をして!エスターは、バディに勝手に対抗心を持って、それなら自分も処女を捨てないと!(←落ち着け)
バディの両親のウィラード夫妻は典型的な「家庭的」なご夫婦。すっかり息子の妻扱いされて困っている。このウィラード一家は、悩むエスターに対してお気楽表面的幸せ一家。人を傷つけていることに気が付かず、悩みは自分中心。悪意はない。まあ繊細に苦しむ人にとって、世間の人ってこんなかんじなのだろう。(バディは無神経だが、私もおそらく世間的には「お気楽」なので、ごめんなさい(^_^;)
エスターはバディが肺を病んで療養所に入ったときに少しずつ離れることにした。
小説の前半はエスターのNY生活が中心となり、子供の頃からの「違和感」を滲ませる。
子供の頃から成績優秀だが、得意なことは「良い成績を取る」ということ。先生たちからの覚えもめでたいがそのため取りたくない講座を断るために知恵を使わねばならなくなる。苦手なのは、料理、ダンス、そして男性関係。
雑誌社の賞をもらった時は、詩を書いて過ごせると思った。しかしNYで華やかに過ごすと、迷わず言える将来が無いことに気がつく。
エスターの語りは、誰に対しても何に対しても心の中では冷めて、しかし周りとの会話も噛み合わず、心のなかで皮肉な返答をするだけ。
華やかな人々との会話の空虚さ、そして男たちも自分を相手にしない。
…それにしてもさ、エスターがパーティで男性から突然ひどい暴力を受けて驚いた。これって本当にこんな暴力振るわれたの?すでに妄想が始まっている?
そう、この小説はエスターの一人称なので読みながら「大袈裟なの?本当?」ということはたくさんあります。「彼女にとっては真実だけど、客観的事実とは違うだろうなあ」という小説なのかな。
NYの最後の夜の場面は印象的だった。
NYで着てきた服を全部持ってホテルの屋上に上がる。一枚ずつ取り出して休戦旗のように振り風に乗せて手を離す。服は暗いNYに落ちてゆく。まるで愛す��人の遺灰のように。
インターン期間を終えてエスターは母親の家に、そして大学に帰った。彼女はすっかり無気力になっている。希望していた小説家の講座に入れなかったことで決定的になった。食べられない、着替えられない、一日中横になるが一睡もできずに時計の針が動くのをずーーっと見つめるだけの一週間を過ごす。…と、エスターは言うのだが、母親は「眠っていたじゃない」という。エスターの現実認識が相当薄くなっていく様子が感じられる。
エスターは、お気楽自意識過剰坊っちゃんのバディに「君はノイローゼになる気質だな」なんて笑われていることを心の底にわだかまりとして溜めているんだが、まあその気質を持っているのかもしれないが、暗示的なものにかかっちゃったのかもなあ。
後半はエスターの精神科治療場面。最初のゴートン先生はいかにも通り一遍で表面的。当たり前に施した電気治療は、エスターと読者に苦痛と恐怖を与えてくる…。
…当時の精神治療で電気療法は当たり前だったんだろうけれどこんな強力なものを通院でひょいひょいとやるもんだったのか(ーー;)しかもそんな恐ろしい電気療法を受けたエスターの浮かんだ気持ちが「なんて恐ろしいことをしてしまったのだろう」という自分に原因を感じてしまうということが彼女の傷つき方を感じた。
ノイローゼ(現代風だと鬱病かな?)は酷くなり、エスターは自殺未遂を起こす。命が助かった彼女はそのまま入院することになった。入院中のエスターの姿が自殺未遂の後遺症で相当悲惨なものとして描写されていて…、さすがにここまで酷い見た目になるのか。(←あくまでのエスターの一人称小説なので、彼女は自分の姿がそう見えた、ってことで客観的にはここまで酷くなかったかもしれない)
新しい女医ノーラン先生は話はわかる人。エスターは信頼を寄せる。だが電気ショックだけは絶対にやりたくない。
…後半は肉体的にも精神的にも辛いのだが、小説としては読みやすくなってきた。NYにいたころは普通の生活を送っていたが、作者の精神状態が合っていないというか、なんだか馴染まないような読みづらさがあったんですよ。
それが故郷に戻りやることなすことうまくいかなず、ノイローゼが見えてきた頃から小説としては読みやすくなってきた。この物語は著者の自伝的な側面がかなり多いようで、もしかしたら著者の精神状態と記載内容が合ってきたんだろうか。そして著者はこの小説を書き上げてから自殺されたということです。
自伝的というためもありこの頃の治療方法や周りの反応が書かれるのだが、当然のように書かれていることがショッキングだ。
エスターが電気のショック療法を施されたときの電気と光の描写は自分も眩く感じてしまったし、ロボトミー療法(-_-;)を受けた患者には「こんなに簡単にやってたの…」と思う。
エスターの鬱症状には母親はなすすべもなく「いい子にしてね」「どうしてこんなことになってしまったの」と戸惑うばかり。…ごめんなさい、私はこの母親を呆れられない。私も自分の子供の一人が荒れて相談所や児童精神科に通った頃はこの母親より何もできませんでした(-_-;)
そして医師になった学友がわざわざ患者のエスターを見に来るんだとか、これが当時のリアリティだったのかな。(←エスターの一人称ということと、過剰なエピソードを積み重ねているので、半分妄想かもしれない。)
小説の題名「ベル・ジャー」は、化学実験などでつかうガラスの覆いのこと。エスターはその狭いベル・ジャーに閉じ込められて手も足も動かせないことを考える。このまま閉じ込められて、しかし自分から覆いを外す力も気力もない。
物語の終わりでエスターは退院して一歩踏み出すことを選ぶ。
冒頭で、エスターは結婚して子供もいることが示されている。この小説は、エスターが昔NYで生活したこと、自殺未遂したこと、入院していたことを心の一区切りついたこととして、回想している書き方だ。
しかし読者は安心できない。本当に?区切りがついた?だってエスターは皮肉的で(でも攻撃的ではない)、心置きなく過ごせる相手もいないし、好きなこともない。
それでもエスターが「区切りがついた」と言うなら、「ふつうの」女の子とたちだってベル・ジャーの中で座っているんだということに気がついたからかな。
読者としては、どうしてもこの小説発刊後に自殺した著者と重ねてしまうこところはある。しかし著者が小説の最後で「エスターの一歩前進」を示したなら、読者としても彼女は少しは前を見る事ができたのだと思いたい。
<わたしは全部覚えている。
解剖用の屍体のことも、ドリーンのことも、いちじくの木の話も、マルコのダイヤのことも、コモン広場の水平のことも、ゴードン先生のところの外斜視の看護婦のことも、割れた体温計のことも、に種類の豆を運んできた黒人のことも、インスリン療法で九キロ太ったことも、ソラとウミのアイダに灰色の頭蓋骨みたいに突き出した岩のことも。
もしかすると忘れてしまえば、雪のように、何も感じなくなって覆い隠されてしまうのかもしれない。
でも、あれはぜんぶわたしの一部だった。わたしの風景だった。(P361から)>
❐読書会
●痛ましい(T_T)
●現代の人と同じ悩みじゃないか。
●エスターは成績優秀だが突出しているほどではない。「なにか」になることが必要な世の中で何になればよいのか、なりたいものがない人の苦しい。
●苦しいことはあるけれど、エスターはやろうとしている。しかし特に対人関係は的外れだったり、当てはめなくて良いところを当てはめたりしているこの四苦八苦感。
●この時代は、やらなくてよい、曖昧な生き方が認められない。
●自分が何者か分からない人が、あたなは何者かを表明しろといわれる苦しさ。
●表紙美しい。モザイクっぽい感じがバラバラな感じで合っている。
●エスターは世間を冷めた斜の目線でみている。冷静というわけではない。スカした感じ。
⇒自分を守る手段でもある。
●スキーの場面。リフトをうまく降りられず上まで行っちゃって、ジグザグに滑れないのでまっすぐ滑ってぶつかって怪我して。死ねるかと思ったら眼の前にバディが笑ってるし。人生みたい。
●ゴードン先生の強烈な電気ショック療法も酷いが、一見いい人のノーラン先生もかなり酷いんじゃないの。エスターを騙くらかしてるよね。なぜエスターは信頼したんだ?
⇒母親を面会謝���にしたのは素晴らしい。
●ジョアンが自殺したときの態度が、自分は生き延びたという勝った感じがした。
●日本に対する描写がちょこちょこありますね。
●シルヴィア・プラスは(特に詩を読むと)男性を嫌悪しているのではないか。
●女性の言葉が「だよね」というようなフランクな男性言葉。この当時の男女の役割を考えたら「だわ」などになりそうですが、この書き方が現代的でチャーミングさも感じました。
●このどん底を書いた作者の作家としての凄さ。
●著者も鬱病というが、それにしては冷静な面もある。
●エスターの回想という形なので、エスターは書けなかったことが書けるようになったということが区切りということなのかな。
●何度も自殺しようとするんだけど失敗というか、自殺未遂にすらたどり着かないところが、自殺未遂というパワーすらない感じがした。死ななくてよかったけど、死ぬことも、死ぬことを辞めることもできない。そこに辿り着けない。
●これだけ読むと辛いですが、児童文学はかわいいですよ。自分のことを書くと厳しくなるけど、「書く」だけだと別の考えが見えます。
❐翻訳者さんより
●表紙は描き下ろしだよ。破片でできている体、頭の部分は卵の殻です。繊細さ、痛みを感じる。題名の『ベル・ジャー』が小さく目立たない(帯に隠れてる^_^;)が、本屋で積まれていてもこの挿絵でわかってくれる。
●エスターは19歳から20歳。シルヴィア・プラスが書いたのは30歳の時。10年後に詩人の彼女が生活費のために唯一書いた小説。しかし書くことにより辛い辛いことを追体験してしまい、発刊直後に自殺した。
●リアルすぎるのだが、かなりデフォルメもされて、ユーモアも感じる。
●「大袈裟な描写がありますね。激しい集団食中毒、デート相手からの急な暴力、最初の電気ショックの強反応、セックスしたら出血が止まらず血だらけ、自殺未遂から助かったら顔が激しく変形している。本当にあったの?大袈裟?精神的にも肉体的にも過剰反応するのかな?」という意見に対して。
⇒翻訳者さんは普段はテキストと著者は離して考えるのだが、今回は重なることもあるということ。
シルヴィア・プラスが自分のNY生活から10年経って書いたので、大袈裟に、過剰に表現(認識)しているところはあるだろう。(実際に著者の自殺未遂した時には、こんなに顔面変形していなかったので、デフォルメ)
●「I am I am I am」が2回出てくる。最初は海に行って無茶な遠泳中。2回目は自殺した友人の葬儀で。これを「わたしは…わたしは…わたしは…」と、「わたしは、わたしは、わたしは」と翻訳している。
⇒これは心臓の高鳴りでもある。
「I I I」ではなく「I am I am I am」なのは、「わたしは〇〇」という続く可能性を感じる。
「私の心臓は高鳴り、あれにもこれにもなれるかもしれない。」という、私は私だけのものという感覚を出したかった。
⇒「自分だ」という強さを感じた。
⇒「わたしは〇〇」とは断言しない「わたしは」で終わる。
●ベル・ジャーとは?という問いゆ。
25ページで実験用ガラス容器の中に入っていたのはアルコール漬けされた赤ん坊。死ぬかもって思った時に思い浮かんだ��は死んだ胎児。エスターの自殺未遂では胎児のポーズ。
ラストでは他の人達もベル・ジャーにいると考える。
ベル・ジャーは何のモチーフ?
⇒自分と世界を隔てる見えない壁。男性と女性の壁。普通の人と自分との壁。見えない壁があるということに気がついたという物語。気づいて生きることと、気づかず生きることは違う。
●ラストでは自分の意志で退院したのではなく、医師に促された描写。エスターは心から世間に出ていくのか、出られないのか、この揺らぎが素晴らしい。
●強いエピソード、強烈な場面が多い。痛みや苦しみという個人的な感情をエピソードに乗せている。「自分は苦しい」と直接書かずに、描写や視点で痛みを客観として積み重ねてゆく。
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言葉が詩的で綺麗で、特にスキー場の表現がお気に入り。表現があまりにもリアルで、何度か手に力が入らないくらい怖くなる時があった。
序盤NYの部分は、友達の容姿、お洋服の質感からレストランのテーブルに置かれたネームカード、身に纏っている香水の匂いまで、とても綺麗に描写されていて読んでいて凄く好きだった。
NYでの熱い湯船についての話も、自分が言語化できなかった感覚が綺麗に言語化されていて、読んでいてsatisfyingだった、嬉しかった。
figtreeの部分も、she explains so well like 読むのが苦しかったくらい。訳者のあとがきでの言及も良かった。
白人主義、精神病外国人等々色々な差別、時代的背景が見えた。
お気に入りの小説かも。
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心が元気な時に読む方がいいと思った。主人公の精神の不調に絡め取られそうになった。
自分が19歳の時の不安定さ、愚かさ、要領の悪さ、繰り返す小さな失望を思い出した。
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精神病の描写があって、自分まで頭がおかしくなってしまうんじゃないかというよくわからない不安感を覚えた。
イチジクの木の比喩はほんとうに共感できる。
人生の岐路ではいつもこう思う。
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文章が読みやすく、1行読めばスッと小説の世界に戻っていける気持ちいい本だった。でもやっぱり青春小説の枠は出ていないかな? 大人向けとは言えないかなという印象。でもそれが心地よかった。
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どうしてこの小説はわたしが書かなかったのだろうかと思うほどに、嫉妬した。冷静に考えたら、わたしがこの小説を書けるわけがないけれどでも、ページをひらいてしまえば張り巡らされたエスターの自意識に飲み込まれてこれは自分だと思えるほど近いと感じると同時に、ページを閉じてしまえばあまりにも透き通ったまま完了されてしまったという事実に果てしなく遠いと感じた。
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読み終わった後、どうしてこんなにもつらいんだろうと考えていたが、それはやはりエスターの孤独や閉塞感が如実に伝わっていたからだと思う。一つ一つの描写がじんわりと自分の中に溶け込んでいく感覚だった。常に目の前がガラスで囲われていて、さらにそれが不快に曇っており、物事がはっきりと見えない。他者の目に晒されることを分かりながらも、一歩踏み出すエスター。またいつか読み直したい。
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主人公の鬱々とした感情が伝わって来て、自分のような元々不安定な人は逆にあまり読まないほうがいいかもと思った。ありのままの感情をリアルに表現してるが故に、人を見下した表現も多くてあまりいい気分で読めませんでした。