右足外側面の腫瘍を除去する手術を受けた。
診察
初診
初めの診察では、見て触った後、ゼリーを塗ってのエコーで検診され。
おそらくそこで、腫瘍が悪性の緊急性のあるものと判断されたようだ。
初診から数日中に、検査としてMRIを受けさせられた。
この大学病院に行く前にも、近所の皮膚科に行っていて、そこでの指示でもMRIを受けて、そこでのCDデータを持っていたのだが、造影MRIでないといけないということだった。
『CTやMRI検査を行う際に造影剤というお薬を使用する検査です。造影を行うことで小病変の有無が明瞭となると考えられる場合など、造影により追加情報が得られる可能性が高いと判断される場合に造影検査を行います。』
MRIにかかる前に、ガドリニウムを注射されるのだが、これがそこそこ大がかりで
撮影衣に着替える→
針を腕の内側に刺され、テープで固定される→
撮影室に移動→
薬液の注射→
撮影
と、手順を踏んでいた。
ガドリニウムは拒絶反応が出る人がいるようで、体調に変化がないか薬液注射の途中段階でも、入れ終わった段階でも聞かれたが、幸いにも気分が悪くなるようなことは何も無かった。精々すこし冷たいくらい。相変わらずうるさいMRI撮影だったが、前とは違い耳栓ではなくヘッドホンでの防音だった。
その後も体調に変化はなく帰宅。ガドリニウムは尿から排出されると告げられる。
ただこの時の注射は針が特殊だったのか何かで、皮膚の変色が10日くらい残った。500円玉の大きさくらいの範囲で。
造影MRIの検査結果がどういう判断の差を生んだかは、そもそもMRIと差があったのかは不明。
その数日後に「針生検」をされた。
針生検
腫瘍が硬すぎず、柔らかすぎない(水っぽすぎない)場合には、この検査が可能とのことだった。
診察室のベッドに横向き、左向きで右足側面の患部が上をむくように寝ころんだ。
局所麻酔を患部辺りに打たれた。この検査過程においてはこの麻酔が一番痛かった。
大学病院というのもあって針を刺したのは研修医?だった。
その研修医?の兄ちゃんの力が強く、止血なのか針を刺しやすくするためなのか、私の足への押し込みが痛くなった時があって、思わず「痛いです」といってしまった。
局所麻酔の範囲によっては、その抑え込みも痛くならないのかもしれない。
私が作業を見ないようにか、壁をむくように寝かされていたが、局所麻酔なので会話は聞こえていた。
診察を担当していた年配の医者(指導医)が「(針が)骨に行かんようにね」といっているのが少し恐ろしかった。
研修医?は「(患部辺りは)分厚いのでそれは大丈夫そうですよ」と返していた。
他にも、その指導医が、看護師の人にこの装置はおいくら万円などと雑談をしかけているのも聞こえてきて、のんきなものだなと思った。
私の緊張をほぐすといった意図があったというよりは、針生検程度のことはなんでもない日常が故に、そんな会話を研修医?が作業中でも行っていたのだろうと感じた。
念のためと、合計4本、検査針を刺された。
その後分厚く固いガーゼで保護された。
右足の靴の靴紐を限界まで緩めると、保護の処置ごと靴を履けた。
少し経ったあと、診察というか説明があり、さっき取った組織が入った容器を見せながら、これを検査に送りますとのことだった。
思っていたよりも水っぽいということだった。
あまり痛みも感じず、割と普通に歩けていたが、数時間後に痛んできて、歩くのはしんどいくらいには厳しい痛みになってきた。
帰宅してから、市販薬で常備していたロキソニンを飲んだくらいであった。
次の日の朝にガーゼを剝がしたときは思ったよりも出血はなかった。圧迫が効いていたようだ。
ただ針を刺しただけはあって痛みは数日つづき、歩行に支障が無くなるまで三日、完全に痛みが消えるまでさらに四日で、計一週間は痛みがあった。
足は治りが遅いと言われていた。それも関係していたのかもしれない。
手術前検査
外科手術、それも全身麻酔が必要なものが腫瘍の除去には必要ということで、一般的にその手の手術を受ける前に必要となる検査を一通り受けた。
血液検査ではシリンダー4本分採られ、4種の検査にかけられた。
病気、栄養値、たんぱくなどの成分といったものだろうか。
手術で使うゴムにアレルギーがないかを何回も聞かれたので、アレルギー検査も兼ねていたのだと思う。
心電図検査もあった。
CTは二種された。
一つは患部で、もう一つは胸部。
レントゲン撮影もあった。
血液検査以外はとてもスピーディーに済んだ。
やはり血液検査以外の担当者の方々は、大体とても疲れていそうだった。
これらとは別日に呼吸機能の検査もあった。
これは、空気を吐き切る過程やマウスピース?をくわえておくのが、少し大変だった。
ただ、たまたま同時に読んでいた「呼吸の科学」に載っていたものと同じ検査が出てきて、「呼吸の科学」を読むモチベと、この検査の意義が相補的に強化される感覚があった。
PET検査も受けさせられた。
このPET検査結果を入院直前の診察で説明された。
予想よりもブドウ糖の堆積がなかったようで、悪性腫瘍の典型的な挙動ではなかった様子。
入院
不足してはいけないと色々と持っていたため、結構な大荷物になってしまっていた。
スーツケースで来る人もいるようだが、私はリュックと紙袋で荷物を運んだ。
部屋へ
一人部屋を希望していたが空きが無かった。
しかも、ただの大部屋どころか、整形外科用の大部屋ではなく、一般病棟の大部屋に入院することとなった。
フロアの一角が大部屋が並んだ区画となっていて、外からはドアロックがかかっている作りだった。
初めは呼び出しを押して解錠してもらったが、部屋で荷ほどきをした時点で、手首に名前と生年月日と患者番号が印刷されたタグをまかれた。
このタグにはバーコードも記されてあり、そのバーコードでその大部屋の区画のドアロックを解錠でき、入院患者本人は自由に出入りできるという仕組みだった。
部屋はベッドと椅子以外は、テレビ、冷蔵庫、棚、ロッカー、コンセントがあった。
ロッカーといっても上着が二着入る程度。
棚は引き出しが一つと、引き出しの上は食事のトレイを置く用の引き出す形の台があった。
引き出しは鍵付きで、部屋を離れるときは、貴重品はそこに入れるようにとのこと。
それに加えてその上のあたりスペースにあって、そこにスマホや本などを置いた。
棚とベッドは若干距離があって、寝転がったまま右手を伸ばすだけでは棚に置いている物を取ることは出来なかった。
参考拾い写真
トイレやシャワーや給水機の位置の案内が矢継ぎ早に終わると、身長体重を測られた。
身長測定器は手動のもので、そのとき担当の看護師の方の手が届かず、自分でバーをおろした。
私の身長は176cm程度でそこまで高くないのだが、年配の入院患者の方はもっと身長が低いだろう。
身長体重測定器の周りに台のようなものはなく、身長差が問題になることは普段ないのだろうなと、そこが一般病棟であることを感じさせた最初の出来事だった。
そのあと患者個人用に作成された入院・手術日程表が配られる。
個人用といってもテンプレートをいじったようなものであったが、手術前後の飲食や、入浴、トイレに関する指示が載っていた。
ナースが多く詰めている時間帯までしか、シャワー室は利用できないということで、16時にはシャワーを浴びる。
そのフロアにシャワー室は(多分)一つしかなく、一人当たり最大20分ぐらいの利用時間とのこと。
手術前日の自由時間
ここから次の日の手術まではほぼ自由時間で、耳栓や清涼飲料水を買いに行った。
ドアロックに閉じられた区画には給水機しかなく、ジュース類を飲みたいときは同じフロアの談話室に備えられた自販機か、別の階の売店(コンビニ)に行くしかない。
手違いで晩御飯が遅れるというハプニングがあったりしたが、それ以外はベッドに近くに置かれたイスに座りながら本を読んで静かに過ごしていた。
変な時間に眠らないようにと、ベッドの上にあまりいないようにした。
ただ、仕切りがカーテンだけなので、ナースステーションの電話や呼び出しの音が頻繁に鳴っているのが聞こえるし、同じ部屋の患者のいびきや看護やらの作業音もほぼ完全に素通りだった。
更には、別部屋の患者で「おーい!」と叫び続ける方もいて、私のところまで聞こえる程だった。
それ故耳栓を買いに行った。
また、入り口側のベッドだったのだが、部屋の前を通る看護師も、となりのベッドに向かう人も影で分かる位置だったので、私に用があって来てる人か?と一々気にかけて集中はかなり削がれていた。
実際、説明やらで手術を手伝う?医者が来たり、看護師が手術衣や下剤(全身麻酔手術を円滑に行うために、お腹の中をクリアにしておく用)を届けに来たりと、何回かは来訪があった。
この時に右足首にマークもされた。一応、左右を間違えない為だという。
また、麻酔医と面談があって、手術棟まで行くくだりもあった。
そこでの面談は術後にのどの痛みがあることや、25万人に一人重大な麻酔事故があるといった説明と、それへの同意書にサインすることだった。
次の日の昼から手術予定だったので、21時に下剤を飲んだ。
このあたりから水とお茶以外口にしないよう指示されていた。
就寝
22時の消灯でベッドに入ったが、その時点では割とすぐに寝つけた。
いびきやナースステーションへの呼び出し音はあったが、耳栓でほとんど気にならなくなるレベルではあった。
ところが24時ごろからとなりのベッドが騒がしくなった。
嘔吐もしていたし、排泄も処理してもらっていたようで、作業音だけでなく、匂いも少しあった。
それは数十分続いてその間は鼻を軽く覆いながら、ipodで音楽を聴いていた。
そこで、病院とは休むところではなく、治療と看護を受ける場所なのだと改めて思い知った。健康への意識も自然と高まった。
それが落ち着いてからは、度々目を覚ましながらも、点灯時間の朝6時までには睡眠時間を確保できて、睡眠不足で体調不良というようなことは無かった。
手術当日
既に断食時間なので朝8時の朝食は無かった。
また、12時に移動準備開始、13時に手術という予定だったので、10時からは完全に絶食との指示だった。
嘔吐や便を最小にするための断食・絶食の指示だろうからと、10時直前にがぶがぶ水を飲むのもおかしいだろうなと判断し、起きてからは少しずつ水を飲みながら、10時前の時点(このとき看護師から飲水するなら今が最後ですと告げられた)でも最小限の摂取に済ませた。
昼の手術予定は遅れがちになると言われていたが、案の定一時間近くの遅延があった。
手術衣には12時には着替えていたが、その恰好で一時間ほど本を読んだりしながら待機だった。
ちなみに手術衣は上半身だけ着替えだった。心電図などを張り付けるために脱がせやすいような作りで、袖のところもボタンで円柱を成すようになっていて、若干着るのに苦戦した。
参考拾い画
どのくらい遅れるか分からない不安と、絶食が若干長引いたことと、緊張からトイレが多くなったことによる水分不足とで、12時30分あたりから頭痛がし出した。
13時に手術室に移動し出したときには、歩行する分には大丈夫だったが、複雑な思考や中程度の以上の運動は出来ないだろうなという状態だった。
手術棟の中でも、手術室のある区画は二重に扉があって、その扉と扉の間のスペースにいったん待機だった。
そこで名前と生年月日の最後の一応の確認があった。そこで手術用の帽子を被った。
手術室まで歩いて移動する間にベッドで運ばれる人とすれ違ったり、いくつかの手術室をちらっと覗いたりしたが、あまり緊張のようなものはなかった。
自分にできることはなにもないし、全身麻酔だからすぐ寝かされて、気づいたら右足がごわごわしてるんだろうな、くらいの気構えだった。
先の待機中に、看護師に緊張しているか聞かれたが、術後の痛みの方が心配だと返したように思う。
手術
手術室に入ると、入り口のところで更に左右に二部屋に分かれていて、右の方に入った。左はモニター室?器具置き場?
部屋の中は機械が騒然と並んでいて、(多分)中央辺りにベッドが置かれていた。
ベッドに寝転ぶと靴と眼鏡は看護師に回収された。それらは、手術時に脱がされたパジャマのズボンと下着と一緒に部屋に届けられていた。
参考拾い写真
種々の機械以上に、天井のパイプのようなものの方が恐ろしく感じたのを覚えている。パイプでもなかったかもしれない。
心電図のパッドやらをつける人だけで3人はいた。
手術衣をガバッと開かれ、想像以上に多くのものを張り付けられた。
胴体部分だけでも結構な数だなと思っていたが、頭部にも何かをつけられた。頭部のものはピリピリした。
その後針を刺されたのだが、その箇所は左手の甲なのが意外だった。
この時の針が結構太く、そんなに痛くはなかったが違和感は強かった気がする。
そしていよいよ麻酔を注入された。
結構な勢いで流し込まれていて、手首から肘にかけてさすられながらの注入だった。
注入開始から(多分)15秒くらいで、気分はどうですかと聞かれて、少し痛いですと返した。そうですかと更に返ってきたように思う。やや意外そうな反応だったようにも記憶している。
この時点で既にうっすら眠気が来ていた。
そこからさらに(これまた多分)15秒くらいでもう意識はなくなっていた。
恐らく呼びかけでの意識確認の過程があったろうが、何も覚えていないし、私自身も反応などしていないだろう。
ちなみにこの時点では執刀医は少なくとも見える範囲にはいなかった。
術後も執刀医や指導医と対面したのは、私の体調が落ち着いた手術の次の日だった。
術直後
幾度も名前を呼び掛けられることで目を覚ます。
始末の悪い時の寝起きと同じで、覚醒直後は意識を繋ぐだけで気疲れするような状態だった。
次に感じたのは右足の強烈な痛みだった。
ごわごわを感じているものと予想していたが、それで覚醒が促されるくらいの強い痛みだった。
更には喉の違和感に覚える。気道に差し込まれる器具のせいで、ほとんどの人が術後に喉に痛みがあるとのことだったが、私も例外ではなかった。
意識も薄い中待っていると、迎えの看護師がまだ来ていないとのことだった。
看護師の段取りが悪いことを軽く非難するような会話を麻酔医?達がしていたのを覚えている。
これが整形外科ではなく、一般病棟の大部屋に入ったことを意識した出来事の二回目だった。
数分後に看護師が来て、ベッドごと元の病室に運ばれる。
手術棟と病棟を結ぶ渡り廊下や、少し坂になっている廊下や、エレベーターにも乗ったはずだが記憶はおぼろげだ。
退院まで
部屋に戻って
部屋に戻ってからの数時間が一番辛い時間だった。
戻ってすぐに、酸素濃度、体温、血圧の測定をされた。
患部の痛みの度合いを聞かれ、10段階で言うと、という振りに対し7~8と答えた。
拾い酸素濃度計
痛みに合わせて鎮痛剤を注入するとのことだった。
手術終了時点や覚醒後の時点で、鎮痛剤が打たれていたのかはよく分からない。覚醒後の数十分は軽く炙られているように執刀部位が痛かったのを覚えている。
そこからしばらくはただゆっくりとしていたが、下半身が暑くなる。
掛け布団が二重にあり、高めの温度に設定された空調も重なって、自分で布団を引っぺがしたり、軽くはたいて空気を送り込むくらいには暑かった。
恐らく30分後に看護師が来て、やはり酸素濃度、体温、血圧が測られた。
術後から約30分毎に、3時間後までこの測定は続けられた。体調の急変に備えてだろうか。
大部屋に戻って1時間後に、掛布団が乱れているのを見てか、一枚外してくれた。なんと一枚は電気毛布で、そのせいで暑かったようだ。
今思えば、暑すぎる場合には呼び出しボタンでその旨を伝えれば良かったのだろうが、術後の処置として温すぎるくらいがいいのかもしれないなどと考えてしまっていた。
その苦役に尿道カテーテルも加わっていた。
その管のせいで下半身を動かしづらく、姿勢を動かし辛い苦痛に、布団を調整しにくい辛さが重なって、手術を受けたのを後悔するほどの時間だった。
後は、ただ休んでいるだけだった。
眠りに落ちることはなかったが、時間がゆっくりとしか進まないという感覚も無く、電気毛布が無くなってからの2時間は、辛いながらも永すぎるということはなかった。
抗生剤や鎮痛剤が、点滴の所に吊り下げられたりしながら、時が過ぎるのを待っていた。
そうして恐らく21時ごろに飲水が許可される時間が来て、それに合わせて尿道カテーテルが抜かれた。
この尿道から管を引き抜かれるときは、痛みはそれほどなかったが、(男性なら理解できると思うが)背筋が凍るような、胸に暗闇が差し込むような気分になった。
参考拾い画
一段落して
その看護師さんに、持参した紙コップに水とお茶を汲んでもらい、飲んだ。
術後の飲水が許可されるこのタイミングに飲む用のアクエリアスを、手術前に買うか迷って結局買わなかったが、今は買っても良かったなと思っている。
夕食の時間は過ぎていたので、病院食は出ないが(基本夕食は18時で、衛生的に2時間以上ほっておけないとのことだった)、もってきている食べ物を食べてもいいとのことだった。
ということで、おやつのような味付け卵と焼き菓子を一個ずつ食べた。
このあたりにロキソニンと胃薬を一週間分渡されていて、6時間以上間隔を空けるなら、痛みがあるときに飲むようにとのことだったので、それも飲んだ。
もうすぐ22時の消灯というこのタイミングで、それなりの頭痛がしていた。
点滴の栄養素は精々が生理食塩水だろうから、何かミネラル不足だったのかもしれない。それか水分不足か。高熱が続いたこともだろうか。
持参していた塩タブレットと鉄分サプリメントと、偏頭痛薬を飲んで、目をつむった。
うとうとと浅い眠りを繰り返しながらいると、夜中の1時30分ごろに尿意がした。
一回目のトイレは必ず看護師の付き添い込みで、と念を押されていたので、その時に初めて部屋に備え付けられた呼び出しボタンを押した。
このとき左足は、入院から手術前使用していたかかと付きのスリッパを履いたが、右足はそれが履けないと、術後の初飲水のときに用意してもらった袋のような覆いでトイレに向かった。
点滴スタンドも同時運ぶということも、人生で初めて行った。
身体の動作に関しては想像以上に支障がなく、スムーズに歩行できた。
右足はかかとで歩くようにとの指導医からの指示が間接的にあったが、それだと患部もあまり痛くなかった。
身体が重いとか、激しい頭痛といったものもなかった。
ただ、小便のときに尿道が少し痛かった。
一応帰りしにも、トイレ内の呼び出しボタンを押して付き添ってもらった。
このときより後は、付き添いなしに一人でトイレに行っていた。
といっても点滴が外された朝10時ごろまでには、一度しかトイレに行っていないが。
その後は点灯の6時までほとんど寝ていたように思う。
同部屋の作業や音は、前日よりもマシだった。
手術の次の日の朝
他の患者への対応や明かりで起きたのだが、少し眠たかった。
だが直ぐに眠れそうな感覚は無かったので、スマホを見たり本を読んだりしていたら、また眠たくなって8時前まで寝たように思う。
朝八時は朝食の時間で、そこで質素ながら様々な栄養素をカバーしていそうな病院食を食べた。
初日の14時ごろに入院してから42時間、二度目の病院食だった。
そして、今回最後の病院食でもあった。
9時ごろに執刀医が来て、患部の確認と、帰宅できそうなら帰宅してもいいという話をされた。
十分元気だと伝え、その日中に帰宅ということになった。
この時、患部の包帯のまき直しもあったが、へたっぴだった。
その後麻酔医との術後の面談をするよう看護師から伝えられる。
この時既にトイレに歩いて向かえているかを聞かれ、肯定すると歩いて手術棟に向かうことになった。
ゆっくりとだったが、なかなか左足の方に負荷がかかる行程だった。
退院へ
そして、昼の病院食は必要かという看護師の問い合わせに答えたり、家族に迎えをお願いして過ごし、11時ごろに指導医が来た。
腫瘍は結局良性の血管腫だったが、血管がからまる箇所ゆえに除去が難しく、今後の治療はおいおい説明していくとのことで、結局切り損だったのではないかと思いながらも、そこで今回の入院・手術の工程や手続きが完了して、一応無事に退院と相成った。
ちなみに今回の手術では、術中に採取した組織の解析をしていたようで、それで良性と判断されたのを受けて、あまり熱心には摘出せずに手術が終了したようだった。
このとき包帯に血が滲んでいるとのことで、ガーゼごと交換され、改めて包帯も巻かれた。
このときのガーゼが手術後のものより分厚く、歩きづらくはあったが、保護する能力も高そうに感じた。
私はリュックを背負って、紙袋の方は家族に持ってもらって帰宅した。
ゆっくりと、手すりも使いながらなんとか歩いて駐車場まで向かえた。
退院後
自宅でもガーゼを滅菌パッドなどに交換しているが、血が溢れるようなことはない。
風呂も一応の覆いをしながら入れている。
一週間分もらったロキソニンもちょびちょび飲んでいるが、4日目くらいには必要ないかもくらいには痛みがおさまってきていた。
8日目には少しだけ散歩もした。松葉杖ありで。
ただ術後から9日後に、自宅内でも使用していた松葉杖無しで少し外出してから、ガーゼに血が滲むようになってしまった。
痛くも無いし、患部の縫合の糸のあたりも大丈夫そうだったからと、調子に乗って歩いたのが仇となった。
結局10日過ぎても少し痛くなっている。
抜糸はもう少ししてからだが、それまでにちゃんと塞がるだろうか。
入院・手術の費用は8万円ほど
事前検査や診療代は合わせて10万円弱
入院に合わせてアレコレ買った雑費は2万円ほど(他に使えるものばかりだが)