harapeco20200309の日記

カードゲーム 読書

【メモ】「面白い面白くない」じゃない

harapeco20200309.hatenablog.com

 

一年くらい前に葬送のフリーレンを見て、その期待とのギャップの大きさに驚愕し、批判を書くまでのことをしてしまった。

 

noteに貼り付けた方には見るに耐えない、気持ち悪いコメントがいくつもついていて、正直気味が悪かった。

自分としてもこの作品のことを考えるのは時間の無駄だと理解しているのに、妙な距離感のまま世間と自分の感想のギャップについて考察する羽目に陥っていた。

 

しかし、ようやく自分の中で整合性が取れる結論がでた。

「葬送のフリーレン」は「はちみつがかかった醤油ラーメン」なのだ。

 

醤油ラーメンはおいしい。はちみつもおいしい。

おいしいというか美味しさが保証されている。

そんな二つが欠け合わさって、まずいわけがないのだ(という発想)。

 

私はこの作品を見て、とんでもない駄作だという感想を抱いた。その感想は今も何も変わらないが、一つ変化があるのは、上記の感想にも書いたが「切り貼り感」、それへの理解と共感だ。

 

この作品を評価するには、どうあっても都合の良い区切り方を読者側でする必要がある。流れや筋の通ったストーリーだと考えてはいけない。

 

それは一話完結モノどころの区切り方ではなく、本当に一場面一場面別作品としてみなければならないということだ。序盤と、後の一話をつなげてはいけなかった。

 

私は醤油ラーメンとはちみつの調和性の無さに注目してしまっていたが、醤油ラーメンもはちみつもおいしいという事を見逃してしまっていた。

それを一緒くたに食べれば不味いだろうという感想は今も変わらない訳だが、具材一つ一つは悪くないという点には目をつむっていた。

 

実際「葬送のフリーレン」を熱烈に支持する声は存在しないのだ。「なんだが和む」とか「別れを追想できる」とかそんな程度なのだ。面白い面白くないの次元ではない。

あるいは「アンチのアンチ」しているだけだ。

 

そんな人たちに醤油ラーメンとはちみつのアンチシナジーを語っても意味がない。

向こうは向こうで、一つ一つの材料にしか興味がないのだ。

 

正直この作品を評価している人間は頭がおかしいとまで思いこみそうだったが、そんなことは全くない。

深く考えることに興味が無い人たちなのだ。ある種、詩的な人たちなのだろう。

 

あるいは最近の作品やその鑑賞法が軒並みティックトックのようになっていると言ってもいい。ごく短時間ごとに「切り出して」鑑賞するのだ。

 

アラフィフの、いい感じの年齢の時にサブカル作品に触れていなかった人が支持のボリューム層というのも関係しているのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

ブログ 5周年 「観光客の哲学」の感想を添えて

 

 

 

ブログへの所感

noteにここで書いた文章をはっつけるようになって、noteのアクセス力の強さを強く感じた。

 

どんなくそコメントを書いてもいい風潮があるにしても、コメントがnoteではついたこと自体に驚いた。

 

「葬送のフリーレン つまらない」で検索すると、noteの私の記事が2番目に出てくるのだ。

自分としてはひっそりと吐露したくらいのつもりだったのだが、noteのドメインが無駄に強いせいかおかしなことになった。

 

よくアフィリエイトブログが検索妨害として名指しされるが、SNSSNSまがいのブログサイトも立派な検索妨害の仲間入りを果たしているなとも思う。

 

noteには本当に碌な記事を見かけない。

書いた本人用のメモ書きみたいなものならまだしも、他人に見られるのを前提にしていそうな記事でも、カスみたいとしか言いようのない文体と内容の無さなのだ。

 

20~15年前の個人ブログの文章の質の高さと比べると唖然とする。

はてなブログが良いサイトとも思わないが、noteのようなサイトが検索の上位に挙がってしまうのは、結構な問題ごとに感じる。

 

「観光客の哲学 増補版 」を思い出す。目立つところが接続を集めてしまい、交流の効率と数が減じているというくだりがあった。

東浩紀さんはアフィリエイトブログを例の一つにあげていたが、私はwikipediaやnoteも該当し、しかもより悪質だと考えるアフィブログと違って質の低さが取り沙汰されていないからだ。

https://amzn.asia/d/eJ3uale

 

読書について

今までで一番読書が出来た年になった。

メイジトップ - 読書メーター

この一年で英語や途中打ち切りを含めて117冊読んだ。

英語も打ち切りも数冊ずつなので、100冊はまともに読めた。

冊数は参考程度だろうが、読んだことのないジャンル(美術、経済)込みで、色んなジャンルをよめてよかった。

 

ここ数週間は精神が不安定だが、この瞬間はまだマシ。

 

ただ、昨年の半ばは濃く過ごせていた気がするのに、ここ3か月はそうでもない。

 

 

youtube

www.youtube.com

 

 

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youtube動画を作成したが、思っていたよりも大変で、まともなのは一本しか作れていない。

 

絵本みたいなものを作りたい。

 

ハースストーンへの感想

HS配信は2回だけ。

HSをしていて煽りエモートを受ける頻度が上がったように感じる。

みんな意識下か無意識か分からないが、つまらないゲームになったことを実感しているのではないだろうか?

 

自分のXを今だミュートしていない人たちからは、私が一年半くらい前から突然頭がおかしくなったかのように思われていそうな気がする。

私のゲームへのスタンスは、ライバルズを始めた頃から何も変わっていなくて、2年前まであった「全ての他人を尊敬してしまうモード」もあって、「競技勢」への軽蔑を抱けていなかった。

勝つことは楽しむための手段であって、勝つことや誰が強いかへの関心自体を先行させている競技シーンには、その遊びの参加者のほとんどにとってメリットが無い。

公式イベントの中心が競技シーンに占められているのは、初心者を詐称し、ミドルユーザーを白けさせ、ヘビーユーザーをおだてるだけ。

 

スマブラでリア友に「終点・アイテム無し」を強要する輩がいれば、まず間違いなくスマブラからはハブられるだろう。

競技シーンはなぜか、そんなハブられる側に発言権を与えるおかしなイベントでしかない。

99%のユーザーはゲームに興味があるのであって、誰が強いかなどに関心なんぞない。

 

対戦ゲームのユーザーの行きつく先が、eスポーツだの、競技シーンだのにあるという風潮は迷惑でしかないので、そそくさと退潮してほしい。「eスポーツ」は意味合いが変化してきているが。

競技勢は闘鶏の鶏の分際で何を威張っているのか意味不明でしかない。闘鶏の本質は鶏の個体ではなく、賭けにあるのに。

 

HSがつまらないのも、競技シーンの名残で微調整でゲームバランスを整えようとしているのが原因の最たるものだと思う。面白さありきではなく、強弱ありきになっている。

 

x.com

 

 

 

2025年2月 読書メーターまとめ

2月の読書メーター
読んだ本の数:7
読んだページ数:2644
ナイス数:24

「社会正義」はいつも正しい: 人種、ジェンダー、アイデンティティにまつわる捏造のすべて「社会正義」はいつも正しい: 人種、ジェンダー、アイデンティティにまつわる捏造のすべて感想
高校の現代文で読まされた文章に出て来た「クインビー理論」に対する強烈な違和感を思い出した。ポストモダニズムが変形した「社会正義」は反証や疑義を拒否し、それらを差別意識の証拠と言ってつるし上げる。権力的な上下構造を強調し、境界を曖昧にすることで不必要に難解で、逆に門外漢からはまともな理論として扱われている。また、中道右派リベラリズムを封殺しようとすることで、「社会正義」に対して極右しか反対意見を述べれない状況に繋がっている。大衆を黙らせ、ポピュリストが激する構図は「理論」側の肯定材料になってもいる。
読了日:02月07日 著者:ヘレン・プラックローズ,ジェームズ・リンゼイ,Helen Pluckrose,James Lindsay
サラ金の歴史-消費者金融と日本社会 (中公新書 2634)サラ金の歴史-消費者金融と日本社会 (中公新書 2634)感想
戦前の貧民窟の素人高利貸しから2006年の改正貸金業法まで、主に貸し手側の視点で丁寧に流れを追っている。優良な借り手の探究、原資の調達、金融技術、IT技術の発展と様々な観点から時代ごとに示されている。今からでは信じられないような高利は、経済発展速度やインフレ率にも支えられていたのだろうが、煩雑になるのを避けるためかマクロな視点は控えめで、当事者の心情面を念頭に置く記述が多かった。それは引用の選び方からも伺えた。
読了日:02月11日 著者:小島 庸平
コーランには本当は何が書かれていたか?コーランには本当は何が書かれていたか?感想
女性ジャーナリストによる、南インド出身のイスラム学者との交流を通じての一冊。スカーフの有無や政治にこだわる、アイデンティティ重視の態度はイスラム的でない。注釈や解釈ではなくクルアーンハディースという原典にあたる姿勢こそがムスリムとしての模範だという。それは戦争や自爆テロよりも、日々神に感謝しながら静かに生きる方が難しいという逸話からもうかがえる。
読了日:02月14日 著者:カーラ パワー
学力喪失──認知科学による回復への道筋 (岩波新書 新赤版 2034)学力喪失──認知科学による回復への道筋 (岩波新書 新赤版 2034)感想
点数がものをいうのは選抜が必要な試験だけで、習熟度を測る上ではもっと大事なものがある。それは意味を理解し、応用できるかどうかだ。 小学五年生でも1/2と1/3のどちらが大きいか分からない子も多いといった事例がふんだんにあり、これは実際の事象と記号とを結び付けられていない、記号接地出来ていないからだという。 カードを使った遊びや実生活と結びつけた授業で子供に学習を楽しんでもらうことを肝要とする。
読了日:02月18日 著者:今井 むつみ
経済学の宇宙経済学の宇宙感想
人形と人形遣いのたとえが、徐々に理解できていく過程がとても楽しかった。扱われる話題も広く、経済史の意義を今までで一番強く感じられた。「見えざる手」への賛同や批判の模様や「労働価値説」の(マルキシズムにおける)重要性と疑義や、均衡・インフレ・デフレの観点といった内容について、曖昧だった理解が強化された。 ただ捨象する要素の吟味をしているのか分からないまま「数学的に証明できた」といった言い方をするからイデオロギー的なのだ、と指摘されるんだろうなと感じた(p577)。
読了日:02月21日 著者:岩井 克人
天使とは何か キューピッド、キリスト、悪魔 (中公新書 2369)天使とは何か キューピッド、キリスト、悪魔 (中公新書 2369)感想
天使は境界を飛び越える。多神教的な自然の諸力の化身としての属性、音楽の階位、神の遣いからキリストとの習合から単体での祝福者へ、堕天使の英雄化もとい世俗化。イメージの源泉かつ発露として、神が死んだ世界であっても天使は生き続ける。
読了日:02月21日 著者:岡田 温司
詩のこころを読む (岩波ジュニア新書 9)詩のこころを読む (岩波ジュニア新書 9)感想
内容があまり頭に残らなかったのがくやしい。p121の「便所掃除」にびっくりした。これを良いと言える人間になりたい。
読了日:02月27日 著者:茨木 のり子

読書メーター

読書メーター 2025年1月 

1月の読書メーター
読んだ本の数:12
読んだページ数:4035
ナイス数:26

ジェンダー史10講 (岩波新書 新赤版 2010)ジェンダー史10講 (岩波新書 新赤版 2010)感想
近代科学や労働形態と相補的な形で、男女の優劣や分離が進行していった。女性は未熟で、家庭に押し込められる存在とみなされてしまったのだ。中世以前が男女平等だったということではないにせよ、上からの制度化が、男性側の勝手な基準の形成を生んだ。やや教科書的というか、10講という体裁と若干相性が悪い気もする。 小括が少ないのは淡々と事実を述べよう、学術的であろうという態度なのだろうが、ビジョンの乏しさや読みづらさにもなっている。
読了日:01月02日 著者:姫岡 とし子
インドの宗教とキリスト教 (講談社学術文庫 2842)インドの宗教とキリスト教 (講談社学術文庫 2842)感想
講演をまとめたもので、何か大きな結論に向かうような構成ではなく、内容の濃さは均質に近い。キリスト者向けを意識しており、近代的なプロテスタンティズムとインドの宗教を比較している。社会や実生活への宗教の役割ではなく、信仰としての、それもそれぞれにおける理想や究極の目標といえるものを意識して書かれている。インドの献身の宗教とキリスト教とで、救済や精神の深い体験といった部分では広範に類似する。しかし、世界は神の一部か神が世界を創ったかや、現世での(他者への)善行の重要性といった部分で差がある。
読了日:01月03日 著者:ルードルフ・オットー
負債論 貨幣と暴力の5000年負債論 貨幣と暴力の5000年感想
金貸しの悪辣と借りは返さねばならないという相矛盾するモラルの形成と、信用創造と商品という貨幣の二つの役割を背骨に、人類学の知見などから、「名誉・モラル・奴隷制・商業・軍事・暴力」と貨幣(仮想通貨・鋳貨・税・賠償・国債)を結び付け、論じている。平行して存在した慣習や文化と、帝国や商人や新大陸への冒険家の論理が合わさることで、現代のような経済的な観点が支配する、閉じた価値観が生成されたという。 それを打破し、全てに値札をつけるわけでは無い、異なる世界観を想像させてくれる人文学的な知がつまった本。
読了日:01月04日 著者:デヴィッド・グレーバー
ナショナリズムと政治意識 「右」「左」の思い込みを解く (光文社新書 1314)ナショナリズムと政治意識 「右」「左」の思い込みを解く (光文社新書 1314)感想
ほぼ国際比較・概観。経済的な左右と、社会文化的な左右という2軸で考えるように示唆。そうすればナショナリスト=保守とはならない。また、大規模な政変を経験した国家では、ナショナリズムと「左右」の相関が日本人とは逆転した様子となる。 アメリカは強烈な対立構造もあってか、このテーマにおいて極端な例となっている場合が多く、そんなアメリカから学術用語や相関関係を引用しがちな現状な日本は、それらを相対化するべきだと指摘。 著者は言葉の含意も世代や地域で変化することを考慮していたが、「権威主義」が特にあてはまると思う。
読了日:01月07日 著者:中井 遼
スピン流は科学を書き換える (インターナショナル新書)スピン流は科学を書き換える (インターナショナル新書)感想
電場と磁場はコインの裏と表のようなものである。電荷をもつ物質の中で最も豊富で自由である、電子自体の自転のスピン角運動量と、(原子核に対しての)軌道角運動量とスピン角運動量が織りなすスピン軌道相互作用の二つが主に話題となっている。これまでは大きさもエネルギーも減衰までの距離も小さすぎて測定しづらかったが、その実態と重要性が徐々に明かされているという。観測と客観性に、実生活ではおよそ感じないような不確かさがある量子力学に踏み込んでいるが、極力数式ではなく図解やイメージで解説されている。それでも6章は難しかった
読了日:01月08日 著者:齊藤 英治
科学革命の構造 新版科学革命の構造 新版感想
コペルニクスニュートンアインシュタインパラダイムシフトの例としては有名だが、典型例ではない(少なくともクーンにとっては)ことがはっきり示されていて認識が変わった。数的規模で言えば、最小で数十人程度しか関わらないような、単元ごとの科学コミュニティにおける「模範例」こそがパラダイムである。また前提の共有や共役不可能性という概念だけでなく、実験や計器や単位の決定、データとして何を記録するかといった、実際の活動の変化もパラダイムシフトの構成要素なのだと知れた。そのような「自然観」は理論形成とも密接である。
読了日:01月15日 著者: 
Harry Potter and the Philosopher's StoneHarry Potter and the Philosopher's Stone感想
多読に。Im so excited. This book has a lot of fun, heroic and magic.
読了日:01月15日 著者:J. K. Rowling
文庫 経済政策で人は死ぬか?: 公衆衛生学から見た不況対策 (草思社文庫 ス 4-1)文庫 経済政策で人は死ぬか?: 公衆衛生学から見た不況対策 (草思社文庫 ス 4-1)感想
社会保障・公衆衛生の重要性を伝える。不況時に削減されがちな社会保障に関する予算は、むしろ景気を刺激する力が強く(金融などよりもよほど費用対効果が良い)、国家にとって最も大切な資源であるヒトを保護する。医療に関する長期的にみた負担は、予防に資源と資金を投入したほうが小さくなる。 緊縮の名のもとに社会保障が削られ、市場原理に任せた方がいいとされるのは、データに基づいておらず、イデオロギーが優先された結果でしかないという。
読了日:01月20日 著者:デヴィッド・スタックラー,サンジェイ・バス
「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策感想
様々なバイアスが存在すること、スキーマ(思考の枠組みや前提)は人によって異なること、そしてそれらがあまり意識されていないことを強調する。「メタ認知」という単語を用いて、話し相手などの関わる相手の意図を汲み取ることを推奨。 為になったのは理由もセットで説明しないと説得力が無いという所と、忖度やルールは目的や終着点を忘れて遵守するべきではないというくだり。 軽く読めるので、これから読書習慣を始めようという人の一冊目としても適していそう。
読了日:01月25日 著者:今井 むつみ
呼吸の科学 いのちを支える驚きのメカニズム (ブルーバックス 2184)呼吸の科学 いのちを支える驚きのメカニズム (ブルーバックス 2184)感想
具体的な数値が豊富で、定量的な観点を大切にしていることが伝わって来たし、そのおかげで想像しやすくなっている部分もあった。解剖学的な見地からの説明も多く、運動と呼吸の関係を中心に据えた「呼吸の科学」。
読了日:01月26日 著者:石田 浩司
科学で宗教が解明できるか: 進化生物学・認知科学に基づく宗教理論の誕生科学で宗教が解明できるか: 進化生物学・認知科学に基づく宗教理論の誕生感想
進化生物学への知識の正確さがそこらの勉強不足の哲学者とは隔絶したものであることが短い記述からも伺えて、それだけでも信用足る本に思えた。主に北米の宗教学を横断し、研究手法や学問への向き合い方を整理した内容であり、認知科学などと特定の宗教を掛け合わせた具体的で実地的な研究に関しては参考書籍・論文に譲っている。宗教と科学は敵対するとは限らず、強い反宗教はイデオロギー的であり、また神学に偏った宗教学も権威主義的で政治的になるという。中庸か使い分けを示唆するとも言える。著者の立場が明確な方が読みやすいのではと思った
読了日:01月29日 著者:藤井 修平
写真論――距離・他者・歴史 (中公選書 123)写真論――距離・他者・歴史 (中公選書 123)感想
写真に関する緻密で社会科学的な議論ではなく、10章からなる散文。各章は特定の人物とその人物の写真にまつわるエピソードを軸に、著者の写真観で彩られた文章で構成される。登場する人々はその時その場所を観察し、感応しているが、その相似のように、本書全体で、著者は写真家と社会(構造)や写真に関するメタファーを観察し、詳述している。 写真撮影だけでなく著者に寄り添って読む必要があるが、写真を通じた世界観が自分の中で整理されるとともに、何かランク付けのようなものが行われた。
読了日:01月31日 著者:港 千尋

読書メーター

【全身麻酔体験】右足腫瘍の外科手術 2泊3日

右足外側面の腫瘍を除去する手術を受けた。

 

診察

初診

初めの診察では、見て触った後、ゼリーを塗ってのエコーで検診され。

おそらくそこで、腫瘍が悪性の緊急性のあるものと判断されたようだ。

造影MRI

初診から数日中に、検査としてMRIを受けさせられた。

この大学病院に行く前にも、近所の皮膚科に行っていて、そこでの指示でもMRIを受けて、そこでのCDデータを持っていたのだが、造影MRIでないといけないということだった。

『CTやMRI検査を行う際に造影剤というお薬を使用する検査です。造影を行うことで小病変の有無が明瞭となると考えられる場合など、造影により追加情報が得られる可能性が高いと判断される場合に造影検査を行います。』

MRIにかかる前に、ガドリニウムを注射されるのだが、これがそこそこ大がかりで
撮影衣に着替える→
針を腕の内側に刺され、テープで固定される→
撮影室に移動→
薬液の注射→
撮影

と、手順を踏んでいた。

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ガドリニウムは拒絶反応が出る人がいるようで、体調に変化がないか薬液注射の途中段階でも、入れ終わった段階でも聞かれたが、幸いにも気分が悪くなるようなことは何も無かった。精々すこし冷たいくらい。相変わらずうるさいMRI撮影だったが、前とは違い耳栓ではなくヘッドホンでの防音だった。

その後も体調に変化はなく帰宅。ガドリニウムは尿から排出されると告げられる。

ただこの時の注射は針が特殊だったのか何かで、皮膚の変色が10日くらい残った。500円玉の大きさくらいの範囲で。


造影MRIの検査結果がどういう判断の差を生んだかは、そもそもMRIと差があったのかは不明。
その数日後に「針生検」をされた。

針生検

腫瘍が硬すぎず、柔らかすぎない(水っぽすぎない)場合には、この検査が可能とのことだった。


診察室のベッドに横向き、左向きで右足側面の患部が上をむくように寝ころんだ。

局所麻酔を患部辺りに打たれた。この検査過程においてはこの麻酔が一番痛かった。

大学病院というのもあって針を刺したのは研修医?だった。
その研修医?の兄ちゃんの力が強く、止血なのか針を刺しやすくするためなのか、私の足への押し込みが痛くなった時があって、思わず「痛いです」といってしまった。
局所麻酔の範囲によっては、その抑え込みも痛くならないのかもしれない。

私が作業を見ないようにか、壁をむくように寝かされていたが、局所麻酔なので会話は聞こえていた。

診察を担当していた年配の医者(指導医)が「(針が)骨に行かんようにね」といっているのが少し恐ろしかった。
研修医?は「(患部辺りは)分厚いのでそれは大丈夫そうですよ」と返していた。

他にも、その指導医が、看護師の人にこの装置はおいくら万円などと雑談をしかけているのも聞こえてきて、のんきなものだなと思った。
私の緊張をほぐすといった意図があったというよりは、針生検程度のことはなんでもない日常が故に、そんな会話を研修医?が作業中でも行っていたのだろうと感じた。

念のためと、合計4本、検査針を刺された。

その後分厚く固いガーゼで保護された。
右足の靴の靴紐を限界まで緩めると、保護の処置ごと靴を履けた。

少し経ったあと、診察というか説明があり、さっき取った組織が入った容器を見せながら、これを検査に送りますとのことだった。
思っていたよりも水っぽいということだった。

あまり痛みも感じず、割と普通に歩けていたが、数時間後に痛んできて、歩くのはしんどいくらいには厳しい痛みになってきた。
帰宅してから、市販薬で常備していたロキソニンを飲んだ
くらいであった。

次の日の朝にガーゼを剝がしたときは思ったよりも出血はなかった。圧迫が効いていたようだ。

ただ針を刺しただけはあって痛みは数日つづき、歩行に支障が無くなるまで三日、完全に痛みが消えるまでさらに四日で、計一週間は痛みがあった。
足は治りが遅いと言われていた。それも関係していたのかもしれない。

手術前検査

外科手術、それも全身麻酔が必要なものが腫瘍の除去には必要ということで、一般的にその手の手術を受ける前に必要となる検査を一通り受けた。

血液検査ではシリンダー4本分採られ、4種の検査にかけられた。
病気、栄養値、たんぱくなどの成分といったものだろうか。
手術で使うゴムにアレルギーがないかを何回も聞かれたので、アレルギー検査も兼ねていたのだと思う。

心電図検査もあった。

CTは二種された。
一つは患部で、もう一つは胸部。

レントゲン撮影もあった。

血液検査以外はとてもスピーディーに済んだ。
やはり血液検査以外の担当者の方々は、大体とても疲れていそうだった。

これらとは別日に呼吸機能の検査もあった。
これは、空気を吐き切る過程やマウスピース?をくわえておくのが、少し大変だった。
ただ、たまたま同時に読んでいた「呼吸の科学」に載っていたものと同じ検査が出てきて、「呼吸の科学」を読むモチベと、この検査の意義が相補的に強化される感覚があった。


PET検査も受けさせられた。

このPET検査結果を入院直前の診察で説明された。
予想よりもブドウ糖の堆積がなかったようで、悪性腫瘍の典型的な挙動ではなかった様子。

入院

不足してはいけないと色々と持っていたため、結構な大荷物になってしまっていた。
スーツケースで来る人もいるようだが、私はリュックと紙袋で荷物を運んだ。

部屋へ

一人部屋を希望していたが空きが無かった。
しかも、ただの大部屋どころか、整形外科用の大部屋ではなく、一般病棟の大部屋に入院することとなった。

フロアの一角が大部屋が並んだ区画となっていて、外からはドアロックがかかっている作りだった。
初めは呼び出しを押して解錠してもらったが、部屋で荷ほどきをした時点で、手首に名前と生年月日と患者番号が印刷されたタグをまかれた。
このタグにはバーコードも記されてあり、そのバーコードでその大部屋の区画のドアロックを解錠でき、入院患者本人は自由に出入りできるという仕組みだった。

部屋はベッドと椅子以外は、テレビ、冷蔵庫、棚、ロッカー、コンセントがあった。
ロッカーといっても上着が二着入る程度。
棚は引き出しが一つと、引き出しの上は食事のトレイを置く用の引き出す形の台があった。
引き出しは鍵付きで、部屋を離れるときは、貴重品はそこに入れるようにとのこと。
それに加えてその上のあたりスペースにあって、そこにスマホや本などを置いた。
棚とベッドは若干距離があって、寝転がったまま右手を伸ばすだけでは棚に置いている物を取ることは出来なかった

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参考拾い写真

トイレやシャワーや給水機の位置の案内が矢継ぎ早に終わると、身長体重を測られた。
身長測定器は手動のもので、そのとき担当の看護師の方の手が届かず、自分でバーをおろした。
私の身長は176cm程度でそこまで高くないのだが、年配の入院患者の方はもっと身長が低いだろう。
身長体重測定器の周りに台のようなものはなく、身長差が問題になることは普段ないのだろうなと、そこが一般病棟であることを感じさせた最初の出来事だった。

そのあと患者個人用に作成された入院・手術日程表が配られる。
個人用といってもテンプレートをいじったようなものであったが、手術前後の飲食や、入浴、トイレに関する指示が載っていた。

ナースが多く詰めている時間帯までしか、シャワー室は利用できないということで、16時にはシャワーを浴びる。
そのフロアにシャワー室は(多分)一つしかなく、一人当たり最大20分ぐらいの利用時間とのこと。

手術前日の自由時間

ここから次の日の手術まではほぼ自由時間で、耳栓や清涼飲料水を買いに行った。
ドアロックに閉じられた区画には給水機しかなく、ジュース類を飲みたいときは同じフロアの談話室に備えられた自販機か、別の階の売店(コンビニ)に行くしかない。

手違いで晩御飯が遅れるというハプニングがあったりしたが、それ以外はベッドに近くに置かれたイスに座りながら本を読んで静かに過ごしていた。

変な時間に眠らないようにと、ベッドの上にあまりいないようにした。
ただ、仕切りがカーテンだけなので、ナースステーションの電話や呼び出しの音が頻繁に鳴っているのが聞こえるし、同じ部屋の患者のいびきや看護やらの作業音もほぼ完全に素通りだった
更には、別部屋の患者で「おーい!」と叫び続ける方もいて、私のところまで聞こえる程だった。
それ故耳栓を買いに行った。

また、入り口側のベッドだったのだが、部屋の前を通る看護師も、となりのベッドに向かう人も影で分かる位置だったので、私に用があって来てる人か?と一々気にかけて集中はかなり削がれていた。

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実際、説明やらで手術を手伝う?医者が来たり、看護師が手術衣や下剤(全身麻酔手術を円滑に行うために、お腹の中をクリアにしておく用)を届けに来たりと、何回かは来訪があった。
この時に右足首にマークもされた。一応、左右を間違えない為だという。

また、麻酔医と面談があって、手術棟まで行くくだりもあった。
そこでの面談は術後にのどの痛みがあることや、25万人に一人重大な麻酔事故があるといった説明と、それへの同意書にサインすることだった。

次の日の昼から手術予定だったので、21時に下剤を飲んだ。
このあたりから水とお茶以外口にしないよう指示されていた。

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就寝

22時の消灯でベッドに入ったが、その時点では割とすぐに寝つけた。
いびきやナースステーションへの呼び出し音はあったが、耳栓でほとんど気にならなくなるレベルではあった。

ところが24時ごろからとなりのベッドが騒がしくなった。
嘔吐もしていたし、排泄も処理してもらっていたようで、作業音だけでなく、匂いも少しあった。
それは数十分続いてその間は鼻を軽く覆いながら、ipodで音楽を聴いていた。
そこで、病院とは休むところではなく、治療と看護を受ける場所なのだと改めて思い知った。健康への意識も自然と高まった。

それが落ち着いてからは、度々目を覚ましながらも、点灯時間の朝6時までには睡眠時間を確保できて、睡眠不足で体調不良というようなことは無かった。

手術当日

既に断食時間なので朝8時の朝食は無かった。

また、12時に移動準備開始、13時に手術という予定だったので、10時からは完全に絶食との指示だった。

嘔吐や便を最小にするための断食・絶食の指示だろうからと、10時直前にがぶがぶ水を飲むのもおかしいだろうなと判断し、起きてからは少しずつ水を飲みながら、10時前の時点(このとき看護師から飲水するなら今が最後ですと告げられた)でも最小限の摂取に済ませた。

昼の手術予定は遅れがちになると言われていたが、案の定一時間近くの遅延があった
手術衣には12時には着替えていたが、その恰好で一時間ほど本を読んだりしながら待機だった。
ちなみに手術衣は上半身だけ着替えだった。心電図などを張り付けるために脱がせやすいような作りで、袖のところもボタンで円柱を成すようになっていて、若干着るのに苦戦した。

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参考拾い画

どのくらい遅れるか分からない不安と、絶食が若干長引いたことと、緊張からトイレが多くなったことによる水分不足とで、12時30分あたりから頭痛がし出した。

13時に手術室に移動し出したときには、歩行する分には大丈夫だったが、複雑な思考や中程度の以上の運動は出来ないだろうなという状態だった。

手術棟の中でも、手術室のある区画は二重に扉があって、その扉と扉の間のスペースにいったん待機だった。
そこで名前と生年月日の最後の一応の確認があった。そこで手術用の帽子を被った。
手術室まで歩いて移動する間にベッドで運ばれる人とすれ違ったり、いくつかの手術室をちらっと覗いたりしたが、あまり緊張のようなものはなかった。
自分にできることはなにもないし、全身麻酔だからすぐ寝かされて、気づいたら右足がごわごわしてるんだろうな、くらいの気構えだった。
先の待機中に、看護師に緊張しているか聞かれたが、術後の痛みの方が心配だと返したように思う。

手術

手術室に入ると、入り口のところで更に左右に二部屋に分かれていて、右の方に入った。左はモニター室?器具置き場?

部屋の中は機械が騒然と並んでいて、(多分)中央辺りにベッドが置かれていた。
ベッドに寝転ぶと靴と眼鏡は看護師に回収された。それらは、手術時に脱がされたパジャマのズボンと下着と一緒に部屋に届けられていた。

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参考拾い写真

種々の機械以上に、天井のパイプのようなものの方が恐ろしく感じたのを覚えている。パイプでもなかったかもしれない。
心電図のパッドやらをつける人だけで3人はいた。
手術衣をガバッと開かれ、想像以上に多くのものを張り付けられた
胴体部分だけでも結構な数だなと思っていたが、頭部にも何かをつけられた。頭部のものはピリピリした。

その後針を刺されたのだが、その箇所は左手の甲なのが意外だった。
この時の針が結構太く、そんなに痛くはなかったが違和感は強かった気がする。

そしていよいよ麻酔を注入された。
結構な勢いで流し込まれていて、手首から肘にかけてさすられながらの注入だった。
注入開始から(多分)15秒くらいで、気分はどうですかと聞かれて、少し痛いですと返した。そうですかと更に返ってきたように思う。やや意外そうな反応だったようにも記憶している。

この時点で既にうっすら眠気が来ていた。

そこからさらに(これまた多分)15秒くらいでもう意識はなくなっていた。
恐らく呼びかけでの意識確認の過程があったろうが、何も覚えていないし、私自身も反応などしていないだろう。

ちなみにこの時点では執刀医は少なくとも見える範囲にはいなかった
術後も執刀医や指導医と対面したのは、私の体調が落ち着いた手術の次の日だった。

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術直後

幾度も名前を呼び掛けられることで目を覚ます。
始末の悪い時の寝起きと同じで、覚醒直後は意識を繋ぐだけで気疲れするような状態だった。

次に感じたのは右足の強烈な痛みだった。
ごわごわを感じているものと予想していたが、それで覚醒が促されるくらいの強い痛みだった

更には喉の違和感に覚える。気道に差し込まれる器具のせいで、ほとんどの人が術後に喉に痛みがあるとのことだったが、私も例外ではなかった。

意識も薄い中待っていると、迎えの看護師がまだ来ていないとのことだった。
看護師の段取りが悪いことを軽く非難するような会話を麻酔医?達がしていたのを覚えている。
これが整形外科ではなく、一般病棟の大部屋に入ったことを意識した出来事の二回目だった。

数分後に看護師が来て、ベッドごと元の病室に運ばれる。
手術棟と病棟を結ぶ渡り廊下や、少し坂になっている廊下や、エレベーターにも乗ったはずだが記憶はおぼろげだ。

退院まで

部屋に戻って

部屋に戻ってからの数時間が一番辛い時間だった。

戻ってすぐに、酸素濃度、体温、血圧の測定をされた。
患部の痛みの度合いを聞かれ、10段階で言うと、という振りに対し7~8と答えた。

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拾い酸素濃度計

痛みに合わせて鎮痛剤を注入するとのことだった。
手術終了時点や覚醒後の時点で、鎮痛剤が打たれていたのかはよく分からない。覚醒後の数十分は軽く炙られているように執刀部位が痛かったのを覚えている。

そこからしばらくはただゆっくりとしていたが、下半身が暑くなる。
掛け布団が二重にあり、高めの温度に設定された空調も重なって、自分で布団を引っぺがしたり、軽くはたいて空気を送り込むくらいには暑かった

恐らく30分後に看護師が来て、やはり酸素濃度、体温、血圧が測られた。
術後から約30分毎に、3時間後までこの測定は続けられた。体調の急変に備えてだろうか。

大部屋に戻って1時間後に、掛布団が乱れているのを見てか、一枚外してくれた。なんと一枚は電気毛布で、そのせいで暑かったようだ。
今思えば、暑すぎる場合には呼び出しボタンでその旨を伝えれば良かったのだろうが、術後の処置として温すぎるくらいがいいのかもしれないなどと考えてしまっていた。

その苦役に尿道カテーテルも加わっていた。
その管のせいで下半身を動かしづらく、姿勢を動かし辛い苦痛に、布団を調整しにくい辛さが重なって、手術を受けたのを後悔するほどの時間だった。

後は、ただ休んでいるだけだった。
眠りに落ちることはなかったが、時間がゆっくりとしか進まないという感覚も無く、電気毛布が無くなってからの2時間は、辛いながらも永すぎるということはなかった。

抗生剤や鎮痛剤が、点滴の所に吊り下げられたりしながら、時が過ぎるのを待っていた。

そうして恐らく21時ごろに飲水が許可される時間が来て、それに合わせて尿道カテーテルが抜かれた。
この尿道から管を引き抜かれるときは、痛みはそれほどなかったが、(男性なら理解できると思うが)背筋が凍るような、胸に暗闇が差し込むような気分になった。

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参考拾い画

一段落して

その看護師さんに、持参した紙コップに水とお茶を汲んでもらい、飲んだ。
術後の飲水が許可されるこのタイミングに飲む用のアクエリアスを、手術前に買うか迷って結局買わなかったが、今は買っても良かったなと思っている。
夕食の時間は過ぎていたので、病院食は出ないが(基本夕食は18時で、衛生的に2時間以上ほっておけないとのことだった)、もってきている食べ物を食べてもいいとのことだった。
ということで、おやつのような味付け卵と焼き菓子を一個ずつ食べた。

このあたりにロキソニンと胃薬を一週間分渡されていて、6時間以上間隔を空けるなら、痛みがあるときに飲むようにとのことだったので、それも飲んだ。

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もうすぐ22時の消灯というこのタイミングで、それなりの頭痛がしていた。
点滴の栄養素は精々が生理食塩水だろうから、何かミネラル不足だったのかもしれない。それか水分不足か。高熱が続いたこともだろうか。
持参していた塩タブレットと鉄分サプリメントと、偏頭痛薬を飲んで、目をつむった。

うとうとと浅い眠りを繰り返しながらいると、夜中の1時30分ごろに尿意がした。
一回目のトイレは必ず看護師の付き添い込みで、と念を押されていたので、その時に初めて部屋に備え付けられた呼び出しボタンを押した。

このとき左足は、入院から手術前使用していたかかと付きのスリッパを履いたが、右足はそれが履けないと、術後の初飲水のときに用意してもらった袋のような覆いでトイレに向かった。
点滴スタンドも同時運ぶということも、人生で初めて行った。

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身体の動作に関しては想像以上に支障がなく、スムーズに歩行できた。
右足はかかとで歩くようにとの指導医からの指示が間接的にあったが、それだと患部もあまり痛くなかった。
身体が重いとか、激しい頭痛といったものもなかった。
ただ、小便のときに尿道が少し痛かった。

一応帰りしにも、トイレ内の呼び出しボタンを押して付き添ってもらった。
このときより後は、付き添いなしに一人でトイレに行っていた。
といっても点滴が外された朝10時ごろまでには、一度しかトイレに行っていないが。

その後は点灯の6時までほとんど寝ていたように思う。
同部屋の作業や音は、前日よりもマシだった。

手術の次の日の朝

他の患者への対応や明かりで起きたのだが、少し眠たかった。
だが直ぐに眠れそうな感覚は無かったので、スマホを見たり本を読んだりしていたら、また眠たくなって8時前まで寝たように思う。

朝八時は朝食の時間で、そこで質素ながら様々な栄養素をカバーしていそうな病院食を食べた。
初日の14時ごろに入院してから42時間、二度目の病院食だった。
そして、今回最後の病院食でもあった。

9時ごろに執刀医が来て、患部の確認と、帰宅できそうなら帰宅してもいいという話をされた
十分元気だと伝え、その日中に帰宅ということになった。
この時、患部の包帯のまき直しもあったが、へたっぴだった。

その後麻酔医との術後の面談をするよう看護師から伝えられる。
この時既にトイレに歩いて向かえているかを聞かれ、肯定すると歩いて手術棟に向かうことになった。
ゆっくりとだったが、なかなか左足の方に負荷がかかる行程だった。

退院へ

そして、昼の病院食は必要かという看護師の問い合わせに答えたり、家族に迎えをお願いして過ごし、11時ごろに指導医が来た。

腫瘍は結局良性の血管腫だったが、血管がからまる箇所ゆえに除去が難しく、今後の治療はおいおい説明していくとのことで、結局切り損だったのではないかと思いながらも、そこで今回の入院・手術の工程や手続きが完了して、一応無事に退院と相成った。

ちなみに今回の手術では、術中に採取した組織の解析をしていたようで、それで良性と判断されたのを受けて、あまり熱心には摘出せずに手術が終了したようだった。

このとき包帯に血が滲んでいるとのことで、ガーゼごと交換され、改めて包帯も巻かれた。
このときのガーゼが手術後のものより分厚く、歩きづらくはあったが、保護する能力も高そうに感じた。

私はリュックを背負って、紙袋の方は家族に持ってもらって帰宅した。
ゆっくりと、手すりも使いながらなんとか歩いて駐車場まで向かえた。

退院後

自宅でもガーゼを滅菌パッドなどに交換しているが、血が溢れるようなことはない。
風呂も一応の覆いをしながら入れている。

一週間分もらったロキソニンもちょびちょび飲んでいるが、4日目くらいには必要ないかもくらいには痛みがおさまってきていた。

8日目には少しだけ散歩もした。松葉杖ありで。

ただ術後から9日後に、自宅内でも使用していた松葉杖無しで少し外出してから、ガーゼに血が滲むようになってしまった。

痛くも無いし、患部の縫合の糸のあたりも大丈夫そうだったからと、調子に乗って歩いたのが仇となった。

結局10日過ぎても少し痛くなっている。

抜糸はもう少ししてからだが、それまでにちゃんと塞がるだろうか。

入院・手術の費用は8万円ほど
事前検査や診療代は合わせて10万円弱
入院に合わせてアレコレ買った雑費は2万円ほど(他に使えるものばかりだが)

公共の宗教・近代的倫理・人助け

「近代世界の公共宗教」の要旨の一つに、20世紀初期には宗教が廃れるの必然だと思われていたのに、1970年頃からはむしろ興隆の兆しすらあるのは、宗教(スペイン、アメリカ、ブラジル、ポーランドキリスト教)は近代的な倫理観の代弁者として、市民に寄り添う形となっているからだというのがあった。

一方「インドの宗教とキリスト教」では、宗教の役回りとして、個人の救済の条件の違いを示していた。

インドの宗教は、全体の傾向としては、個人の救済という側面が強く、神と世界と人とが水平に並んでいて、人が他人に善行することの効果は薄いことが示唆されていた。

一方で、キリスト教(近代的なプロテスタンティズム)は、他者を救う態度こそが、その人の救済につながるのだということだった。


更に、「現代人のためのイスラーム入門-クルアーンからその真髄を解き明かす一二章」のp25にも「宗教の目的とは、根本的に他者を道徳的および精神的に「助ける」ことだということが、ここからわかるからである」とあった。

インドの宗教が厭世的にであるとまではいかないようだ。
インドの宗教は人・世界・神を水平に置くからこそ、人の中では(宗教的な)ヒエラルキーがあって、それが❝助け合い❞関係からの逸脱を生んでいるのではないかと思った。

一方、セム的一神教は人・世界・神が垂直に置かれているので、人同士では本来的に平等・同等という観念があり、それが❝助け合い❞の自明さにつながるのではないだろうか?

インド社会(非セム的一神教社会)において、助け合いの精神がないということはもちろんない。それは宗教規範とは別の倫理が働いているからだとすれば、「近代世界の公共空間」のあの結論の一つはセム的一神教に特有なのだろうか?

とはいえいわゆる近代化を経ても、ヒンドゥー教や仏教が衰退しきったという事態はまるで起こっていない。

倫理観と宗教の関係、宗教の盛衰と市民の信仰実践の関係は、宗教や教義ごとに異なるのか、何か共通点を(ここ100年程度の期間においての特徴として)見出せるものなのか知りたい。

【探し本】鹿の弁護士、悪童の生皮、荒野を放浪。昔読んだ本を探しています 

特徴は…
・読んだのは2010年以前
・(多分)青緑基調の表紙。
・(多分)ハードカバー
・物語の後半で、山の中で動物たちに捕まり裁判にかけられる。そこで鹿の弁護士に弁護されるも、荒野か草原が広がる空間に数日分の食糧だけを持たされて放りだされる刑に処される。
空腹で倒れかけるも、ウサギをつかまえて食べることで生き長らえる。
(多分)そこで妹とも再会する。
知り合い?の悪ガキが生皮にされてひらひらと干されているのを確認する。