待望の第一子を産んだ直後に、ダウン症と知らされたフリーアナウンサーの長谷部真奈見さん。いまでは15歳になった娘さんとの楽しい日々をブログで積極的に発信している長谷部さんだが、当初は娘がダウン症である事実を受け入れることができず、誰にも明かせないまま、自殺を考えるほど思いつめた時期もあったという。
「大好きで大事で大切な娘のことを、出産当時なかなか受け入れられなかった自分を、娘に許してもらいたい」――そんな思いから、長谷部さんが覚悟をもって当時の自らの思いと向き合う本連載。出産直後の思いを振り返った第1回(前後編)は大きな反響を呼んだ。
第2回は、娘が産まれてから半年ほど経っても前向きになれずにいた長谷部さんが、夫から“最後通牒”を突きつけられたときのことを振り返る。
初めて家族3人で過ごした大晦日の夜に、「家族といて幸せじゃないのなら、この家から出て行って欲しい」と夫から言われた(詳しくは前編参照)長谷部さんを待ち受けていた出来事とは。
夫は本気だった
翌朝(元旦)、普段聞いたことがないような娘の泣き声で目覚めました。声がするリビングに向かうと、夫が娘に哺乳瓶で試供品の粉ミルクを一生懸命飲ませていたのです。前述の通り、私は娘を完全母乳で育てていたので、哺乳瓶といってもそれは新生児の時に使っていたもので、ミルクを飲む穴もとても小さく、生後半年ほどの娘にとっては十分なミルクの量が出て来なかったのでしょう。吸いづらく、苦しかったのだと思います。
娘があまりに大きな声で泣くので、とっさに夫から引き取り授乳しましたが、夫も娘も汗びっしょりでした。こんなに穏やかでなかった新年は後にも先にも思い出せません。
しかし、この哺乳瓶騒動は夫の決意の現れでした。