桐生市事件——生活保護が半減した市で何が起きていたか

小林美穂子(一般社団法人「つくろい東京ファンド」スタッフ)
2024/07/05
会見で頭を下げる桐生市の幹部ら(撮影筆者)

 群馬県桐生市が、生活保護を利用していた50代男性に、本来約7万1000円となる生活費を満額支給せず、連日、ハローワークで求職活動をしたのを確認したうえで、窓口で1日1000円ずつ手渡していた――昨年11月21日、驚くべきニュースが報じられた。

 精神的・経済的虐待としか思えないこのケースについて、私は男性を支援していた「反貧困ネットワークぐんま」の代表である仲道宗弘司法書士から詳細を聞いた。

 「桐生市はひどいんですよ。これまでもめちゃくちゃ。本当にひどい」と仲道氏は電話口で嘆きながら、12月18日に群馬弁護士会、群馬司法書士会、県社会福祉士会、県精神保健福祉士会の4団体で「生存権を守り、適法に生活保護を実施することを求める共同声明」を桐生市に提出すると言う。「市長記者会見もありますけど、来ます?」と聞かれ、私は「行きます」と即答した。これが、私が桐生市と関わるようになったきっかけだった。

関連:「桐生市事件——生活保護行政は生まれ変われるか」小松田健一

【新刊】『桐生市事件――生活保護が歪められた街で』小林美穂子、小松田健一著(地平社)

 次々に明らかになる桐生市の闇

 桐生市は、かつては絹織物で栄えた町で、群馬県民の誰もが子ども時代に遊ぶ上毛かるたでも「桐生は日本の機(はた)どころ」と謳われる。一時期は商店街がごった返すほどの賑わいを見せた桐生市は、当時の面影をわずかに残しながら、今は高齢者が多く暮らす静かな町となっている。

 2023年12月18日、荒木恵司桐生市長の定例記者会見は、報道された2件の保護対応についての謝罪から始まった。

荒木市長 「本市の生活保護案件につきましては、皆様がたにもご指摘を受けまして、保護費の分割支払い、またはそれにともなう月をまたいでの残金の支払い、さらには事務手続きの不備による保護費の遅延等、不適切な多くの対応をしてしまったことを、この場をお借りして生活保護受給者の皆様に深くお詫びする次第でございます」

 市長に続き、福祉課トップである助川直樹保健福祉部長(当時)が先の市長と同じ謝罪をし、その責任は市長ではなく自分にあると市長をかばいながらも、詳細説明や質疑応答になると、去年、教育委員会から福祉課に異動してきた小山福祉課長に一任した。他人事のようにちんまりと座って黙する助川氏に、記者席から厳しい声が飛ぶ場面もあった。

 助川氏の福祉課歴は長い。2011年に保護係長として始まり、14年に福祉課長。16年に市民生活部環境課に異動し課長を務め、部長に昇進した。そして、2019年10月に保健福祉部長(福祉事務所長)となって保護課に戻り、問題が発覚した2023年の年末、隠されるように総務部参事に異動となり、その後はいっさい発言をすることもなく今年3月31日付で退職、表舞台から姿を消した。

未支給分の保護費をどうするつもりだったのか

 「1日1000円」支給に話を戻そう。月額にして3万円ほど。本来の支給額の半額にしかならない。記者会見で分かったことだが、未支給分の保護費は課の手持ち金庫に入れて保管していたという。しかも、全額支給していないにもかかわらず、会計処理上は全額支給したことにしていた。それを聞いて椅子から転げ落ちそうになったが、さらに、14件確認された分割支給のうち、1件しかケース記録に記載がされていなかったことも判明した。痕跡を残さないようにしていたのである。

 それだけではない。福祉課が1948本もの印鑑を保持していることが報道された。小さなハンコ屋を開けるほどの在庫数である。そして、その誰のものだか分からないハンコを、当事者の同意も得ずに勝手に受領証に押印していたことも確認されている。横領や詐欺行為ができる環境が揃っていると思われても仕方がない。

 桐生市福祉課の数々の問題を聞いた当初、私は信じられないような気持ちでいた。動かぬ証拠書類を何枚も見せられてもなお、である。

 だって、なんでそんなことをするのか、考えても意味が分からない。

 仮に、利用者の同意を得て分割支給をするにしても、保護費を日割りにしたら1日分は約2300円のはずだ。そうでなければ、憲法が謳うところの「健康で文化的な最低限度の生活」は営めない。物価高騰の昨今ならなおさら、「1日1000円」は餓死しない程度の金額であり、「健康で文化的」はほど遠く、「最低限度」をすら大きく下回る。これは、利用者を生かさず殺さず、経済的、精神的に追い込む罰であり、虐待である。なぜ、こんなことを?

 これまでにも全国の自治体で福祉事務所の問題が表面化することは頻繁にあったが、これほどまでにあからさまな人権侵害は過去に一度も聞いたこともなかった。

 そして新たな疑問が湧く。仲道司法書士が介入したことで未支給分は支払われたものの、法律家が介入しなかったら福祉課はそのお金を、いったいどうするつもりだったのだろう?

 問題が発覚した当初、桐生市は分割支給は本人の同意に基づいたものであり(本人は否定)、その設定額は不適切ではあったものの分割支給そのものは違法ではないと主張、問題を分割支給にすり替えようとしていたが、保護費の満額不支給は憲法にも生活保護法にも違反する行為である。

データが語る桐生市保護課の姿

 昨年11月に桐生市の生活保護業務の問題が報道されると、現場経験者などで構成される自主的研究グループ「生活保護情報グループ」が、桐生市の生活保護率データを公表した。

 データの数字は雄弁で強烈だった。群馬県内の保護率は全国的に見ても低いので知られているが、それでもどの自治体も年々増加傾向にある中で、なんと桐生市は2011年から21年にかけて保護率は減りつづけ、1163人だった保護人数は、2022年には547人と半減している。

 桐生市はこの減少理由を、「高齢者世帯の死亡などによる保護世帯の自然減」と答えているが、高齢者層が多い自治体は県内にいくらでもある。そして他の県内自治体では館林市以外、どこの自治体も生活保護率は微増傾向にある。桐生市だけ保護率が半減するほどに高齢者がガンガン亡くなるのだとしたら、それはそれで問題だ。

 データによれば、全体の保護世帯のうち、減少が目立つのは母子世帯、傷病世帯、その他世帯で、とりわけ母子世帯の減少は際立っており、2011年に27世帯(それでも少ない)だったのが、2022年にはなんと2世帯にまで減っている。人口10万人を超える桐生市で、この数はきわめて異常と言っていいだろう。

 生活保護の却下数、取下げ率の高さも異常だ。2020年度の東京23区の平均が4.8%であるのに比べ、群馬県市部の平均は14.2%、桐生はどうかと言えば、42.9%と、突出している。ようやく保護の申請までたどり着いても、申請の4割以上が却下されたり、申請者によって取り下げられたりしているのだ。

2011年に何があったのだろうか?

 桐生市の生活保護率減少が始まった2011年に何かあったのではないかと思うのが自然だが、その鍵を握るのが、当時、保健福祉部長を務めていた大津豊氏と、市民生活環境課に異動していた3年間を除いて、ずっと桐生の生活保護課に在籍し、2019年に福祉事務所トップにのぼりつめた助川直樹氏と見て間違いない。大津氏と助川氏のもと、生活保護を抑制するなんらかの方針が打ち出されたと見るのが自然だろう。

 父親の命のために闘った女性の証言

 「1日1000円」の記事が週刊誌に掲載された日、見知らぬ方からメールをいただいた。

 2015年に父親が生活困窮し、桐生市役所に助けを求めためぐみさん(仮名)という方だった。

 市営住宅で単身暮らしていた父親が、心臓疾患などによる体調悪化で仕事ができなくなり生活に困窮。ライフラインのすべてを止められ、改造した石油ストーブで木屑を燃やし、わずかな米を炊いていた。極限の困窮状態にある父親を見て、めぐみさんは大きなショックを受ける。めぐみさんは当時結婚し、出産したばかりで生活に余裕はなかった。父親は保険証を持っておらず、心臓の治療も継続されていなかった。

 福祉課はその状況を知りつつ、生活保護の申請はさせなかった。父親は市営住宅の家賃を払えなくなり、実家で暮らす妹(めぐみさんの叔母)を頼る。しかし妹とは以前から折り合いが悪かったため、実家と隣接する廃工場で生活することになった。とうの昔に使われなくなった廃工場には窓も風呂も、当然エアコンもない。旧式のトイレは長年使われておらず、汲み取り車も来ない。父親は椅子を並べてその上に寝ていたが、病人には到底ふさわしくない環境と、全国でも有名な桐生の猛暑の中で、病状は悪化した。

 めぐみさんは生まれたばかりの子を抱え、可能な限りの援助をしていたが、父親の生活と医療を全部支えるのは無理だ。無料低額診療を受け付ける病院に父親を連れて行き、診察を受けると「手術しなければ余命半年」と診断された。事態を重く見た病院のソーシャルワーカーが父親を連れて二度、桐生市保護課を訪れているが、「家族で支えあえ」「実家に戻れ」と対応は変わらない。

 市営住宅にいる間に保護申請ができていたら、部屋を失うこともなく、ライフラインも復活し、もっと早くに医療にかかれた。劣悪な環境で体調を悪化させることもなかった。市保護課の職員は廃工場を見に来ているが、それでも保護の申請には至っていない。

保護の申請書をください!

 めぐみさんの父親が実家に隣接した廃工場で寝泊まりしていた頃、母屋の叔母も失職して生活に困窮してしまった。父の命は風前の灯だった。切羽詰まっためぐみさんは父親と叔母を連れて市の福祉課を訪ねる。

 「生活保護の申請をします。申請書をください。先日、病院で父は栄養失調と言われました。もう限界を超えています」

 必死に訴えると職員が紙を差し出し、「まずこれに1カ月、家計簿をつけてください」と言い放った。「生活保護を受けている人で1日800円で生活している人もいる。見習うように」と加えるのも忘れない。

 父親の栄養失調も余命宣告も、父の命を助けたい娘の必死の訴えも届かない。

 この繰り返される「申請権の侵害」をやめさせたのが先述の仲道司法書士だったが、父親と叔母は住まいが別であるにもかかわらず同一世帯扱いとされて保護利用が始まる。保護世帯数を可能な限り減らしたかったのだろうか。

辞退届を書かせて他市へ

 生活保護の利用が開始され、めぐみさんの父親はようやく手術を受けることができた。退院後に廃工場に戻るのは好ましくないとの医師からの進言があり、市は父親のために介護施設を探すことになった。桐生市や近隣にも施設はたくさんあるのだが、桐生市が指定してきたのは車で1時間以上かかる前橋市の施設だった。その理由を市職員が「先日、前橋の人がこっちに来たから、交換条件みたいな感じで」と言っているのがめぐみさんの記録に残っている。

 桐生市の悪質なところは、利用者を遠くに追いやろうとするだけにとどまらず、桐生市での生活保護を辞退させ、前橋市であらためて申請するように指示する点だ。本来、施設入所の場合は市をまたいだとしても実施機関は変わらない。もし、他市でアパート生活を営むことになるのだとしたら、辞退廃止ではなく「移管」という自治体間での手続きをとり、保護が1日も途切れないようにしなくてはならない。それにもかかわらず、だ。

 しかし、このあと番狂わせが起こる。桐生市が父親の介護認定手続きをしていなかったために、父親は施設入所を断られ、保護も切れ、行き場もないという状況に追い込まれてしまうのだ。なんという無責任でお粗末な仕事ぶりだろうか。

 めぐみさんは桐生市の担当者に生活保護辞退の撤回を懇願するが、担当ケースワーカーは「施設の案内をしただけ。入れとは言っていない」と開き直った。

 めぐみさんの父親が桐生市で生活保護を利用していたのは3カ月程度の短期間だったが、そのわずかな期間のうちに市職員から侮蔑的な言葉を投げつけられたり、市役所のフロアーに響き渡るような大声で怒鳴られたりしているうちに、担当者から電話があると体が震える身体症状が出るようになっていた。

 めぐみさんと父親は仲道氏同行のもと前橋市で生活保護申請をし、なんとか施設入所にこぎつけるが、父親は2年後、63歳で亡くなった。

経済的支配と精神的暴力の合わせ技

 「1日1000円」のケースやめぐみさんの父親の体験を知るだけでも、桐生市がこれまで多くの人に重ねてきたであろう違法行為やハラスメント、人権侵害の数々が想像できる。

 仲道氏が代表を務めていた「反貧困ネットワークぐんま」の支援者たちに寄せられる声は、桐生市の生活保護窓口で「『税金で食ってる自覚があるのか』と言われる」「自分だけでなく親まで侮辱された」「数人で取り囲まれて怒鳴られた」等々、耳を疑うような訴えばかりである。桐生市の保護利用をあきらめ、他市に移り住んだ人も少なくない。そして、桐生市から離れた今もトラウマに苦しむ人たちがいる。

 私が所属している「つくろい東京ファンド」にも「記事に書かれている内容よりひどい」と深刻な桐生市トラウマを訴える人がいる。そして、これも共通しているのだが、誰もが口を揃えて「桐生市の仕返しが怖い」と証言の公表を拒むのだ。

 当事者の証言の数々から浮かび上がるのは、生殺与奪を握っているという権力構造を利用して、申請者や利用者の尊厳を奪い、経済的支配のみならず、精神まで恐怖で支配する、いわば虐待加害者と呼んでも過言ではない福祉課の姿だった。

 生活保護業務のすべてのプロセスで、手段を選ばずに生活保護を阻み、仮に利用させたとしても、一刻も早く追い払うために惜しみない努力をしてきたことが、証言からもデータからもうかがえる。

 1日1000円の問題を各社が報道した直後、桐生市は森山享大副市長が率いる「内部調査チーム」を立ち上げ、2024年1月中に第三者委員会も設置すると会見で公表した。第三者委の前に内部で調査を開始することについては嫌な予感しかしないが、待望の第三者委員会設置も大幅に遅れ、3月15日になってようやく委員が発表された。

 桐生市の保護行政は、憲法や生活保護法を歪める深刻な事案であるため、今年2月には市民団体や研究者、法律家から成る「桐生市生活保護違法事件全国調査団(以下、調査団)」(団長:井上英夫・金沢大学名誉教授)が発足し、現地で東奔西走する仲道司法書士はじめ反貧困ネットワークぐんまのメンバーたち、そして私も調査団の一員となった。

 調査団は3月4日、桐生市の不適切・不透明・違法性が強く疑われる生活保護制度の運用について公開質問状を桐生市に提出したが、その中でも特に、警察官OBの配置について、微に入り細を穿つ質問項目を準備していた。

 厚生労働省は2012年3月、暴力団関係者などの威嚇行為や不正受給対策として、各福祉事務所に警察官OBを積極的に配置するよう促す通知を発出している。その人件費は国庫補助金として自治体に支払われる。桐生市でも警察官OBを任期雇用しているのだが、一般的に警察官OBに求められる仕事とは、暴力団・元暴力団員などの申請時の警察との連携やトラブル対応だが、桐生市ではかなり変わった使いかたがなされていることを、調査団の研究者がつかんでいた。

警察官OBがひしめく桐生市生活保護課の異様さ

 桐生市のケースワーカーの数は年度によって若干の差異はあるものの、2023年時には、保護率が半減した結果だろうか、福祉課のケースワーカーは5人(全員男性)となっている。そんな小さな所帯に、警察官OBが3人、生活保護の一歩手前の困窮者支援の窓口に1名と、計4人も配属されている。多すぎて、まるで交番だ。

 さらに異様なのは、この警察官OBが桐生市の新規相談の面接のほとんどに同席していることだ。それだけでない。なんと新規の家庭訪問や、あげくに就労支援員の仕事まで行なっているという。

 就労支援の相談員について厚労省は、「キャリアカウンセラーやハローワークOBなど専門的なスキルを有する人材が望ましい」という旨の通知を出している。桐生市がなぜ就労支援員にわざわざ警察官OBを採用しているのか理由を尋ねたところ「専門性による」との回答が返ってきた。いったい何の専門性だろうか。

 その「専門性」だが、桐生市は2020年度までは警察官OBの採用時の資格要件として、「刑事課等での暴力団対応経験者」を希望していた。

 それだけ見ても、生活困窮する市民をどのような眼差しで見ていたかが分かろうというものだ。だが、恫喝、威嚇行為は警察官OBだけの問題ではない。先のめぐみさんは、若いケースワーカーらに怒鳴られていた。マル暴出身の警察官OBが持つ「専門性」を全職員が共有し、マスターしてしまっていたのだとしたら嘆かわしいし、悲しい。

 謎多き民間団体3社による家計管理

 「1日1000円」の支給をされていた男性は、市の福祉課によって金銭管理をされていたが、桐生市の生活保護利用者の中には外部の民間団体に金銭管理をされているケースが2022年度において計66件ある。社会福祉協議会が11件、日本福祉サポート26件、ほほえみの会が29件行なっており、厳しい金銭管理をされることが証言者の訴えで分かっている。

 利用者は通帳を2つ作らされる。生活保護費が振り込まれる通帳は団体が管理し、団体が決まった金額を利用者が持つ通帳に振り込む。その額は2週間に1万4000円という方もいるが、どんな基準で金額が決定されているのか、そして未支給分の使途も分かっていない。

 桐生市はこの3団体と業務委託契約は結んでおらず、「利用者に紹介しているだけ」というスタンスを取っており、謎は深まるばかりで、まだ何も解明されていない。確かなのは、本人の意思に反して半ば強制的に金銭管理をされている人たちが今もいるということだけだ。

 そんな中、4月25日付で厚労省が新たな通知を発出した。まさに第三者による金銭管理を強く注意するものであり、桐生市のケースを問題視したことが分かる。

 桐生市は、民間団体に金銭管理をさせている66人の通帳と印鑑を、今すぐ本人に返し、そして本人の意思を確認するところからやり直せ。

 セーフティネットを編み直せ

 今年2月、群馬県の特別監査が桐生市に入った。ようやく県が動いた。年に一度の一般的な監査と異なり、特別監査は生活保護法の運営上、特に深刻な問題があった場合に行なわれる。ビクともしない大きな岩が、少しだけ動いたと感じた瞬間だった。

 めまぐるしく事態が変化していた3月20日、群馬県内の生活困窮者支援に奔走し、昼も夜もなく働いておられた仲道司法書士が、くも膜下出血のため急逝した。調査団を貫いた衝撃は計り知れなかった。私はしばらくの間、何をしていても気持ちがぼんやりと虚ろになり、深い喪失感と激しい怒りの衝動に駆られた。

 仲道氏は生活困窮した相談者の盾になり、法の鉾で自治体と対峙し、夜間に本業をこなしていた。生前「困っている人のために働くのが、法律資格を持つ者の義務と使命だ」と話していたと新聞の追悼記事が伝える。仲道氏の存在なくして桐生市の問題が明らかになることはなかっただろう。使命を貫いた人の早すぎる死が無念だ。

 仲道氏の通夜と葬儀には、会場に入りきれないほどの大勢の友人たちや、彼に助けられた人たちが参列した。その中に「仲道さんは私と父の命の恩人」と話していためぐみさんの姿もあった。 「同じ思いを誰にもしてほしくない」と勇気をふりしぼって証言する人がいる。

 生活保護費を1日1000円分割支給され、満額支給されなかったことで貧困生活を余儀なくされた男性2名は、桐生市の対応は憲法や生活保護法に違反するとして、市を相手取り、裁判に踏み切った。立ち上がる人々がいる。

 桐生市の違法対応を放置してきた県の責任は重大だ。セーフティネットが人を助ける網ではなく、助けを求める人を粉々にする波消しブロックになってはいけない。

 誰もが生活保護制度を権利として利用でき、健康で文化的な最低限度の生活が保障されるよう、みんなの力でじりじりと大きな岩を「押しこくる」(群馬弁)のだ。

小林美穂子

(こばやし・みほこ)一般社団法人「つくろい東京ファンド」スタッフ。群馬県出身。支援を受けた人たちの居場所兼就労の場として設立された「カフェ潮の路」コーディネーター。1968年生まれ。ホテル業、事務機器営業、工業系通訳、学生を経て現在、生活困窮者支援を行なう。

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