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インタビュー
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これまでカウンターカルチャーを追う男として、DOZiNE誌上にも幾度か、アンダーグラウンドの音楽に関連したインタビュー記事を書かせてもらってきた。だが、その直接的なきっかけは、日本のインダストリアル・ミュージック(工業音楽)の第一人者にして、昨年刊行の著書『あなたの聴かない世界 スピリチュアル・ミュージックの歴史とガイドブック』(DU BOOKS)が大いに話題となった音楽研究家、持田保にあった。 彼とは「クレイジーミュージック探訪」というトークイベントのシリーズで、ポストパンクの文化的地下水脈というべき、音楽雑誌ではあまり書かれることのなかったカウンターカルチャーの歴史について大いに語りあってきた。イベント自体は昨年で5年を迎えて一区切りとなったが、その後も持田はフリンジ・カルチャー研究家・宇田川岳夫とのロシアのカウンターカルチャーについてのトークシリーズ、現代魔術研究家・磐樹炙弦(バンギ
タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。書籍化された『一滴の黒』に続く、現在進行形の新章。 こうしている間にも賽は投げられ続けている。 暗くて温かい空間に浮かぶ大きなその球体は、わずかに発光するホタルのような無数の粒を衛星のように従えて、ゆっくりと波打つように蠢きながら旋回していた。 球の表面はパイナップルやペヨーテのように幾つもの株の集まりにも見え、その一つずつに呼吸するように僅かな開閉を繰り返す穴がある。周りの粒たちは球体に近づいたり離れたりふらふら飛んでいて、たまにどこかの穴に吸い込まれたりするかと思えば、また別の穴からは新たに出てくる粒もあるようだ。穴の内部はやはり同じような球体が浮かぶ空間がある。その球体の中も同じ景色。それがずっと続いていったある先で今のこの空間に繋がるらしい。そうやって出来ている龍の背骨のような入れ子構造の巨大な輪っか自体も銀河
混迷する時代に現代の魔女たちは何を見据えているのか。現代魔術家の磐樹炙弦と現代魔女の円香が新異教主義の現在・過去・未来を語る。 <<中編を読む 現代魔女はユーモアを社会に持ち込む DZ 支配的なリアリティに対してどう摩擦を起こしていくか。その上で円香さんが言うようにツイッターではやりたくないというのは僕もよく分かります。ツイッターのような文字数制限の厳しい場でたとえばワクチンを巡って何かを喋ったりすれば、たちまちワクチン推進か反ワクチンかみたいな二元論に回収されてしまいますから。つまり、摩擦自体がチープな摩擦になってしまう。だから文字数制限のないDOZiNEを是非使っていただきたいところなんですが(笑)、一方でDOZiNEの長文記事はある意味でその敷居の高さによってノイジーなクレームをあらかじめ排除しているところもあり、すると起こすべき摩擦が起こらないという問題もある。悩ましいところですね
混迷する時代に現代の魔女たちは何を見据えているのか。現代魔術家の磐樹炙弦と現代魔女の円香が新異教主義の現在・過去・未来を語る。 <<前編を読む カリフォルニアイデオロギーの分裂 円香 今辻さんが話したような問題については実は90年代の時点でもすでに語られているんだよね。たとえば『エスケープ・ヴェロシティ』でも、サイバーヒッピー的なカルチャー、つまり仮想空間に現実逃避していくようなカルチャーに対しては批判的な目が向けられてた。サイバーヒッピーの人たちはテクノロジーが人間社会を良くするということにすごく楽観的だから。現実の問題を無視して、あるいはそれが見えないようにして、人を現実逃避する方向に促しているところがあって、実際そういうとこが批判されてる。これはテクノペイガニズムとは明確に違うところだなと思う。 テクノペイガニズムは片足をテックの世界に置きながら、もう片足は「野蛮」な異教主義に置いて
2022年2月にこの世を去った思想家レオ・ベルサーニ。「ダーク」なクィア・スタディーズとでも言うべきベルサーニの思想の「過激さ」を、哲学者の檜垣立哉が考察する。 レオ・ベルサーニの「過激さ」 はじめに断っておかなければならないが、私はクィア・スタディーズやジェンダー論の専門家ではない。クィア・スタディーズは、現在、アングロサクソン圏を中心に非常に幅広く、思想的な世界も社会的な運動もまきこみながら、またここでとりあげるレオ・ベルサーニもそうであるように、精神分析の理論などをもちいつつ展開されている。私はそれらの仔細をきちんと追っているわけではない。それなのにこの原稿を書いているのは、もう十年も前のことになるが、洛北出版さんから、『親密性』という、ベルサーニとアダム・フィリップスとの共著を、当時の院生と翻訳したからにほかならない。そして、ほとんど日本でニュースになることはなかったとおもうが、ベ
人類学者・奥野克巳と哲学者・清水高志による共著『今日のアニミズム』の出版を記念する対談篇。第二弾となる今回は、清水高志が編集者で文人の松岡正剛と語り合う。 <<「死と刺青と悟りの人類学──なぜアニミズムは遠ざけられるのか」|奥野克巳 × 大島托|『続・今日のアニミズム』TALK❶ アニミズムと仏教思想と西洋人文知を貫通し、古くて新しい知の展望を切り拓いてみせた話題の書『今日のアニミズム』。その共著者である奥野克巳と清水高志がそれぞれ異なるゲストと際会して行う対談シリーズの第二弾、今回は哲学者の清水高志と編集者で文人の松岡正剛が初となる対談を行った。 松岡正剛が主宰するISIS編集学校事務所の本楼を舞台に行われた、あたかも知とイメージの濁流のような本対談の話題はインド哲学、仏教思想、西洋近代哲学、現代思想、果ては文学、国学、民俗学にも展開し、極めて多岐にわたっている。不世出の碩学たちによる曼
混迷する時代に現代の魔女たちは何を見据えているのか。現代魔術家の磐樹炙弦と現代魔女の円香が新異教主義の現在・過去・未来を語る。 時代はいつだって混迷を極めているものだ──が、果たして今日の混迷ぶりにはなかなかどうして「本物」感がある。 2年続いたいわゆるコロナ禍は、すでにヘイトとハラスメントと陰謀論とキャンセルカルチャーの闇鍋状態にあったSNSをいよいよ修羅の巷へと変貌させている。その湯釜から漂う鼻腔を穿つような臭気はネットの外にも漏洩し、いや、今日となっては現実空間の方がネット空間以上のスラップスティックを演じつつあるとさえ言える。 誰かが言い放ち、正しく検証される間もなく広まった「分断の時代」という言葉は、それ自体が時代の空気を醸成するアクターとなっている。むろん、我々はいつだってバラバラだったはずだが、今日においてはバラバラであることが病として認識されるようになったのだ。 いつ誰が決
「パンク」とは何か? ──反権威、自主管理、直接行動によって、自分の居場所を作る革命|『Punk! The Revolution of Everyday Life』展主宰・川上幸之介インタビュー 「パンク」とは何か? コロナ禍の日本にあって大いに話題となった展覧会『Punk! The Revolution of Everyday Life(パンク!日常生活の革命)』展の全貌、そして今あらためて「パンク」を知ることの意義について、企画&キュレーションを担当した川上幸之介氏に話を訊いた。 「パンク」という言葉から皆さんは何を連想するだろうか? 音楽のジャンルとしては、セックス・ピストルズやクラッシュが有名で、パンク・ファッションの典型といえば、モヒカン・ヘアや鋲ジャンを思い浮かべる人も多いだろう。しかし、「パンク」には、DIY精神を尊び、自主独立のライフスタイルを奨励し、インディペンデントでク
INTRODUCTION 外壁の塗装が剥がれた、今にも崩れ落ちてしまいそうなほどに古びたアパートメントが、通り一帯に並んでいる。そのほとんど全ての窓から漏れ出る明かりと生活音。すでに日付を跨ごうという時刻なのに、路傍にはボロを纏った、10歳にも満たなそうな少女がひとりで座り込んでいる。その少女の目前を、そこいら中に散らばったゴミを物色していた野良犬が、のそのそと通り過ぎる。饐えた匂いが鼻腔を刺す。遠くの方からは女性の金切り声、次いで車のクラクションの憤った音が聞こえてくる。 通りを一つ越えると、風景はガラリと変わる。こちらの通りにはいずれも名うての建築家が設計したのだろう瀟洒な建物が立ち並んでいる。誰もいない。ゴミひとつ落ちていない。その一角にあるギャラリーを僕は前日に訪れたばかりだった。ゴールドスミス卒だという新進気鋭の、笑顔の爽やかな20代の女性キュレーターは、今がこの街のアートの成長
現在、世界各地でワクチン接種を証明する衛生パスポートの導入が「感染症対策」という大義のもと進められている。我々はいかにしてこの古くて新しい「社会的排除」に抗うことができるのか。前編に引き続き、可能な対抗の手段を探る。 <<前編を読む もし衛生パスポートに感染拡大防止効果があったとしたら 辻 今のお話に関連して質問したいことがあります。たとえばワクチンパスポートの提示義務化に感染拡大を防止する効果が仮にあったとして、じゃあそれをしていいのかというと、やはりそこにも僕は疑問があるんです。 その上で僕もまたミルには違和感があります。ミルは基本的には私権の制限に対して極めて慎重な人なので、たとえば『自由論』などを読んでいてもミルの帰結には、同意できるものが多くあります。ただ、その理路には納得がいかないところがある。というのも、ミルが少数者の自由を認めるのは、それを認めた方が結果的には社会不安が抑制
現在、世界各地でワクチン接種を証明する衛生パスポートの導入が「感染症対策」という大義のもと進められている。我々はいかにしてこの古くて新しい「社会的排除」に抗うことができるのか。日本国内での導入を前に可能な選択肢を探る。 僕たちはみな同じ船に乗っている? 辻陽介(以下、辻) まず最初に僕の方からお二人の対談を企画させて頂いた動機についてお話しさせていただきます。 ご存知のように、現在フランスを筆頭に、世界の様々な国、地域でワクチン接種を証明する衛生パスポートの導入、つまり、公共交通機関や飲食店、ショッピングモールなどにおける接種証明書の提示の義務化が、政府や自治体によって進められているという状況があります。 現状(2021年9月3日時点)で日本においては具体的な法制化の流れは生じていませんが、菅総理や分科会の尾身茂会長が接種証明書の活用を示唆するような発言をしていたことなどもあり、今後どうな
汝はいかにして“縄文族”になりしや──《JOMON TRIBE》外伝 ❷| 「タトゥーとは死のアートなんです」|精神科医・遠迫憲英 縄文時代のタトゥーを現代に創造的に復興する「JOMON TRIBE」。その壮大なプロジェクトに自らの身体を捧げる「縄文族」とは一体どのような人々なのだろうか。自身「縄文族」のメンバーである辻陽介が「族」の仲間たちに話を聞く。 <<汝はいかにして“縄文族”になりしや①を読む サイドを刈り上げた長髪に、筋骨隆々の肉体、ノースリーブの袖と胸元から露出した皮膚を漆黒に覆い尽くすタトゥー。そのギラついた風貌はどう見たって常人ではない。東京の新宿を歩いていてもこれだけ目立つのだ。地元の岡山市では相当に浮いてるのではないだろうか。 その男の職業は、精神科医。JR岡山駅前でHIKARIクリニックという、日本で唯一フローティングタンクが導入された心療内科医院を運営している。名前
学術運動家・逆卷しとねが毎回異なるゲストと共に、オリジナルなクリエイターという“古いフィクション”を乗り越え、「動く巨人」と共に行う制作という“新しいフィクション”の可能性を考察する対話篇。三人目のゲストは政治活動家にして、2021年2月末に初個展を控えている革命的“芸術”家・外山恒一。 <<#01 序論「巨人と/をつくる──涯てしない“わたしたち”の物語」 <<#02 不純なれ、異種混淆の怪物よ──大小島真木は《あいだ》をドローする <<#03 革命はこの〈せせこましい身体〉から始まる──長谷川愛と「あいみょん革命」の20XX <<#05 BUMMING AROUND UNIDENTIFIED LANDSCAPES──宮川敬一はどこの馬の骨かわからない「風景」を放浪する INTRODUCTION ──「鍋と謀りごと」 2020年9月東京。革命家・長谷川愛さんとの対談中、僕が愛さんの肩書は
大地を「教育者」と見立て、デモクラシーを「土民生活」と訳し、民衆に土の主人公たる「土民」として生きることを説いたアナキスト・石川三四郎。「土」に根ざした暮らしの中に政治的な闘争のありかを見定めた石川の「土」の思想とは何か。 「吾等の生活は地より出で、地を耕し、地に還へる、是のみである。之を土民生活と言ふ。真の意味のデモクラシイである。地は吾等自身である」(『土民生活』石川三四郎) 大地を「教育者」と見立て、デモクラシーを「土民生活」と訳し、民衆に土の主人公たる「土民」として生きることを説いたアナキスト・石川三四郎。 「土」に根ざした「土民」としての暮らし。そこに政治的な闘争のありかを見定めた石川の、「土」の思想とは何か。 アナキズム研究者であり、9月に復刊された大澤正道の『石川三四郎 魂の導師』へも解説文を寄せている森元斎に話を訊いた。 インタビュー・文/辻陽介 いかにナチスから「土」を奪
磐樹炙弦 『ウィッチ・フェミニズム──現代魔女運動の系譜』#04「魔女とトランスジェンダーの系譜学」 現代魔術研究者の磐樹炙弦が紐解く魔女とフェミニズムの年代記。トランスジェンダリズムの歴史と現在、その背景で渦巻く魔女の舞踏をめぐって。 2020.8.25 磐樹炙弦 『ウィッチ・フェミニズム──現代魔女運動の系譜』#03「蕩尽と知と恋愛の18世紀末(2)──汝の意志することをなせ」 現代魔術研究者の磐樹炙弦が紐解く魔女とフェミニズムの年代記。18世紀、暴力と放蕩の坩堝ロンドンに啓蒙の業火が燃え上がり、性革命の蛇が鎌首をもたげる。魔女復活に繋がる「西洋のタントラ」その不可視の系譜。 2020.5.27 磐樹炙弦 『ウィッチ・フェミニズム──現代魔女運動の系譜』#02「蕩尽と知と恋愛の18世紀末(1)──サロン、革命、厄介なもの」 現代魔術研究者の磐樹炙弦が紐解く魔女とフェミニズムの年代記。コ
現代魔術研究者の磐樹炙弦が紐解く魔女とフェミニズムの年代記。トランスジェンダリズムの歴史と現在、その背景で渦巻く魔女の舞踏をめぐって。 <<#03「蕩尽と知と恋愛の18世紀末(2)──汝の意志することをなせ」を読む J.K.ローリング 「ハリー・ポッター」シリーズの原作者、J.K.ローリングが2020年6月にTwitterに投稿した一連のツイートが、トランスフォビア的であるという批判を浴びた。直後、映画「ハリー・ポッター」シリーズの主演俳優ダニエル・ラドクリフが批判と「ローリングに替わって」謝罪を表明。フェミニスト、トランス活動家、ハリウッドを巻き込んでの論難は、今日まで後を引いている。 https://www.bbc.com/japanese/53003426 https://www.vogue.co.jp/celebrity/article/daniel-radcliffe-respo
タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。ヨーロッパにおけるトライバルタトゥーの新しいトレンドであり、世界最古のタトゥーの一つ「ベルベル」に迫る。 << #19「女」と「タトゥー」と「男」たちを読む タトゥーを入れないムスリムの床屋のナルシシズム オランダはネザーランドだ。そしてオランダ人はダッチだ。 そのことに気づいたのは旅するようになってからで、何だこりゃと思っていたけれど、考えてみたら日本もジャパンだった。 いつもまだ暗いうちに起きる。といっても朝8時でも外は真っ暗だから早起きしているということでもない。早朝から午後3時ごろまでのシフトで働く勤め人のミリアムが出かける時に閉めるドアの気配とかでなんとなく目が覚めるのだ。 シャワーを浴びた後、リヴィングに降りて行き、コーヒーをいれて、メールに返信したり、ニュースを読んだり、チャンティックを撫でたりする。チャ
マルチスピーシーズ人類学研究会の「COVID-19を分野横断的に考える 」シリーズ第五弾。社会的距離化が一般化した環境において「心のケア」のオンライン化が果たして可能なのか、可能だとすればそれはどういった形なのか、あるいは、そもそも物理的な対面とはなんだったのか——をめぐって。 << TALK 01|奥野克巳 × 近藤祉秋|ウイルスは人と動物の「あいだ」に生成する──マルチスピーシーズ人類学からの応答を読む <<TALK 02|逆卷しとね × 尾崎日菜子|接触と隔離の「あいだ」を考える──コロナの時代の愛をめぐってを読む <<TALK 03|吉村萬壱 × 上妻世海|都市を彷徨える狩猟民に〈知恵〉はあるのか──私と国の「あいだ」を/で問い直すを読む <<TALK 04|清水高志 × 甲田烈|我々は対象世界を《御すること》はできない── 既知と未知の「あいだ」の政治を読む この記事は、マルチス
現代魔術研究者の磐樹炙弦が紐解く魔女とフェミニズムの年代記。18世紀、暴力と放蕩の坩堝ロンドンに啓蒙の業火が燃え上がり、性革命の蛇が鎌首をもたげる。魔女復活に繋がる「西洋のタントラ」その不可視の系譜。 <<#02 「蕩尽と知と恋愛の18世紀末(1)──サロン、革命、厄介なもの」を読む COVID-19のパンデミック以降、我々は身体的接触がタブーとなった日常を生きている。身体的接触が可能な限りZOOMに置き換えられていくなかで、共同体感覚はますます多層化・微分化・流動化せざるを得ない。なによりも、呼吸、発話、移動という身体のふるまいそのものを制限する「ロックダウン的」空気感は、我々の共同体感覚にとどまらず、身体観、人間観のレベルでの再考を迫る。それは我々には予測不可能なレベルでの心身的影響を及ぼすはずだ。 リアリティーショー番組「テラスハウス」への出演をきっかけに、SNSで誹謗中傷の集中砲火
制作とは、作品とは、展示とは「誰」のものなのか。学術運動家・逆卷しとねが毎回異なるゲストと共に、オリジナルなクリエイターという“古いフィクション”を乗り越え、「動く巨人」と共に行う制作という“新しいフィクション”の可能性を考察する対話篇。第一回となる序論では、港千尋氏の翻訳文盗用問題から、近代的な「作者性」を再考する。 港千尋氏の盗用問題を生んだ美術業界の「なれ合いの風土」 昨年10月に刊行されたAKI INOMATAさんの作品集『AKI INOMATA: Significant Otherness 生きものと私が出会うとき』(旧版、美術出版社、2019年)に、写真家であり美術評論家でもある港千尋さんが寄稿した文章が物議を醸した件を覚えていらっしゃるでしょうか。すでにお忘れの方も多いと思うのですが、同寄稿文において港さんは、科学史家であり、近年は共生の思考実践を大胆に展開しているダナ・ハラ
マルチスピーシーズ人類学研究会の「COVID-19を分野横断的に考える 」シリーズ第三弾。感染不安によって“剥き出し”となった「他者」たちと、我々はいかに「交感」することができるのか。そのための技術、知恵をめぐって。 << TALK 01|奥野克巳 × 近藤祉秋|ウイルスは人と動物の「あいだ」に生成する──マルチスピーシーズ人類学からの応答を読む <<TALK 02|逆卷しとね × 尾崎日菜子|接触と隔離の「あいだ」を考える──コロナの時代の愛をめぐってを読む この記事は、マルチスピーシーズ人類学研究会の「 COVID-19を分野横断的に考える 」シリーズの第三弾として4月24日に行われた、小説家の吉村萬壱とキュレーター/文筆家の上妻世海によるビデオ対談(司会:辻陽介)の内容を、記録、再構成、加筆したものです。 今回は、COVID-19への感染不安によって剥き出しにされた不穏な「他者」たち
現代魔術研究者の磐樹炙弦が紐解く魔女とフェミニズムの年代記。コロナ禍において人々が逼塞する2020年の今日、ランブイエ夫人の寝室、あのリュエルへと思いを馳せ。 <<#01 序論「“私たちのフェミニズム”の耐えられない軽さ」を読む 女権宣言 1789年8月26日、フランス革命により発足した国民議会が「人間と市民の権利の宣言(フランス人権宣言)」を発表する。アメリカ独立宣言に並ぶ近代国家成立史上の重要なランドマークであるが、宣言発表の直後、これに不服を申し立てる女たちが存在した。 曰く、この宣言が保証するものは男性(Homme) と男性市民(Citoyen)の権利であり、女性や有色人種の権利には触れられていない、と。事実、市民革命後の国民議会では女性の参政権は認められず、1804年制定のナポレオン法典第213条では「夫はその妻の保護義務を負い、妻はその夫の服従義務に従う」とされている。フランス
「この前、“息子を殺してほしい”っていう依頼が来たんだよね」── ヌケメとゴスピの『Digital Scavenging 2020』前編 ヌケメとゴスピ(God Scorpion)、兼ねてより深い親交を持つ二人のアーティストが、なんとなく、あてどもなく、とりとめもなく、「最近の面白かったこと」をダラダラと語り合う。 ヌケメとゴスピ(God Scorpion)、兼ねてより深い親交を持つ二人のアーティストが、なんとなく、あてどもなく、とりとめもなく、「最近の面白かったこと」をダラダラと語り合う。ただそれだけの、本当にそれだけの企画── 。 Text by Yosuke Tsuji 「息子を殺してほしい」という依頼 ヌケメ ゴスピ(God Scorpion)とは前から友達だし、よく会って話したりしてるから、あらためて対談って言ってみても、普段とあんま変わらないよね。特にこれといってテーマはないし
2019年が間もなく終わろうとしていた12月31日、「あいちトリエンナーレ2019」参加アーティストの一人である村山悟郎にskypeをつなぎ、村山悟郎が見た「あいちトリエンナーレ2019」と、その舞台裏について、話を訊いた。 愛知県を舞台に「2010年から3年ごとに開催されている国内最大規模の国際芸術祭」——あいちトリエンナーレ。 その第4回目となる「あいちトリエンナーレ2019」が、2019年の夏期(8月1日〜10月14日)に開催されていたことについて、そして、開幕早々の8月4日に発表された「一部展示物の展示中止」後に巻き起こった一連の騒動について、多くの人がその事実は認識しつつも、全貌については、いまだ把握することができずにいるかもしれない。 今回、騒動の中で生じた議論の俎上に乗せられたのは、展示中止となった(そしてのちに展示再開された)「表現の不自由展」の展示内容ばかりではなかった。
20世紀後半の第二波フェミニズムから21世紀初頭の第三波フェミニズムのうねりにおいて、如何にしてフェミニストと魔女たちの共謀がとりなされたか。その年代記を現代魔術研究者の磐樹炙弦が紐解く。 エマ・ワトソン、グレタ・トゥーンベリ、ひろゆき 2020年2月7日、ハフィントンポスト日本語版に掲載された記事「ひろゆきさん、どうして『今の日本では“フェミニズム”って言葉を使わないほうがいい』のですか?」と、続くハッシュタグ #私たちのフェミニズム での炎上は、日本語圏における「フェミニズム」を取り囲む状況について、改めて考えさせられるものであった。 https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5e3cb7f5c5b6b70886fd0627 件の記事では、「今の日本」で「フェミニズム」という「言葉」が如何に扱われているかを明らかにするため、敢えて専門家で
今、戦略的に「自閉」すること──水平的な横の関係を確保した上でちょっとだけ垂直的に立つ|精神科医・松本卓也インタビュー ともすれば、過剰に「開かれ」すぎてしまったがゆえのディスコミュニケーションが目立つ現在、あらためて「自閉」という状態の持つ可能性を探る。精神科医・松本卓也氏インタビュー。 一般に主体のあり方をめぐっては、外に向かって「開かれ」ている方がより望ましく、逆に自らのうちに「閉じて」しまうことは望ましくないという、なんとなくの印象がある。言い換えれば、よりコミュニカティブであることが素晴らしく、そうでないことは悪いことであるという、うっすらと、しかし広く蔓延した信念のようなものが存在する。 近年、精神分析においても注目を集めている「自閉症」や「アスペルガー」が治療すべき病、定型的な主体モデルから逸脱した異常性として捉えられている背景には、おそらく、そうした常に「開かれ」ていること
石丸元章 『危ない平成史』 #08 サイバースペースからの挑戦状、その後 ──あの「1995」から四半世紀を経て・ 後編|GUEST|松永英明 GONZO作家・石丸元章が異形の客人と共に平成の「危ない」歴史を語り合う。松永英明(旧名:河上イチロー)をゲストに迎えての「平成のサイバースペース」対談の後編は、1990年代になぜあんなにも多くの人たちが「教団」に魅せられてしまったのか、をめぐって。 << サイバースペースからの挑戦状、その後(前編)を読む 断片化する情報としょこたんの先駆性 石丸 2000年代以降、松永さんはペンネームを現在の“松永英明”に変更されてブログ『絵文録ことのは』を始められました。あれはいつ頃の開設でしたか? 松永 2003年ごろですね。ちょうどアフィリエイトが盛り上がり始めた頃です。当時は主婦でもブログで月に30万円稼げるみたいな話をよく耳にしましたし、私自身、ブログ
石丸元章 『危ない平成史』 #07 サイバースペースからの挑戦状、その後 ──あの「1995」から四半世紀を経て・ 前編|GUEST|松永英明 GONZO作家・石丸元章が異形の客人と共に平成の「危ない」歴史を語り合う。今回のテーマは平成の“サイバースペース”。ゲストは松永英明(旧名:河上イチロー)。暴露サイト「デア・アングリフ」の元運営者であり、1995年にあのテロ事件を起こした宗教団体の元信者である。 平成前期のアンダーグラウンドに異形の花を咲かせたバッドテイスト・カルチャー。その立役者のひとりであるGONZO作家・石丸元章が、毎回、ひと癖もふた癖もある客人を招いて、過ぎ去りし平成の「危ない歴史」を振り返る当シリーズ。 今回のゲストである松永英明(旧名:河上イチロー)とは、1990年代のインターネット黎明期に暴露サイト「デア・アングリフ」を主催し、当時、新たな監視システムとして問題視され
刺青美人画で知られる異才の絵師・小妻要が本当に描きたかった「責め絵」とは──小妻画伯追悼原画展トークショー|志摩紫光 × 小出英二 × 慧梨香 × 芳賀英紀 その代表的な作風である“刺青美人画”によって、日本画壇に新しい潮流を巻き起こし、国内外の多くのファンを魅了してきた日本画家・小妻要(容子)。7回目となる追悼原画展の会場にて開催されたトークショーの一部を掲載する。 「女性の表情が苦痛に抗っている感じがしない。どこか諦めたような表情をしているでしょう?」 9月、芳賀書店の6Fにて開催されていた小妻画伯追悼原画展の会場。小妻要の描いた艶めかしくも厳かな“刺青美人画”を前に固唾を飲んでいると、不意に裏から志摩紫光氏がそう声を掛けてきた。 言われてみれば、いずれの小妻作品においても、女性の表情からは抵抗の念といったものは感じられない。絵の中の女性たちはみな麻縄による熾烈な拘束を施されているにも
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