タグ

éticaに関するkasuhoのブックマーク (9)

  • Skeptic's Dictionary: naturalism

    自然主義 naturalism 自然主義は形而上学的理論のひとつで、すべての現象は自然(超自然ではないという意味での自然)の中にひそむ原因や法則から、機械論的に説明可能であるとしている。自然主義では、宇宙は巨大な機械あるいは組織であり、その全体には目的などなく、人間の欲求や願望とは無関係な存在であると仮定している。 自然主義は無神論や唯物論、論理実証主義、経験論、決定論、科学主義などと混同される場合が多い。 アメリカ合州国を建国した人々は理神論的であったが、自然主義を唱道していた。理神論は超越的な創造主の存在を認めているが、創造主が自然界に介入するという概念は否定している。したがって、世界を理解するのに、神を理解する必要はないのである。 古代のストア学派や、ジョン・スコット・エリウゲナ(9世紀アイルランド)、ジョルダノ・ブルーノ(16世紀イタリア)、スピノザ(17世紀オランダ)など、汎神論

  • 子猫を殺すこと - uumin3の日記

    生命倫理のアポリアの多くは「線引き問題」と言ってよいと考えています。どこからどこまでをどうカテゴライズするか、そしてその基準に何を用い説得的な議論をするか、その当否が単純に決められないのが難題なのです。これには「線引き」がアプリオリなものでない(後付けということにもなりましょうか…)ということが以って関わることだと思います。 おととい以来、某作家が子を殺しているという記事が話題になっています(最初に知ったサイト)。この方は、避妊(去勢)が飼いの生に対する干渉として耐え難く思い、産む度に子を殺すという選択をしているとおっしゃっている方です(この記述自体のフィクション性は解りませんし、ここでは問いません)。 犬を飼い、かつ避妊させていた人間として、この話は胸に突き刺さってくるところを持ちます。一概にこの方の行動を責めるということも、し難いとさえ思われます。苦慮した上での結論だと思います(

    子猫を殺すこと - uumin3の日記
    kasuho
    kasuho 2006/08/25
    「そこに引かれる線は、あるいは自己弁護であり、正当化であり、どこかに必ず恣意性を見出だしてしまうような「弱い線」でしかないところが、議論を延々と続けさせてしまう原因ではないかと思うのです。」
  • Do Animals Feel Pain?, by Peter Singer

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    保育園ありがとう 3月も終わるというのに、寒の戻りは容赦がなく、私は真横に降る霙雪に抗うすべ無く家に引きこもるのだった。 卒園卒業入学入園シーズンである。 3月の日々は早い。先生だけじゃなく子も親も走る。師走よりも走る人数が多いのだから、月の和名を「怒涛」に変えたほうが…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
  • 猫を突く理屈をこね(回文) - Tres tristes tigres...

    ねこころ問題について。 id:shinimai君のブクマを見て、おそらく彼は僕とは反対の意見なのだろうな、と思っていたら案の定。 死に舞 - 「子殺し」への批判とその批判可能性 僕はにとりたてて悪感情を持っているわけではありませんが、路傍の蟻やそこいらでやかましい鳩との生物学的区別以上の区別をしていません。 その上で色々と考えてみたのですが、 さらに言えばペットを飼うということが当に倫理的に悪なのかと問うことができる。自然主義的な功利計算をするならば、ペットで飼われているはそこらの野良より明らかに幸福であるから、よって倫理的にもよいと主張ができる。しかも犬やの人間との関係を歴史的に考えるならば、ペットという関係は不可避であり、野生動物を無理矢理捕まえてきて飼うわけではなく、ある種の犬やはペットとして生まれてくるのである。チワワなどを可哀想といって自然に解放するなどという行為が

    kasuho
    kasuho 2006/08/25
    >>shinimai そんなにしょうもないですか?ごめんね。
  • 「子猫殺し」への批判とその批判可能性 - 死に舞

    たまたま倫理や道徳のことを勉強をしていることもあってなんだが、話題になってることに口を挟みたい。特に自分が規範的意識が強いとかではないのだが、友人ともいえる人が自分の考えからあまりにも遠いところにいるのは道徳を訴える動機として駆り立てられるし、何よりもこんな中学生の作文みたいので何か言った気になってのが当にアホだと思うので突っ込みたくなる。 問題となってるのは8月18日付の「日経新聞」に掲載された「子殺し」と題された坂東眞砂子という作家の文章である。一時的なソースがないため、直接引用はしないが特に問題はないだろう。 この話は以下の2点で批判することが可能である。1は彼女自身に対する批判、2は1の批判が妥当なことである理由と、彼女への道徳的批判を妥当ではないと主張する人への批判だ。 現代の功利主義的道徳から言えば、の嬰児殺しはの避妊手術よりも悪である。 自らの非道徳性を認めることの道

    「子猫殺し」への批判とその批判可能性 - 死に舞
    kasuho
    kasuho 2006/08/25
    反論してみた。
  • ピーター・シンガー

    ピーター・シンガー Peter Singer (1946-) ピーター・シンガー(Peter Singer 1946-)は、現代における代表的な功利主義者の一人である。 人間の利益のために犠牲になっている実験動物や家畜など、人間以外の動物の権利を擁護する、その動物解放論は有名である。また、理論だけではなく、菜主義者として、自分の主張を実行している点でも、珍しい存在である(?)。 →動物解放論 快楽と苦痛の総計を「善」とする古典的な功利主義の立場を徹底すれば、 「人間の命は全て等しい価値をもつ」 「人の命を奪ってはならない」 「人間の命は人間以外の命よりも価値がある」 という古いヒューマニズムは維持されえない。 「たとえ胎児を殺すことが妊婦と胎児の両方が死ぬことを防ぐ唯一の方法だとしても、胎児を殺すことは不正である」というローマ・カトリック教会の教えは正しいのだろうか。 「生命の尊厳」とい

    kasuho
    kasuho 2006/08/24
    ねこころ問題関連。
  • 動物の権利 - Wikipedia

    動物の権利(どうぶつのけんり、アニマル・ライツ、英: animal rights)とは、多くの動物、あるいは感覚を持つ全ての動物が、人間にとっての有用性とは無関係に道徳的価値を持ち、その最も基的な利益(苦しみを避けることなど)は、人間同様に配慮されるべきであるという哲学である[1]。 人権(human rights)思想の元となった自然権(natural rights)思想の発想・概念を、他の動物へと拡張・適用したもの。単に動物権(どうぶつけん)とも。大まかにいうと、特に一般的な言説においては、「動物保護」または「動物の解放」の同意語としてしばしば使われる。より狭義には、多くの動物が個として尊重された扱いを受ける基的な権利、すなわち生命、自由、虐待から解放される権利であり、この権利は集合的な福祉のために覆されることはないという考えを指す[2]。 なぜ権利が人間だけのものであるかというこ

    動物の権利 - Wikipedia
    kasuho
    kasuho 2006/08/24
    ねこころ問題関連。
  • 猫殺し作家の屁理屈 - きっこのブログ

    【警告】当ブログ内に掲載されているすべての文章、画像等の無断転載、転用を禁止します。すべての文章、画像等は日の著作権法及び国際条約によって保護を受けています。 Copyright 2005〜2018 Kikko. All rights reserved. Never reproduce or replicate without written permission. 「坂東眞砂子」っていう、気持ち悪いホラー小説ばっか書いてる作家がいる。1958年生まれの48才で、映画にもなった「死国」とか、直木賞受賞作の「山妣(やまはは)」とかを書いた人で、8年前の1998年からは、タヒチで暮らしてる。ま、黙っててもザクザクと印税が入って来るんだから、どこに住んでても生活はできるワケで、タヒチに行こうが北朝鮮に行こうがレバノンに行こうが、勝手にすればいいと思うけど、このオバサンが、8月18日付の「日経新

    猫殺し作家の屁理屈 - きっこのブログ
    kasuho
    kasuho 2006/08/24
    この作家を責めることは可能か。蚊を育成して子を産むことは望まないから片っ端からたたき潰すことと何が違うのか。その場合批判されるのか。人間の避妊中絶に喩えることが可能なのか。そもそも飼ってる時点で酷い。
  • 1