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  • 調べて、整理して、発信するのが好き。「とほほのWWW入門」管理人が26年間も更新を止めない理由|tayorini by LIFULL介護

    調べて、整理して、発信するのが好き。「とほほのWWW入門」管理人が26年間も更新を止めない理由 #老後も楽しむ 公開日 | 2022/12/12 更新日 | 2024/05/10 インターネットが世の中に急速に普及した、1990年代後半から2000年代前半ごろ。当時はまだ、ブログやSNSといった手軽な情報発信ツールが一般的ではありませんでした。 そんな時代に情報発信をするにはWebサイトが必要で、Webサイトを制作するためには専用のHTML言語を習得する必要がありました。 書籍だけでなくインターネットにもHTMLを学べるコンテンツはさまざまありましたが、中でももっとも多くの人が参照したであろうサイトが「とほほのWWW入門」。Webサイト制作に関する膨大な情報がきれいに整理されており、素人でも分かりやすくHTMLについて学習できる「先生」のような存在です。 とほほのWWW入門は1996年に開

    調べて、整理して、発信するのが好き。「とほほのWWW入門」管理人が26年間も更新を止めない理由|tayorini by LIFULL介護
  • デジタルネイティブじゃない1989年生まれのわたしの話 - インターネットもぐもぐ

    この年に東欧革命が起こって冷戦が終わったので、世界史、特にヨーロッパ史では、この1989年以後が「現代」と見なされている[1]。 東欧革命は、2年後にソビエト連邦崩壊をもたらした。 ―1989年 - Wikipedia 1989年は、元号が平成に変わって、消費税3%が導入されて、中国では天安門事件が起きて、東西ドイツを隔てるベルリンの壁は崩壊して、事実上冷戦が集結した年、みたいだ。覚えてるわけがないのだけど。 ソ連が崩壊するのは2年後の1991年。東西冷戦も社会主義国家も教科書のなかの存在で、物心ついたときには隣の国はソビエト連邦ではなくロシア連邦でした。 資主義が世界の共通ルールだってことが考えるまでもない事実で、アメリカに対する過剰なあこがれも(たぶん、上の世代と比べたら)なかった。 というより、そもそもあまり海外に目が向かなかった。中国韓国の存在も、意識した覚えすらない。 「アメ

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