オダギリジョーと高石あかりが叔父&めい役『夏の砂の上』公開決定 共演に松たか子、満島ひかり、森山直太朗ら
読売文学賞 戯曲・シナリオ賞受賞の松田正隆による戯曲を、オダギリジョー主演で映画化する『夏の砂の上』が7月4日より公開されることが明らかになった。オダギリ演じる息子を亡くし妻に見限られた主人公と17歳の姪の共同生活から始まるストーリーで、2024年9月に全編オール長崎ロケを実施。共演に高石あかり(※高=はしごだか)、松たか子、満島ひかり、森山直太朗、高橋文哉、光石研ら。監督・脚本を、映画『そばかす』(2022)などの劇作家、脚本家、映画監督の玉田真也が務める。
本作は、息子を亡くした喪失感から人生の時間が止まり、妻に見限られた主人公と、妹が置いていった17歳の姪との突然の共同生活からはじまる。愛を失った男、愛を見限った女、愛を知らない少女が、それぞれの痛みと向き合いながら小さな希望の芽を見つけていく姿を描く。雨が降らない夏の長崎が舞台となり、坂の多い長崎の美しい街並みの中で描かれる。
主人公の小浦治を演じるのは、監督作『THE オリバーな犬、(Gosh!!) このヤロウ MOVIE』の公開を秋に控えるオダギリジョー。本作では共同プロデューサーも務めている。治の姪で、父親の愛を知らずに育った優子を演じるのは、『ベイビーわるきゅーれ』シリーズで人気を博し、2025年度後期NHK連続テレビ小説のヒロインに抜擢された高石あかり。治の妻・恵子役は、主演映画『ファーストキス 1ST KISS』が公開中の松たか子。悲しみを共有し共に再スタートすることができない夫への怒りを秘めた女性を演じ、長崎弁に初挑戦。
父親のいない優子を兄の治に預け、男の元に走る奔放な妹・阿佐子役に『ラストマイル』の満島ひかり。優子のバイト先の先輩で、優子に好意を寄せる・立山役に主演映画『少年と犬』が間もなく公開される高橋文哉。治が働いていた造船所の同僚・陣野役に、自身のドキュメンタリー映画『素晴らしい世界は何処に』の公開を控えるフォークシンガーの森山直太朗。同じく治の造船所の同僚・持田役に「北九州ホルモン隊」を結成するなど九州を代表する名バイプレイヤーの光石研。
原作となった戯曲は、平田オリザが1998年に舞台化して以降たびたび上演され、2022年には主演・田中圭、演出・栗山民也で上演された。本作のメガホンをとった玉田監督も自身の劇団「玉田企画」で2022年に上演している。
オダギリジョー、高石あかり、松たか子、玉田真也監督、原作・松田正隆のコメント全文は下記の通り。(石川友里恵)
オダギリジョー(共同プロデューサー/主演・小浦治役)
脚本を読んだ瞬間『これは良い作品になる!』と感じた僕は、すぐにプロデューサーを買って出ることにしました。俳優としては勿論、様々な面で役に立てれば、という思いからでした。松さんや満島さんを始め、信頼できるキャスト、最高のスタッフが共鳴してくれ、真夏の長崎にこの上ない土俵が用意されました。あくまで玉田監督の補佐的な立場を守りつつ、隠し味程度に自分の経験値を注ぎ込めたと思います。昨今の日本映画には珍しい『何か』を感じて頂ける作品になったと信じています。
高石あかり(治の姪・優子役)
長崎での撮影は、優子が過ごしたあの時間のように、自分にとってとてもかけがえの無いものとなりました。優子は、儚さと強さ、大人っぽさと少女らしさ、一人の人間の中で全く違う性質が混ざり合う独特な空気を持っています。そんな繊細な彼女をどう演じたらいいのか、長崎に入る前に玉田監督とお話しをさせていただき、“ありのままの自分”で精一杯役と向き合うことにしました。そんな撮影期間は、カメラの存在を忘れ、作品と現実の境目が曖昧だった気がします。こんな経験は初めてで、これ程までに熱中出来る環境を作ってくださった、監督をはじめ、キャスト、スタッフの皆様には感謝しかありません。改めて、この作品に携わらせていただけたこと、心から光栄に思います。
松たか子(治の妻・小浦恵子役)
暑い夏の長崎での撮影を懐かしく思い出します。小浦家への道のりは、特に機材を運ぶスタッフの皆さんは本当に大変だったと思います。でも、全員が汗だくになりながら、この映画の世界に向かって歩いていたように思います。初めて読んだ脚本は、元々戯曲であったことに驚くほど、様々な風景が浮かぶ「映画」のホンでした。他者に共感や理解を求めない、なんともいえない、滑稽で愛すべき人たちが出てくるお話のような気がします。恵子が愛すべき人間かというと、それはわかりませんが…。オダギリさんとのお芝居はとても楽しかったです。
玉田真也(脚本・監督)
今まで読んできた戯曲は数多くありますが、この「夏の砂の上」は僕にとって特別な作品であり続けました。僕たちが生きる上で避けられない痛みや、それを諦めて受け入れていくしかないという虚無、そして、それでも生はただ続いていくという、この世界の一つの本質のようなものがセリフの流れの中で、どんどん立体的に浮かび上がってくる素晴らしい作品です。その作品を映画にするということは僕にとって念願であったとともに、挑戦でした。演劇としての完成度があまりにも高いと思ったからです。そして、その挑戦は間違っていなかったと長崎での撮影を始めて確信していきました。長崎の街の中に入っていくと、この街自体を主人公として捉えることができる、これはきっと映画でしかなし得ない体験だと感じていったからです。僕の頭の中だけにあった固定された小さな世界が、長崎という街と徐々に融合してより豊かに大きく膨らんでいく感覚でした。この映画を皆さんに観ていただけるのを楽しみにしています。そして今回、素晴らしい俳優たちに集まっていただきました。演出するにあたり、皆さんとても協力的にアイデアを出してくださり、何一つストレスなく撮影をすることができただけでなく、何度見ても芝居が面白く、最前列で観るお客さんのように彼ら彼女らの芝居をただ楽しんでいる瞬間もたくさんありました。皆さんの芝居に、この映画を想定の何倍も上に引っ張ってもらえたと思います。とても贅沢な時間でした。
松田正隆(原作)
部屋を見つめる演劇から、街を感じ取る映画へ。映画には長崎の光景がいくつも映し出されている。坂道をのぼりつめた果てにある家からの眺めだけで、言葉にならない感覚をこの映画は私たちに与える。戯曲に書かれた台詞が生み出す感情は、坂を上り下りする俳優の身体の運動に変換されている。キャリーバッグを引く優子が母とともに坂を上るとき、坂の上で指をなくした小浦が息を吐くとき、人々が言い知れぬ人生を抱えながらも、繁華街で仕事をし飲食をするために坂をおりるとき、カメラはそれらの特別な感情を映画の場面に映し出す。私は、戯曲が消え去り映画に生まれ変わることを望んでいた。この映画を観て、何よりも映画らしい経験を得たことがとても嬉しかった。