「親は苦痛だった」かなわなかった穏やかな最期 変わる終末期医療
重篤な患者を診る救急や集中治療の現場では、延命治療の中止は「タブー」のように見なされてきた。そのことに、医療者は苦悩を深めている。患者にとって最適な医療やケアとは何か。ある患者の死をきっかけに、終末期医療の課題に向き合い、模索を続ける病院がある。
10年ほど前、重い脳梗塞(こうそく)になった高齢の患者が、東京ベイ・浦安市川医療センター(千葉県浦安市)に救急搬送された。1カ月ほど治療を受けたが、意識は戻らない。鼻から入れた管で、栄養剤が体内に送られた。
ただ、痛みは感じているようで、少し動かせる手で、その管を引き抜いた。病院のスタッフは、管を抜くことを防ぐため、やむなく患者の腕をベッドに縛った。
しばらくして、患者の子どもがスタッフにこう訴えた。
「こうした状態が続くなら、親の価値観としては、もう生きている意味がないと思う。緩和ケアをしてもらって、苦痛に感じている管を抜いて、腕を縛るのはもうやめてほしい」
このまま治療を続けても、回復する見込みがほぼない。患者を診る医師や看護師は話し合った。そして、腕の拘束を解き、治療はやめて、緩和ケアに移っても問題ないのではないかという結論に行き着いた。
スタッフは、倫理的な問題を協議する病院内の倫理委員会に諮った。だが、認められなかった。治療を中止することで、法的な責任を問われる可能性がある、というのがその理由だった。
「助けてもらえなかった」 患者家族が残した言葉
家族は再び「(治療の方針を)検討し直してほしい」と求めた。次の倫理委員会で議論することになり、その開催を待つ間に、患者は肺炎になって亡くなった。
「親は苦痛だったと思う。助けてほしいと思って病院に来たけれど、全く助けてもらえなかった」。家族はそんな言葉を残していったという。
総合内科医師の平岡栄治・副センター長は「何のために医療をしていたんだろう」という思いが残っているという。
「家族の『助けてもらえなかった』の言葉には、苦痛の時間が長引き、穏やかな最期をむかえることができなかったという思いが込められていた。人生の最終段階で、患者本人の価値観とは異なる医療をして、家族も傷ついた。治療にあたった医師や看護師も傷ついた」
こうした出来事は、いまの日本で決して珍しくない。助からないことがわかっていても、生命の維持に必要な処置はやめられない。やめれば法的な責任を問われる。こうした意識が医療界に深く浸透している。
2006年、富山県の射水市民病院で、医師が末期がんなどの患者7人の人工呼吸器を外し、患者が亡くなっていたことが明らかになった。富山県警は08年に2人の医師を殺人容疑で書類送検した。富山地検は09年に嫌疑不十分で不起訴処分にしたが、その間、事件は大きく報じられた。
一方、医療を所管する厚生労働省は延命治療の中止を容認する立場だ。07年、生命を短縮させる意図をもつ積極的安楽死は対象外としつつ、終末期医療を決める際の指針を公表した。日本救急医学会などの学会も、延命治療を中止する手順をまとめた指針をつくった。
だが、あくまで指針であり、法律に規定されていない。事件化されるかも知れないという懸念はぬぐいきれていない。
医療者と患者・家族、共同で意思決定
しかし、東京ベイ・浦安市川医療センターは、あの患者の出来事をきっかけに変わった。
平岡さんらは、病院の倫理委…
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