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鳥羽 (砲艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鳥羽
基本情報
建造所 佐世保海軍工廠[1]
運用者  大日本帝国海軍
艦種 (二等)砲艦[1]
母港 佐世保[1][2]
艦歴
計画 第三期拡張計画[3]
発注 1910年3月25日訓令[4]
起工 1911年7月7日[5]
進水 1911年11月7日[1]
竣工 1911年11月17日[6]
除籍 1945年9月30日
その後 人民解放軍艦艇
1960年代除籍
要目(計画)
基準排水量 公表値:220ロングトン (224 t)
常備排水量 250ロングトン (254 t)
垂線間長 180 ftin (54.864 m)
最大幅 27 ft 0 in (8.230 m)
吃水 2 ft 6 in (0.762 m)
ボイラー 艦本式缶 2基
主機 直立2気筒2段レシプロ 3基[7]
推進 3軸[1][7]
出力 1,400馬力
速力 15ノット
燃料 石炭:81ロングトン (82 t)
乗員 竣工時定員:59名[8]
1920年調:52名[1]
兵装 竣工時:四一式短3インチ[9] 2門、麻式6.5mm機砲 4挺(銃座6挺分)[10]
探照灯 1基
搭載艇 2隻
その他 船材:
出典の無い値は[1]による。
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鳥羽(とば)は、日本海軍砲艦[11]

艦名は名勝の名で、京都の南の郊外にあたる「鳥羽」による[11] 三重県志摩半島にも鳥羽の地名があるが、前の建造河川砲艦が「伏見」であり鳥羽・伏見の戦いがあるよう、対として京都の地名から命名されたと思われる[12]

概要

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日本海軍が初めて国内建造した河用砲艦になる[12]。 同型艦はない。 「鳥羽」の前にイギリスで建造された砲艦「隅田」、「伏見」は長江三峡の航行に問題があったため、機関出力が強化され速力15ノットとなっている。

艦型

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機関

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ボイラー艦本式缶2基で川崎造船所で製造された[13]蒸気圧力は計画で180 psi (13 kg/cm2)[13]

主機は直立2気筒2段レシプロ3基[7]佐世保海軍工廠で製造された[13]。 直径は高圧筒14 in (360 mm)、低圧筒26 in (660 mm)、行程は14 in (360 mm)[13]

推進は3軸[14][注釈 1]。 回転数は計画320 rpm、実際は351.5 rpm[13]

出力は計画1,400馬力、実際は1,522馬力を出した[13]

兵装

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主砲は当初6ポンド砲2門を装備する計画だったが、1910年 (明治43年) 3月25日に短3インチ砲(四一式短3インチ砲[9])2門への変更が決定した[15]。 短3インチ砲の方が威力が大きく、一等水雷艇では既に換装が決定、6ポンド砲は今後使用されなくなる予定だった[15]。 重量は短3インチ砲の方が重かったが弾薬定数を300発から200発に減じて対応した[15]

機銃は麻式6.5mm機砲 4挺(銃座は6挺分)が装備された[10]

艦型の変遷

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兵装の変遷

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『戦史叢書 第31巻 海軍軍戦備1』の附表「艦艇要目等一覧表」に記載の兵装は以下の通り。

  • 1920年時:四一式短8cm砲 2門、陸式機砲 1挺、麻式6.5mm機砲 6挺、探照灯 1基[1]
  • 1923年時:1920年時と同じ[16]
  • 1931年時:五年式短8cm高角砲 2門、留式機銃 2挺、三年式機銃 4挺、探照灯 1基[17]

1941年の開戦時は8cm単装高角砲2門、13mm連装機銃1基、7.7mm機銃2挺、三年式機銃4挺と推定される。

艦歴

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計画

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1910年 (明治43年) 1月の時点で艦艇補足費造船費で製造の「利根」と30号(後の「浦波」I)、31号(後の「磯波」I)、32号駆逐艦(後の「綾波」I)の明治42年度予算が399,138余っていた[18]。 この剰余金を用いて浅喫水砲艦1隻を佐世保海軍工廠で建造することが同年1月17日に提案され、2月2日に決裁した[18]

建造

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同年(1910年)3月25日に佐世保鎮守府あてに(二百五十噸)浅喫水砲艦1隻を製造するよう訓令が出された[4]。 船体・機関の製造予算は艦艇補足費造船費支弁の337,853で明治44年(1911年)度に竣工するよう定められた[4]。 同1910年6月28日に製造費は軍艦製造及建築費支弁に変更[19]第二号甲鉄戦艦(後の「鹿島」)と第一号装甲巡洋艦(後の「鞍馬」)の明治43年度造船費予算からの剰余金692,647円から充当された[19]。 また造兵費予算67,780円はこの2隻の43年度の造兵費から63,000円を流用して予算年度の前倒しを行った(2隻の造兵費予算は翌年度に同額を本艦の予算から戻す予定)[19]

浅喫水砲艦佐世保海軍工廠1911年 (明治44年) 7月7日起工した[5]。 同年11月7日に「鳥羽」と命名され[20]、 二等砲艦に類別[21]、 同日午前8時30分に進水した[22]。 当初11月10日の進水予定だったが、都合により繰り上げられた[23]。 「鳥羽」は11月17日に竣工[12]、 約4カ月で建造され当時のスピード建造の記録を作った[12]

就役

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竣工当時中国大陸辛亥革命が発生していた[12]。 「鳥羽」は11月18日に第三艦隊に編入され、浮きドックに入れられて防護巡洋艦笠置」の曳航により11月25日に佐世保を出発し、12月3日に上海に着いた[24]。 直ちに同方面の警備任務に就き、以後日本に帰国することは無かった[12]

第一次世界大戦

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第一次世界大戦では、始め中国が中立国であったため河用砲艦は武装解除した。第三艦隊の艦艇は1914年 (大正3年) 8月13日までに上海に集結[25]。8月22日、「鳥羽」は浦東海軍用地内の三井物産倉庫岸壁前錨泊していた「伏見」の上流に錨泊[26]。8月24日、2隻は武装解除を完了した[26]。また、同地には「隅田」も錨泊した[26]。「伏見」には7名が残留し、艦の保管は三井物産上海支店に委託された[27]。8月24日、第三艦隊より除かれ佐世保鎮守府予備艦となった[28]

1917年 (大正6年) 8月14日に中国が参戦したことにより、8月29日に河用砲艦の乗員は上海に到着[29]。「鳥羽」は9月11日に上海発[29]。漢口、宜昌などを経て10月26日に重慶に到着[30]。事態の悪化に伴い、12月4日には陸戦隊を揚陸した[31]。12月15日、「鳥羽」、「千代田」、「宇治」、「隅田」、「伏見」で第七戦隊が編成された[32]1918年 (大正7年) 4月25日、「鳥羽」は宜昌上流で北軍から射撃され、交戦[33]。その後、5月14日に上海に着き、修理が行われた[33]。「鳥羽」は6月15日に上海を発し、7月19日に重慶に着いた[33]

昭和期

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上海事変日華事変に従軍した[12]

太平洋戦争

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太平洋戦争では上海で1941年 (昭和16年) 12月8日に駆逐艦」と共同で砲艦「ペトリル」を撃沈、砲艦「ウェーク」(後の日本海軍多々良」)を捕獲した。

終戦後

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1945年(昭和20年) 9月30日除籍。中華民国に接収され「永済」となった。1948年 (昭和23年) 4月17日に湖北省郝穴での戦闘で功をあげ「郝穴」と改名された。1949年 (昭和24年) 11月29日に永安と共に中国人民解放軍に投降、「湘江」となった。1960年代に除籍。

艦長/砲艦長

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※脚注無き限り『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

  • 堀田英夫 少佐:1911年11月7日 - 1912年12月1日
  • 三村俊夫 少佐:1912年12月1日 - 1913年12月1日
  • 池田幸作 少佐:1913年12月1日 -
  • 藤吉晙 少佐:1917年8月16日 - 1918年6月3日
  • 今川眞金 少佐:1918年6月3日[34] - 1919年3月1日[35]
  • 小松三郎 少佐:1919年3月1日[35] - 1919年3月26日[36]
  • 猪瀬乙彦 少佐:1919年3月26日[36] - 1920年12月1日[37]
  • 野口幸一 少佐:1920年12月1日[37] - 1921年10月6日[38]
  • 鈴木幸三 少佐:1921年10月6日[38] - 1922年4月20日
  • 鈴木清 少佐:1922年4月20日 - 1923年8月13日[39]
  • 佐野哲 少佐:1923年8月13日[39] - 1924年5月1日[40]
  • 後藤英次 少佐:1924年5月1日 - 6月21日
  • 須賀彦次郎 少佐:1924年6月21日 - 1925年12月1日
  • 隈部勇 大尉:1925年12月1日[41] - 1927年12月1日[42]
  • 勝野実 少佐:1927年12月1日 - 1929年11月30日
  • 鳥居卓哉 少佐:1929年11月30日[43] - 1930年12月1日[44]
  • 石河淡 少佐:1930年12月1日[45] - 1932年5月2日[46]
  • 加瀬三郎 少佐:1932年5月2日[46] - 12月1日
  • 片山司吾六 少佐:1932年12月1日[47] - 1934年11月1日[48]
  • 牟田口格郎 少佐:1934年11月1日 - 1935年10月31日[49]
  • 山代勝守 少佐:1935年10月31日[49] - 1936年12月1日[50]
  • 久保田智 少佐/中佐:1936年12月1日 - 1937年12月1日
  • 清水利夫 中佐:1937年12月1日 - 1938年12月15日
  • 赤澤次壽雄 少佐:1938年12月15日 - 1939年10月20日
  • 大石新一 少佐/中佐:1939年10月20日 - 1940年10月15日[51]
  • 古濱智 少佐:1940年10月15日[51] - 1941年8月20日[52]
  • 松田九郎 少佐:1941年8月20日[52] - 1943年6月20日[53]
  • 吉田謙吾 少佐/中佐:1943年6月20日[53] - 砲艦長 1944年10月1日[54] - 1945年8月15日[55]

艦船符号

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信号符字

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旗旒信号などに使用される。

  • GQHD(1911年11月7日-)[56]

略符号

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無線電信に使用される。いわゆるコールサイン

  • GTV(1911年12月4日-)[57]

脚注

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注釈

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  1. ^ #帝国海軍機関史(1975)下巻p.401によると2軸と記載があるが間違い。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その一「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その一 軍艦」
  2. ^ #内令提要7版/艦船(1)画像1-3、艦艇本籍別一覧表 大正四年四月一日調。
  3. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1pp.229-230
  4. ^ a b c #M44公文備考20/鳥羽製造命令及予算(1)コマ9-12、明治43年3月25日官房機密第42号の2「浅喫水砲艦製造ノ件」
  5. ^ a b #M44公文備考20/鳥羽製造命令及予算(2)コマ1、明治44年7月7日「浅喫水砲艦鳥羽起工ノ件」
  6. ^ #M44公文備考20/鳥羽製造命令及予算(2)コマ23、明治44年11月17日電報「鳥羽今十七日竣成シ海軍工廠長ヨリ艦長ヘ引渡済」
  7. ^ a b c #日本海軍特務艦船史(1997)p.97、鳥羽
  8. ^ 明治44年11月7日付 海軍内令 第196号改正、海軍定員令「艦第15表 二等砲艦定員表 其2」。
  9. ^ a b #M44公文備考66/設置改装及兵装(2)コマ14
  10. ^ a b #M44公文備考66/設置改装及兵装(2)コマ15
  11. ^ a b 日本海軍艦船名考 1928, pp. 182–183、鳥羽 とば Toba.
  12. ^ a b c d e f g #銘銘伝(2014)pp.244-245、鳥羽(とば)
  13. ^ a b c d e f #帝国海軍機関史(1975)下巻p.401。
  14. ^ #T2公文備考35/上揚子江溯江報告(鳥羽)(6)コマ37、重慶地方警部任務中機関動作表。
  15. ^ a b c #M44公文備考20/鳥羽製造命令及予算(2)コマ19-21、明治43年3月25日官房機密第157号「浅喫水砲艦兵装変更ノ件」
  16. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第二その一「大正十二年三月調艦艇要目等一覧表 その一 軍艦」
  17. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第三その一「昭和六年三月調艦艇要目等一覧表 その一 軍艦」
  18. ^ a b #M44公文備考20/鳥羽製造命令及予算(1)コマ13-18、明治43年官房機密第42号「浅喫水砲艦製造ノ件」
  19. ^ a b c #M44公文備考20/鳥羽製造命令及予算(1)コマ3-8、明治43年官房機密第42号の3「浅喫水砲艦製造費ノ件」
  20. ^ #M44達/11月コマ22、明治44年11月7日達第121号
  21. ^ #M44達/11月コマ22、明治44年11月7日達第122号
  22. ^ #M44公文備考20/鳥羽進水式関係コマ9、明治44年11月7日電報「午前八時三十分鳥羽無事進水ス」
  23. ^ #M44公文備考20/鳥羽進水式関係コマ2、明治44年10月23日佐鎮第1013号の2
  24. ^ 戦史叢書第72巻 中国方面海軍作戦<1>昭和十三年四月まで、102ページ
  25. ^ 戦史叢書第72巻 中国方面海軍作戦<1>昭和十三年四月まで、110ページ
  26. ^ a b c 戦史叢書第72巻 中国方面海軍作戦<1>昭和十三年四月まで、111ページ
  27. ^ 戦史叢書第72巻 中国方面海軍作戦<1>昭和十三年四月まで、111-112ページ
  28. ^ 戦史叢書第72巻 中国方面海軍作戦<1>昭和十三年四月まで、112ページ
  29. ^ a b 戦史叢書第72巻 中国方面海軍作戦<1>昭和十三年四月まで、113ページ
  30. ^ 戦史叢書第72巻 中国方面海軍作戦<1>昭和十三年四月まで、113-114ページ
  31. ^ 戦史叢書第72巻 中国方面海軍作戦<1>昭和十三年四月まで、114ページ
  32. ^ 戦史叢書第72巻 中国方面海軍作戦<1>昭和十三年四月まで、115ページ
  33. ^ a b c 戦史叢書第72巻 中国方面海軍作戦<1>昭和十三年四月まで、120ページ
  34. ^ 『官報』第1750号、大正7年6月4日。
  35. ^ a b 大正8年3月3日付 官報第1972号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2954086 で閲覧可能。
  36. ^ a b 『官報』第1992号、大正8年3月27日。
  37. ^ a b 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
  38. ^ a b 大正10年10月7日付 官報第2756号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2954871 で閲覧可能。
  39. ^ a b 大正12年8月14日付 官報第3312号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2955435 で閲覧可能。
  40. ^ 『官報』第3505号、大正13年5月2日。
  41. ^ 『官報』第3982号、大正14年12月2日。
  42. ^ 『官報』第279号、昭和2年12月2日。
  43. ^ 『官報』第878号、昭和4年12月2日。
  44. ^ 『官報』第1179号、昭和5年12月2日。
  45. ^ 昭和5年12月2日付 官報第1179号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2957646 で閲覧可能。
  46. ^ a b 昭和7年5月3日付 官報第1599号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2958070 で閲覧可能。
  47. ^ 『官報』第1778号、昭和7年12月2日。
  48. ^ 『官報』第2353号、昭和9年11月2日。
  49. ^ a b 『官報』第2651号、昭和10年11月2日。
  50. ^ 『官報』第2976号、昭和11年12月2日。
  51. ^ a b 昭和15年10月15日付 海軍辞令公報 (部内限) 第543号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079000 
  52. ^ a b 昭和16年8月20日付 海軍辞令公報 (部内限) 第695号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072081800 
  53. ^ a b 昭和18年6月21日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1152号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072091700 
  54. ^ 昭和19年10月1日付 海軍大臣官房 官房人機密第1805号。
  55. ^ 昭和20年8月27日付 秘海軍辞令公報 甲 第1897号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072107000 
  56. ^ #M44達/11月コマ22、明治44年11月7日達第123号
  57. ^ #M44達/12月コマ1、明治44年12月4日達第130号。同コマ2、正誤。

参考文献

[編集]
  • 浅井将秀/編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年12月。 
  • アジア歴史資料センター
    • 防衛省防衛研究所
    • 公文備考
    • 「製造命令及予算(1)」『明治44年 公文備考 巻20 艦船4 軍艦鳥羽駆逐艦海風山風製造』、JACAR:C07090131300 
    • 「製造命令及予算(2)」『明治44年 公文備考 巻20 艦船4 軍艦鳥羽駆逐艦海風山風製造』、JACAR:C07090131400 
    • 「進水式関係」『明治44年 公文備考 巻20 艦船4 軍艦鳥羽駆逐艦海風山風製造』、JACAR:C07090131500 
    • 「設置改装及兵装(2)」『明治44年 公文備考 巻66 艦船4 兵器8止』、JACAR:C07090190100 
    • 「上揚子江溯江報告(鳥羽)(6)」『大正2年 公文備考 巻35 艦船16』、JACAR:C08020280600 
    • 「11月」『明治44年 達 完』、JACAR:C12070062900 
    • 「12月」『明治44年 達 完』、JACAR:C12070063000 
    • 内令提要
    • 「第3類 艦船(1)」『第72号 7版 内令提要 完』、JACAR:C13072068600 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5 
  • 解説:中川努『日本海軍特務艦船史』 世界の艦船 1997年3月号増刊 第522集(増刊第47集)、海人社、1997年3月。 
  • 日本舶用機関史編集委員会/編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書第72巻 中国方面海軍作戦<1>昭和十三年四月まで』朝雲新聞社
  • 雑誌「丸」編集部/編『写真|日本の軍艦 第9巻 軽巡II』光人社、1990年。
  • 官報

関連項目

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外部リンク

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