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蔡 襄(さい じょう、大中祥符5年2月12日(1012年3月7日)- 治平4年8月16日(1067年9月27日))は、北宋の書家・文人。字は君謨。興化軍仙游県(現在の福建省莆田市仙游県)の人。「宋の四大家」の一人。
父は蔡琇。兄は蔡燮。弟は蔡高・蔡奭。子は蔡勻・蔡旬・蔡旻。また、蔡京の同族にあたる。
累官して知制誥となり、端明殿学士をへて杭州の守となり英宗の時期に56歳で没した。
死後に、忠恵と諡され、吏部侍郎を追贈された。書をよくして当代第一と称せられた。詩文も有名であり、著として『蔡忠恵集』『茶録』『茘枝譜』がある。
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