コンテンツにスキップ

白羽大介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

白羽 大介(しらば だいすけ、1923年1月23日 - 2005年12月26日)は、日本の喜劇俳優。本名:勝俣定彦(かつまた さだひこ)[1]神奈川県足柄下郡箱根町出身。

人物と芸風

[編集]

明治大学卒業後、上宮高校教諭の傍ら[1]、アルバイトで歌謡ショウの司会などしていた[1]

うめだ花月が開場した1959年吉本興業に入社し吉本新喜劇の旗揚げに参加[1]、一時は座長も務めた。

1965年、吉本首脳陣との対立から千土地興行に集団移籍。ルーキー新一森信とのトリオを中心にルーキー爆笑劇団を結成しルーキーと漫才を組んだこともある[1]、その後、マスコミを賑わせるような事件を起こし、人気低迷、千日劇場閉鎖などが重なり、劇団活動は頓挫、解散。

映画の端役、脇役を経て、1974年以降は松竹新喜劇に移り、主に脇役として活躍。一時松竹喜楽座に移って2代目博多淡海のパートナーとして活躍[1]1980年に松竹新喜劇に復帰[1]2003年まで舞台で活躍していた。2005年12月26日、肺炎のため大阪府守口市の病院で死去。82歳。

自家用操縦士免許を持っていた。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g 相羽秋夫 1980, p. 118.

参考文献

[編集]