田尻茂一
たじり しげかず 田尻 茂一 | |
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生年月日 | 1964年2月25日(60歳) |
出身地 | 日本 大阪府[1] |
身長 | 184cm[1] |
血液型 | AB型[1] |
職業 | 俳優・殺陣師 |
ジャンル | 映画・テレビドラマ・演劇 |
事務所 |
株式会社アクションクラブ(代表取締役) 株式会社キューブ(業務提携) |
公式サイト | 公式プロフィール |
田尻 茂一(たじり しげかず、1964年2月25日[1] - )は、日本の俳優、殺陣師。株式会社アクションクラブ代表取締役。株式会社キューブ所属(業務提携)[1][2]。
略歴
[編集]1990年に名古屋市中村区にてアクションクラブを設立。演劇好きが高じて、名演小劇場にて初舞台を踏み、劇団M.O.P、劇団☆新感線、演劇集団キャラメルBOXなど数々の舞台で出演・殺陣指導を務め、演劇活動が主軸のアクション事務所となる[2][3]。2010年9月にはアクションクラブを法人化した[2]。
劇団☆新感線への参加は、いのうえひでのり演出の「忠臣蔵ブートレッグ」(1995年)に殺陣指導及び出演で携わったことがきっかけとなり、1996年の「BEAST IS RED 野獣郎見参!」で本公演に初参加。以降、劇団☆新感線のほぼすべての作品に参加している [2][3]。当初は出演もしていたが、近年は殺陣指導として全体の殺陣の監修を務める[4]。アクションクラブからは川原正嗣、武田浩二、藤田修平の3人が常連で出演しており、アクション活劇を特徴とする劇団☆新感線の殺陣・アクションの中核を担っている。
新日本プロレスと青柳政司率いる空手道場・誠心会館の抗争が起こった際、誠心会館に通っていたこと、加えて舞台役者としての度胸を買われ、1992年2月10日、新日本プロレス・名古屋レインボーホール大会における越中詩郎&小林邦明 vs 齋藤彰俊&田尻茂一戦でプロレスデビュー。青柳、斉藤は別団体でプロレス経験があったため、誠心会館からプロレスデビューした第1号となる(翌月には来原圭吾が参戦)。以降、青柳に就く形で1993年7月、みちのくプロレス参戦。同年8月、WARプロレス参戦。1994年には新格闘プロレスに参戦[5]。
人物
[編集]大阪府出身ではあるが、名古屋在住歴のほうが長く、名古屋弁を得意とする。
出演
[編集]テレビ
[編集]- 神様、もう少しだけ(1998年、フジテレビ)
- 向井荒太の動物日記 〜愛犬ロシナンテの災難〜(2001年、日本テレビ)
- 盤嶽の一生 第4話「みちづれ」(CX、2002年)- 子分
- ストレートニュース(日本テレビ)
- サイコメトラーEIJI(日本テレビ)
舞台
[編集]- ドラゴンクエスト ライブスペクタクルツアー(2016年7月22日 - 2016年8月31日)– ヤンガス 役[1]
映画
[編集]- マルタイの女(1997年) - 大男の俳優 役
- 梟の城 (1999年)
- スープ〜生まれ変わりの物語〜(2013年)
- 髑髏城の七人 アオドクロ(2013年)
- THE NEXT GENERATION パトレイバー - 山崎弘道 役
- 第1章(2014年)
- 第2章(2014年)
- 第3章(2014年)
- 第4章(2014年)
- 第5章(2014年)
- 第6章(2014年)
- 第7章(2015年)
- 首都決戦(2015年)
- 首都決戦 ディレクターズカット(2015年)
指導
[編集]映画
[編集]- ゲキ×シネ「ZIPANG PUNK 五右衛門ロックIII」(2014年)– 殺陣指導
- ゲキ×シネ「蒼の乱」(2015年)– 殺陣指導
脚注
[編集]- ^ a b c d e f “田尻 茂一(業務提携)”. 株式会社キューブ オフィシャルサイト. 2021年12月11日閲覧。
- ^ a b c d “会社方針 CEOメッセージ 会社沿革”. 株式会社アクションクラブ 公式サイト. 2024年1月3日閲覧。
- ^ a b ACの歴史|アクションクラブ社長の太腕繁盛記 - ウェイバックマシン(2009年7月8日アーカイブ分)
- ^ 『劇団☆新感線30年 サムライたちの軌跡 1980-2010』朝日新聞出版、2010年、131頁。
- ^ “田尻 茂一(リンク切れ)”. シネマトゥデイ. 2017年11月18日閲覧。田尻 茂一|シネマトゥデイ - ウェイバックマシン(2017年12月1日アーカイブ分)
外部リンク
[編集]- 株式会社アクションクラブ - 公式サイト
- 株式会社キューブ オフィシャルサイト - 公式サイト
- 田尻茂一 (@ActionclubCEO) - X(旧Twitter)
- よござんす! - ブログ
- 劇団☆新感線 - オフィシャルサイト