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田尻茂一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
たじり しげかず
田尻 茂一
生年月日 (1964-02-25) 1964年2月25日(60歳)
出身地 日本の旗 日本 大阪府[1]
身長 184cm[1]
血液型 AB型[1]
職業 俳優殺陣師
ジャンル 映画テレビドラマ演劇
事務所 株式会社アクションクラブ(代表取締役)
株式会社キューブ(業務提携)
公式サイト 公式プロフィール
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田尻 茂一(たじり しげかず、1964年2月25日[1] - )は、日本俳優殺陣師。株式会社アクションクラブ代表取締役。株式会社キューブ所属(業務提携)[1][2]

略歴

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1990年に名古屋市中村区にてアクションクラブを設立。演劇好きが高じて、名演小劇場にて初舞台を踏み、劇団M.O.P劇団☆新感線演劇集団キャラメルBOXなど数々の舞台で出演・殺陣指導を務め、演劇活動が主軸のアクション事務所となる[2][3]。2010年9月にはアクションクラブを法人化した[2]

劇団☆新感線への参加は、いのうえひでのり演出の「忠臣蔵ブートレッグ」(1995年)に殺陣指導及び出演で携わったことがきっかけとなり、1996年の「BEAST IS RED 野獣郎見参!」で本公演に初参加。以降、劇団☆新感線のほぼすべての作品に参加している [2][3]。当初は出演もしていたが、近年は殺陣指導として全体の殺陣の監修を務める[4]。アクションクラブからは川原正嗣武田浩二、藤田修平の3人が常連で出演しており、アクション活劇を特徴とする劇団☆新感線の殺陣・アクションの中核を担っている。

新日本プロレスと青柳政司率いる空手道場・誠心会館の抗争が起こった際、誠心会館に通っていたこと、加えて舞台役者としての度胸を買われ、1992年2月10日、新日本プロレス・名古屋レインボーホール大会における越中詩郎&小林邦明 vs 齋藤彰俊&田尻茂一戦でプロレスデビュー。青柳、斉藤は別団体でプロレス経験があったため、誠心会館からプロレスデビューした第1号となる(翌月には来原圭吾が参戦)。以降、青柳に就く形で1993年7月、みちのくプロレス参戦。同年8月、WARプロレス参戦。1994年には新格闘プロレスに参戦[5]

人物

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大阪府出身ではあるが、名古屋在住歴のほうが長く、名古屋弁を得意とする。

出演

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テレビ

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舞台

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映画

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指導

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映画

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  • ゲキ×シネ「ZIPANG PUNK 五右衛門ロックIII」(2014年)– 殺陣指導
  • ゲキ×シネ「蒼の乱」(2015年)– 殺陣指導

脚注

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  1. ^ a b c d e f 田尻 茂一(業務提携)”. 株式会社キューブ オフィシャルサイト. 2021年12月11日閲覧。
  2. ^ a b c d 会社方針 CEOメッセージ 会社沿革”. 株式会社アクションクラブ 公式サイト. 2024年1月3日閲覧。
  3. ^ a b ACの歴史|アクションクラブ社長の太腕繁盛記 - ウェイバックマシン(2009年7月8日アーカイブ分)
  4. ^ 『劇団☆新感線30年 サムライたちの軌跡 1980-2010』朝日新聞出版、2010年、131頁。 
  5. ^ 田尻 茂一(リンク切れ)”. シネマトゥデイ. 2017年11月18日閲覧。田尻 茂一|シネマトゥデイ - ウェイバックマシン(2017年12月1日アーカイブ分)

外部リンク

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