永井尚典
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永井尚典 | |
時代 | 江戸時代後期(幕末) - 明治時代 |
生誕 | 文化7年7月27日(1810年8月16日)[1] |
死没 | 明治18年(1885年)1月7日 |
別名 | 銑之助(幼名) |
戒名 | 正明殿正五位尚典日厳大居士 |
官位 | 従五位下、山城守、肥前守、伊豆守 |
幕府 | 江戸幕府奏者番 |
藩 | 美濃加納藩主 |
氏族 | 永井氏 |
父母 | 父:永井尚佐、母:戸田忠寛の娘・お喜勢 |
妻 | 正室:奥平昌高の娘 |
子 |
娘(板倉勝貞正室)、娘(永井尚服正室) 養子:尚服 |
永井 尚典(ながい なおのり)は、美濃加納藩の第5代藩主。尚庸系永井家8代。
文化7年(1810年)7月27日、第4代藩主永井尚佐の三男として生まれる。幼名は銑之助。長兄陽之助、次兄大学の早世により、嫡子となる。文政10年(1827年)12月16日、従五位下伊豆守に叙任する。後に山城守、肥前守に改める。天保10年(1839年)7月10日、父の死去により家督を継いだ。
各門番や麻布山のアメリカ合衆国公使館警固などを務めたのち、文久元年(1861年)8月22日、奏者番に任ぜられる。文久2年(1862年)閏8月23日、免職となる。同年10月2日に隠居し、3人の男子はいずれも早世していたため、家督は養子の尚服に譲った。隠居後は松涛と号した。
明治18年(1885年)正月7日に死去した。
系譜
[編集]父母
正室
- 豊前国中津藩主奥平昌高の娘
子女
婿養子