染谷誠
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染谷 誠 そめや まこと | |
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生年月日 | 1918年3月3日 |
出生地 |
日本千葉県東葛飾郡川間村 (現・千葉県野田市) |
没年月日 | 1992年1月22日(73歳没) |
出身校 | 拓殖大学商学部卒業 |
前職 | 農業 |
所属政党 |
(日本民主党→) 自由民主党 |
称号 |
藍綬褒章 勲二等瑞宝章 社会学博士 |
選挙区 |
(旧千葉1区→) 旧千葉4区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 |
1972年12月10日 - 1983年11月28日 1986年7月6日 - 1990年1月24日 |
第18代 千葉県議会議長 | |
在任期間 | 1965年10月7日 - 1966年10月12日 |
在任期間 | 1961年12月16日 - 1963年4月29日 |
選挙区 |
(東葛飾郡選挙区→) 野田市選挙区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1955年 - 1972年11月13日 |
川間村議会議長 | |
その他の職歴 | |
川間村議会議員 (1947年 - 1955年) |
染谷 誠(そめや まこと、1918年3月3日[1][2][3][4][5] - 1992年1月22日[5])は日本の政治家。元自由民主党衆議院議員(5期)。社会学博士[4]。
経歴
[編集]千葉県東葛飾郡川間村(現・野田市)生まれ[3]。1941年3月、拓殖大学商学部を卒業[3]。卒業後は、南満洲鉄道に勤務した[3]。また、同年11月から1946年まで兵役に従事した[3]。復員後は農業に従事するとともに、1947年から1955年まで川間村議会議員を務め、また、村議会議長も務めた[3]。
1955年、千葉県議会議員に東葛飾郡選挙区から日本民主党公認で立候補して当選した[1][2]。1959年からは野田市選挙区から立候補して、当選を重ねた[6]。1961年12月16日から1963年4月29日まで第13代県議会副議長を、1965年10月7日から1966年10月12日まで第18代県議会議長を務めた[7][8]。1972年11月13日に県議を辞職した[6]。その後、川島正次郎の地盤を引き継ぐ形で同年以来千葉4区から衆議院議員当選5回。1977年から1年間自治政務次官を務め、1979年防衛政務次官。1990年引退。
その他
[編集]栄典
[編集]家族
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 『大衆人事録 第19版 東日本篇 182コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 『千葉県議会議員名簿 : 地方自治法施行後 : 昭和四十二年六月二十日現在 14コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c d e f g 『千葉県議会史 議員名鑑 265コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 『激動の日本政治史 : 明治・大正・昭和歴代国会議員史録 下 1361コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 明治~昭和, 新訂 政治家人名事典. “染谷誠(ソメヤ マコト)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年8月31日閲覧。
- ^ a b 『千葉県議会史 第4巻 815コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ “歴代正副議長名簿(前正副まで掲載)”. 千葉県. 2020年10月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月8日閲覧。
- ^ 『千葉県議会議員名簿 : 地方自治法施行後 : 昭和四十二年六月二十日現在 27コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『前衛 : 日本共産党中央委員会理論政治誌 (12)(627) 56コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 「秋の叙位叙勲4538人、晴れの受章 隠れた功労者、史上2位の1741人」『読売新聞』1988年11月3日朝刊
- ^ 『千葉県議会史 議員名鑑 266コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献
[編集]- 『政治家人名事典』(1990年、編集・発行 - 日外アソシエーツ株式会社)293頁