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- 東北最高行政委員会
- 東北最高行政委員會
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東北最高行政委員会(とうほくさいこうぎょうせいいいんかい、別称東北行政委員会)(中国語:东北最高行政委员会)は[1]大日本帝国が満洲事変後に満洲に設けた傀儡機構であり、満洲国建国を画策した。
1932年2月16日、関東軍は奉天省長臧式毅と吉林省長煕洽、黒竜江省長張景恵、馬占山の4人を奉天に召集し、「建国会議」第1回会議即ち「四巨頭会議」を開催した。会議は東北最高行政委員会設立を決定した。17日、「建国会議」第2回会議が行われ、張景恵を委員長に、臧式毅、煕洽、馬占山、湯玉麟、チムトシムベロ、凌陞を委員に任命することを決定した。18日、東北最高行政委員会は声明「東北省区完全独立」を発表したが、湯玉麟、チムトシムベロ、凌陞は会議に出席せず、馬占山は病を理由に署名しなかった。
2月25日、東北最高行政委員会は新しく作る国家の国号を「満洲国」、年号を「大同」、国家元首を「執政」、国旗を「紅藍白黒満地黄五色旗」とし、首都を新京(長春)に置くことを決議した。3月1日に満洲国が正式に成立し、東北最高行政委員会はこれにより解散した[2][3]。
- ^ 章绍嗣,田子渝,陈金安 主编.中国抗日战争大辞典.武汉:武汉出版社.1995.第389页.
- ^ 许崇德主编, ed (1995). 《中华法学大辞典·宪法学卷》. 中国检察出版社
- ^ 魏宏远主编, ed (1998). “伪满洲国的成立”. 《民国史纪事本末·三 南京国民政府确立时期(上). 辽宁人民出版社
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関連する出来事 | |
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- 1:共通法第1条の規定により、樺太は内地に包含された。
- 2:日本政府の立場では、満洲の独立は地元住民の自発的な意志に依るものであり、中国の行政・領土的保全を約する九カ国条約の遵守と満洲国の承認は矛盾するもので無かった。
- 3:日本は内蒙古を中国本土とは異なる地域として扱かっていたが、現地の政治権力上は中国内の自治行政区画に留められた。
- 地:地方自治の為に設置された組織。現地の意向に関係なく、日本には中央政府へ発展させる意図がなかった。
- †:大東亜会議開催(1943年)以前に消滅した組織。
- ※:日本政府から政府承認を受ける前に消滅した組織。
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