岡田智
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岡田 智(おかだ さとる、1947年1月10日 - )は、日本のゲームクリエイター及びハードウェア開発者。元任天堂製造本部(後、開発技術本部)開発技術部部長[1]。
経歴
[編集]1969年に任天堂に入社。当初は開発第一部にエンジニアとして配属され、最初に「N&Bブロック」などの玩具商品の開発に関わった後、「光線銃SP」を設計からデザインまで全てを単独で開発した。その後横井軍平らとともに任天堂初の携帯型ゲーム機『ゲーム&ウオッチ』や次世代『ゲームボーイ』のハードウェア開発、ファミコンやゲームボーイ専用ソフトの開発に携わった。1996年に横井が任天堂を退社後、新たに設立された開発技術部の部長となり、ゲームボーイの後継機群であるゲームボーイポケットやゲームボーイカラー、ゲームボーイアドバンス、ゲームボーイアドバンスSPなど全てのゲームボーイシリーズ、さらに次世代『ニンテンドーDS』において開発の中心人物として携わった[2][3]。開発技術本部が設立されてからは、ゲームソフト製作からは離れ、ハードウェア、主に携帯型ゲーム機の開発を中心に行った。
『ニンテンドーDS Lite』の開発に携わった後、2007年に任天堂を退社。その後、非常勤アドバイザーとして契約し、2010年まで同社に出向した。2014年現在は合同会社「ボクセル」を京都に設立し、活動を続けている[3][4]。
携わった作品
[編集]ゲームソフト
[編集]- ドンキーコングJR.
- ドンキーコング3
- マリオブラザーズ
- ワイルドガンマン
- ダックハント
- ホーガンズアレイ
- レッキングクルー - ディレクター
- メトロイド - チーフディレクター
- 光神話 パルテナの鏡 - ディレクター
- 中山美穂のトキメキハイスクール - チーフディレクター
- ファミコン探偵倶楽部 消えた後継者 - ディレクター
- ファミコンウォーズ - ディレクター
- スーパーマリオランド - ディレクター
- ソーラーストライカー - ディレクター(寺崎啓祐と共同)
- バルーンファイトGB(北米・欧州での『Balloon Kid』) - スペシャルサンクス
- ゲームボーイウォーズ - プロデューサー
- ファイアーエムブレム外伝 - スーパーバイザー
- カエルの為に鐘は鳴る - スペシャルサンクス
- ポケットカメラ - プロデューサー(出石武宏と共同)
- ファミリーコンピュータ用光線銃シリーズ
- ファミリーコンピュータ ロボット
- コンピュータ麻雀 役満
- テトリス
ハードウェア
[編集]- ゲーム&ウオッチ - プロデューサー(横井軍平と共同)
- ゲームボーイ - プロデューサー(横井軍平と共同)
- ゲームボーイ 4人用アダプタ
- スーパーファミコンマウス - プロデューサー
- AV仕様ファミリーコンピュータ
- ゲームボーイポケット - プロデューサー
- スーパーファミコンジュニア
- ゲームボーイライト - プロデューサー
- ゲームボーイカラー - プロデューサー
- 64DD
- モバイルアダプタGB - プロデューサー(制作途中で降板し、後任は大和聡氏が担当。)
- ゲームボーイアドバンス - プロデューサー
- カードeリーダー - プロデューサー
- ゲームボーイアドバンスSP - プロデューサー
- ニンテンドーDS - プロデューサー
- ゲームボーイミクロ - プロデューサー
- ニンテンドーDS Lite - プロデューサー
- ニンテンドーDSi - アドバイザー
- ニンテンドーDSi LL - アドバイザー
その他
[編集]脚注
[編集]- ^ N.O.M 1999年2月号第1弾 開発スタッフらが自ら語る ゲームボーイカラー開発秘話
- ^ N.O.M 2004年11月号 ニンテンドーDS 開発者インタビュー
- ^ a b c スズキオンライン (2016年4月17日). “岡田智さんによる「ゲームボーイカラー誕生秘話」の内容まとめ@レトロゲームアラカルト”. 2017年1月28日閲覧。
岡田 智 | ゲスト | レトロゲームアラカルト - ^ a b “「あくまで自分の欲しいものを追求してきた」 ニンテンドーDSなどの開発で知られる元任天堂・岡田智の仕事術とは”. おたぽる (2014年10月19日). 2014年12月26日閲覧。
『シューティングゲームサイド』Vol.10 「元・任天堂 岡田智の仕事術」(p.102) - ^ MobyGames - Satoru Okada