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山下善寛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山下 善寛(やました よしひろ、1940年9月18日[1] - )は、日本の環境研究家。元チッソ従業員。熊本学園大学水俣学研究センター客員研究員。

概要

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朝鮮感州郡興南邑九竜里に生まれる。父親は日本窒素肥料(現・チッソ)の従業員で、興南工場に奉職していた。1956年、水俣市立水俣第一中学校卒業。同年5月21日付で新日本窒素肥料(現・チッソ)水俣工場に入社。同時に熊本県立水俣高等学校の定時制に入学[1]

同社の労働組合執行委員長として水俣病裁判を支援。水俣の環境修復などについて研究しており、講演などの活発な活動をしている。大阪水・土壌汚染研究会、化学物質問題市民研究会などにエコツアーガイドとして参加。

水俣の暮らしを守る!みんなの会所属、企業組合エコネットみなまた代表理事、一般財団法人水俣病センター相思社監事。

略歴

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  • 1956年(昭和31年)5月 - 新日本窒素水俣工場・繊維試験課入社。
  • 1959年(昭和34年)1月 - 新日本窒素水俣工場・技術部勤務。
  • 1960年(昭和35年)8月~ - 水俣奇病研究関連の仕事(熊本大学・県などへの試料提供など)。
  • 1968年(昭和43年)6月 - 水俣支社・水俣工場技術課勤務。
  • 1969年(昭和44年)11月 - 家庭待機(6ヵ月間、賃金60%=第一組合73人、第二組合20人)。
  • 1970年(昭和45年)11月 - 総務部勤労課付(仕事与えられず別室へ)。
  • 1971年(昭和46年)5月 - チッソ株主総会へ水俣病患者を背負って参加。
  • 1974年(昭和49年)8月 - 水俣工場・技術部技術課勤務。
  • 1992年(平成4年)6月1日 - 水俣製造所・品質保証部(検査担当)勤務。
  • 2000年(平成12年)9月30日 - チッソ退職(勤続44年6ヵ月)。水俣病患者ほか障害者の働く「ほっとはうす」運営委員

脚注

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  1. ^ a b 水俣学講義 2004, pp. 75–76.

参考文献

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  • 原田正純編著『水俣学講義』日本評論社、2004年3月31日。ISBN 978-4535583849 

関連項目

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外部リンク

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